熊野古道 大峰山奥駈け道をゆく
八経ヶ岳
はっきょうがたけ

標高 1914m
弥山小屋→20分→古今の宿→15分→八経ヶ岳→25分→明星ヶ岳→1:00→五胡峰→1:00→舟ノ垰→15分→七面山遙拝所→35分→楊枝ヶ宿避難小屋

弥山小屋から楊枝ヶ宿までは4時間余りの行程だったのに、丸一日歩いていたような感じであった。大峰の最高峰、八経ヶ岳登った後はラクな道と思っていたのだが大間違い。すさまじい岩場や崩落地のトラバースなどの難路が続くのだ。
弥山から見る八経ヶ岳

1999年の登山記録
 八経ヶ岳
弥山小屋を振り返る


八経ヶ岳が見えた


行く手に八経ヶ岳を見ながら行く


水場があった


鹿除けの扉があった


八経ヶ岳山頂

BACK 行者還小屋から弥山へ

2009年8月7日

弥山山頂から小屋に引き返して、再び重いザックを背負って八経ヶ岳を目指す。この下り口には国見八方睨みという展望の岩場があるのだが、東側は雲がかかっていて、展望は期待できないので立ち寄らなかった。

トウビ・シラベの林の中を下って行く。今日は楊枝ヶ宿の小屋に泊まるつもりなのだが、ここに水場はない。弥山と八経ヶ岳の鞍部の古今宿跡に水場があるので、ここで給水しなければいけないのだ。そうすると重い水を背負って3時間ほども歩くことになるのだが、仕方がない。
古今宿に向かって下って行くと、八経ヶ岳にかかっていた雲が晴れて、山頂が見えるようになった。山頂部だけは鋭い三角形で、そこから緩やかな裾が広がっている。昔登った時は八経ヶ岳を見ることはできなかったので、うれしい。何枚も写真を撮ってしまった。
白く立ち枯れた林の中を下って、きれい緑林の鞍部に着いた。「頂仙岳遙拝」と刻まれた小さな石標があって、ここから弥山方向を眺めたら頂仙岳らしき山が見えた。頂仙岳というのは大峰山75靡の53番なのだが、弥山から西に続く稜線にあるので立ち寄ることはできなかった。奥駈けの修験者もここから遙拝したのだろう。
さて、私はここで水を補給するつもりなのだが、水場が見あたらない。もしここで水を補給できなかったら、今夜は大変なことになる。付近を探しまわったが、登山道の近くに水場はないようだ。困り果てていたら、右下から流れの音が聞こえる。水筒を持って下って見ることにした。踏み跡もほとんどなくて心配だったが、どんどん下って行くと、流れの音が大きくなって、沢の流れが見えてきた。よかった。なんとか水を補給することができて安心した。
古今宿に引き返して、いよいよ八経ヶ岳を目指す。登山道を行くと、石標が草に埋もれていた。刻まれている文字は「古今」と読める。ということはここが52番靡の古今の宿のようだ。ここから振り返ると弥山の台地のような山頂を眺めることができた。

この少し先に鹿除けの網が張られた柵があって、門を開けて中に入る。これは国指定のオオヤマレンゲを鹿の食害から保護するためのものなのだ。昔もこの柵はあったのを覚えている。
夏草に覆われた細い道を急登する。再び網の門をくぐって、柵に沿って登って行く。丸太の階段の登りになると樹林が途切れて、振り返ると弥山を一望できた。このすぐ先が八経ヶ岳山頂であった。
山頂には、弥山神社で会った二人連れがいた。ずいぶん軽装の男女で、小屋泊まりのようである。重いザックの私にはひどくうらやましかった。

山頂から南方向に緩やかな三角峰が見えた。これから目指す明星ヶ岳のようだ。山頂直下には断崖も見える。大峰山は岩峰の連なりであることがわかる。



 八経ヶ岳(51番靡)から五胡峰(47番靡)へ
八経ヶ岳から下る


明星ヶ岳(50番靡)山頂


どんどん下って行く


右斜面のトラバースが続く


崩落地をトラバースする


八経ヶ岳山頂から急な道を下って行くが、すぐに平坦な尾根道になった。立ち枯れの木が目立つ尾根を歩いて行く。
15分ほどで明星ヶ岳という石標の前に着いた。でもここは山頂ではなくて、左に樹林に覆われたピークが見える。この指導標には、右に下ると高崎横手と書いてある。ここは弥山辻であった。
この石標の前にかすかな踏み跡があったので、これをたどって明星ヶ岳山頂を目指すことにした。樹林の中を登って行くと
5分ほどで山頂に着いた。立ち枯れの林に囲まれた広場になっていて、ちゃんと山名の標識もあった。残念ながら、雲で展望は得られなかった。
登山道に戻って歩いて行くと、道は尾根の右を行くようになって、やがてすさまじい下りになった。こんなに下ってしまっていいのかと思うほどの急降下が続く。トラバース道は細くて、谷側はほとんど崖のようになっている。足がかり、手がかりを探して慎重に下って行くのだ。雲が湧き上がって来て、前方がよく見えなかったのだが、それが薄れると切り立った断崖が見えた。これを越えるのかと思うと足が震えてしまう。
トラバース道から登りになると、すぐに尾根の上に出た。行く手には尾根から右に分かれる尾根が見えて、そこに坊主頭のような切り立ったピークが見える。地図で確認すると、七面山の稜線のようである。でも、そこまではまだ遠い。
姫笹の緑の斜面をトラバースしてゆく。次第に七面山の稜線が近づいてきて、その稜線の下には緑の草原が広がっているのが見えた。神仙平らしい。すばらしくきれいな眺めである。この頃、七面山の山頂部を隠していた雲がとれて、急峻な稜線が一望できた。
すばらしい眺めに感動していたら、道はすごい崩落地帯にぶつかった。ガラガラの崖の斜面をトラバースするのだ。これは怖かった。
これをなんとか無事に通過すると尾根に合する。尾根の右は崩落した谷で、真っ逆さまに神仙平に落ち込んでいる。ぞっとする眺めであった。でも、左側は平坦な緑の草原になっている。明星ヶ岳から1時間経過しているので、少し休憩することにした。すさまじい岩場の下りやトラバースが続いたので、2時間もたったような気がした。
ここで振り返ると、すさまじい岩峰が聳えたっていた。この岩峰を捲くために険しい岩場を下ってきたのかと納得した。地図で確認すると、この岩峰が五胡峰のようであった。明星ヶ岳から七面山分岐までのほぼ中間点であった。



 楊子ヶ宿(44番靡)へ
崩落した谷を見ながら行く


岩がごつごつするトラバース道を行く


船の多和(46番靡)


樹林から抜け出して明るい尾根を行く


楊子ヶ宿まで700mの標石


楊子ヶ宿(44番靡)避難小屋


崩落した谷を右に見ながら平坦な尾根を行き、再び樹林の斜面のトラバース道に入る。岩がゴツゴツした道で、すごく歩きにくい。足が益々痛くなった。右足をかばうようにして歩いているので、時間がすごくかかってしまう。

25分ほど行くと、姫笹に覆われた広い尾根の上に出て、ようやく岩場は終わった。ほっとした。
緩やかな広い尾根を行くと、尾根のまんなかに大きな窪みが続いていて二重山稜のようになっている。さらに
10分ほど行くと、道端に岩が突き出ていて、そこに奉納木札がいくつも置かれていた。ここが46番靡の「舟ノ垰」であった。これは舟形の窪地があることから名付けられたというのだが、確かに窪地が続いている。
ここから再び尾根の上に出ると、大きな木の根元に、再び舟ノ垰の標識があった。どっちが本当なんだと思ってしまう。

ここから5分ほど緩やかに登ると、樹林から抜け出して明るい尾根の上を行くようになった。
振り返ると、今までたどってきた稜線が一望できる。その稜線のはるか右奥にギザギザの尾根が見える。大普賢岳などの岩峰群のようである。
展望を楽しみながら少し行くと、なだらかなピークに「七面山遙拝」の石標があった。七面山は45番の靡なのだが、縦走路から外れているのでここから遙拝するのだ。
このすぐ先に奥駈けの指導標があって、楊枝ヶ宿まで
700mと書かれていた。今日の泊まりの小屋まではもう少しである。
行く手にピークが見えるのだが、登山道はこのピークには登らずに、左に捲いてしまうのだ。よかった。山の左斜面をトラバースして行き、尾根の鞍部に着くと姫笹の草原が広がっていた。
広い尾根を下って行くと、道は尾根の右を行くようになった。振り返ると、七面山の南面が見えて、すさまじい絶壁となっていた。七面山というのはすごい山なのだ。
感動しながら急下降して行くと、左下に小屋が見えた。これが今日泊まる予定の楊枝ヶ宿避難小屋である。時間は1455分であった。
小屋の前には一人登山者がいた。大阪の人で、昨日ここに泊まって、今朝は雨だったので停滞していたのだという。小屋の前の小さな広場には日が射しているので、濡れた靴・靴下・雨具を干すことにした。
久しぶりの太陽を浴びながら、この大阪の登山者と話しをしていた。ここには水場がないということで古今宿から水を背負ってきたのだが、7分ほど東に下ると水場があるという。なんか私の苦労はいったい何だったのだ…と思ってしまった。
小屋は二階建てで、先に来ていた登山者は二階に泊まっていたので、私は一階に寝ることにした。小屋の中には変な羽虫がいて、これがうるさい。仕方がないので、殺虫剤で退治してしまった。でも、なかなか死なないしぶとい虫であった。


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