熊野古道 大峰山奥駈道をゆく
弥山
みせん

標高 1895m
行者還小屋→1:10→一の多和→45分行者還トンネル西口分岐→30分→弁天の森→30分→聖宝宿跡→1:00→弥山小屋→5分→弥山山頂

行者還小屋からは小雨の中歩き始めた。でも、弁天の森を過ぎたあたりから森に日の光が差し始めて、弥山小屋に着くころには青空が広がった。弥山山頂からは稲村ヶ岳の稜線を展望することができた。
弥山山頂

 行者還小屋から一の多和(57番靡)へ 1999年の登山記録


行者還小屋から出発


天川の辻付近


姫笹のおおう道を行く


行者還トンネル西口への分岐


荒廃した小屋の横に一の多和の標識

BACK 小笹宿から行者還小屋へ

200987

今日は晴れて欲しいと思っていたのだが、小屋から外に出てみると深い霧で、かすかな霧雨であった。行者還小屋は快適だったので、もう一泊したくなってしまうのだが、そうもしていられない。当初の予定からすでに一日遅れになっているのだ。今日は楊枝ヶ宿まで標準で6時間10分の予定だが、あいかわらず重いザックを背負っているので8時間は覚悟しなければいけないだろう。
パッキングを終えて小屋を出発したのは6時であった。そんなに濡れるほどの雨ではないので、雨具なしで出発した。小屋の前に古い石柱がたっているのに気がついた。行者還の宿と刻まれている。これは昔(1999年)、私が初めて大峰山に登ったときに見たのと同じである。小屋はずいぶん変わってしまったが、この石標は昔と変わらずに立っている…、なんかうれしくなってしまった。
小屋からは緩やかな尾根を歩いて行く。すぐに石仏が見えてきて、そのすぐ先に指導標がたっていた。ここが天川の辻であった。ここは十字路になっていて、東に下ると天ヶ瀬、西に下ると川迫渓谷なのだ。でも、その道はともにはっきりしなかった。
霧に霞む林の尾根を行く。緑がきれいである。でも、道には背の低い草や姫笹が覆い被さっているところもあって、そこについた露でズボンの裾はビショ濡れになった。昨日乾かした靴もすぐに濡れてしまって、靴の中も水浸しになってしまった。昨日に続いて水浸しの靴で歩いているものだから、足がふやけてしまって、足が痛くなってきた。先は長いというのにこの調子で熊野まで行けるのか心配になった。
天川の辻からは広い尾根の緩やかなアップダウンを繰り返すのだが、30分ほど来たところで鹿よけのネットがあって、その先で尾根に出ると岩が目立つようになった。岩がゴロゴロする道を急登してピークを越えると、石標がたっている。縦走路はここで右に曲がるのだった。地図を見ると、今越えたのが1486mピークのようである。
緩やかに下って行く。姫笹に覆われた広い尾根は歩いていて快適なのだが、水浸しの靴がどうしようもなく不快である。30分ほど緩やかなアップダウンを繰り返すと、行者還トンネル西口への分岐があった。ここから7分ほど緩やかに下ると小屋が見えてきた。近づいて見ると、すさまじく荒廃していて中も草茫々であった。昔の一のタワ避難小屋である。当初の計画ではここにテントを張ろうかとも思っていたのだが、止めておいてよかった。
小屋の前には「一ノ多和」という標識がたっていた。ここは「大峰山奥駈け75靡」のうちの57番靡である。




 弁天の森〜聖宝宿跡(55番靡)
天瀬に下る分岐


弁天の森


聖宝八丁の登り


木漏れ日の中、登って行く


一の多和から
5分ほど緩やかに登って、広いピークに着くと指導標があった。東に下ると天ヶ瀬に至るのである。ここで少し休憩、靴を脱いで濡れた靴下を絞った。足を見たら、中指の皮がはがれて赤くなっている。痛いはずである。靴紐の結び方を加減して、痛くないように工夫してみた。
緑の尾根から山の右斜面をトラバースするように10分ほど行くと、小谷林道分岐の指導標があって、そこには「一の垰(タオ)」とも書かれていた。ここが本当の一のタワなのかとも思った。尾根の右側をトラバースするように30分ほど歩いて、尾根に合すると石標や指導標の立つ広場に着いた。ここから右に下ると行者還トンネルの西口なのだ。
この先は登りになった。岩がゴツゴツする急な登りが25分ほど続く。ようやくピークに着くと、三角点があった。ここが標高1600mの弁天の森である。樹林に囲まれているのだが、三角点があるのだから、ここは立派な山頂である。記念写真を撮った。
少し休憩してから緩やかに下って行く。この頃、天気が回復してきて、林の中にも薄日がさすようになった。うれしい。八経ガ岳山頂で晴れてくれたらもっとうれしいのだが…。
日が当たると、ブナ林の緑がすごくきれいである。やっと落ち着いた登山ができる。
弁天の森から20分ほど下ると聖宝宿跡である。「大峰奥駈け75靡き」の55番靡で、「講婆世宿」というのはここなのだ。ここには山理源大師像という伏姿の銅像がたっている。何をした人なのだろう。
急な登りが始まる。ガイドブックには「聖宝八丁の登り」と書いてある急登である。急な斜面をジグザグに登って行く。ザックはすごく重たくて、この急登はつらかった。でも、頭上には青空が見えるようになっている。
急登の途中で樹林が途切れると北側に急峻な山の連なりが見えた。これが稲村ヶ岳の稜線であった。晴れて展望が得られると元気が湧いてくる。
道は丸太の階段道になった。このジグザグにつけられた階段を登って行く。目指す弥山山頂方向には真っ青な空が広がっている。尾根を左から回り込んで登っていって、尾根の上に飛び出した。北側に展望が広がっていた。



 弥山(54番靡)
鉄の梯子がかかっていた


弥山小屋前


登山道から弥山小屋を振り返る


弥山山頂(54番靡)


尾根に飛び出したところで右折して、尾根の上を登って行く。明るい自然林の尾根で、緑が日の光に輝いている。雨の後で、緑が本当にきれいなのだ。
階段の登山道が続く。鉄の梯子がかかっていたりする急登である。時計を見ると、聖宝宿から50分も登り続けている。いいかげんに山頂に着いてほしいと思ってしまうのだ…、とぼやいていたら、樹林から抜け出して、行く手に三角屋根が見えた。これが弥山小屋であった。小屋の上にはあざやかな青空が広がっている。やっと着いたという感じである。
小屋はすごくりっぱになっていた。昔、来たときはここにテントを張ったのだが、テント場は見あたらなかった。ともかく小屋の前にあるベンチにすわりこんだ。
ここで靴を脱いでビショ濡れの靴下を絞った。ベンチで、パンをかじりながらガイドブックを読むと、この少し先に弥山山頂があることがわかった。以前、登ったときは弥山山頂には登っていない。行って見ることにした。
空身で山頂をめざす。重たいザックがないと体が軽くて、すごくラクである。
木の鳥居をくぐって尾根を登って行く。尾根の木々は枯れて白い林が広がっていた。尾根の左には雲で山頂が隠れた大きな山が見える。これが八経ヶ岳であった。

尾根を緩やかに登って行くと、石の鳥居と祠が見えてきた。弥山神社(坪ノ内天川神社奥宮)でここが弥山山頂である。大峰山奥駈け75靡の54番靡だ。
三角点はないのかと探したが見あたらない。神社の裏にもまわってみたが、やっぱりなかった。神社の後ろから北に続く尾根を眺めたが、白く立ち枯れた林が目立った。三角点はないので、神社の前を山頂ということにして記念写真を撮った。



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