![]() Kudou GAO
昭和25年生れ 青森県出身 就職して最初の勤務地が大阪。 このときの趣味は京都、奈良の古いお寺を巡ることで、休みになるとカメラとガイドブックを持ってでかけていたものです。大阪には6年いたのですが、この間に京都奈良のお寺はほとんど巡り終えて、仏像にもずいぶん詳しくなりました。 大阪の次の勤務地は長野県の松本でした。 松本には5年いたのですが、この間に完全に山の虜になってしまい、以後抜け出すことが出来ずに今日に至っている次第です。 次の勤務地は東京だったのですが、このときに初めて冬山を経験しました。 冬山に入ったきっかけは、たまたま「山と渓谷」12月号の冬山特集を読んだことです。その頃はちょうど山にマンネリを感じていたときだったのです。冬山は絶対にやらないつもりだったのですが、本を読んでその気になってしまったのですから、かなり単純です。 本で仕入れた知識をもとに冬山道具一式を買いに行きました。道具の使い方はそのとき店員さんに教えてもらっただけです。 もともと雪国の出身なので雪の怖さはよく知っていて、段階的に冬山に入っていくことにしました。まず正月に雲取山にでかけたのですが、その年の雲取山には雪がほとんどなかったのです。 二週間後の成人の日に金峰山に登って、初めてアイゼン・ピッケルを使い、仕上げは二週間後の1月の末の八ヶ岳で、これぞ冬山というものを体験しました。 以後5年間は、正月は冬山ということになったのですが、仲間もいなかったので、結局は冬山もずうっと単独行ででした。 ようするに私の山はすべて自己流で、このため、岩登りだけは今でもできないのです。 次の勤務地は仙台でしたが、このころは仕事が忙しくてほとんど山に登れずにおりました。 仙台には6年いて、次の勤務地は北海道の釧路でした。 釧路の3年間は非常に思い出深く、北海道の広大さと自然の美しさに感動しながら、山をひたすら登りました。 また、このとき市民サークルの「KHC(釧路ハイキングクラブ)」に入会して、初めてグループでの登山の楽しさを知ったのです。 沢登りは日高の山を登るために初めて経験したのですが、幌尻岳に登ったとき、渡渉のさなかにみごとに転倒してずぶぬれになってしまったたのが楽しい思い出です。 2002年から京都に2年間住んだのですが、生活の目途もたったので会社を辞めて好きな登山に専念することにしました。 誤字脱字がそのままになっているところもありますが、気がついたところから適宜、修正していきますので許してください。 |
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