熊野古道 大峰奥駈道をゆく
大普賢岳 1779m
七曜岳 1584m
行者還岳 1546m
小笹宿→40分→阿弥陀ヶ森→20分→脇宿跡→55分→大普賢岳→1:00→国見岳→40分→七曜岳→1:00→みなきケルン→25分→行者還岳→30分→行者還小屋

阿弥陀ヶ森で女人結界は終わるのだが、この先、普賢岳から弥勒・国見・七曜と続く山稜は縦走路中、最も険しい岩峰が続くのだ。私はこの難路を雨の中越えることになった。
行者還岳山頂

 阿弥陀ヶ森(65番靡)から普賢岳(63番靡)へ 1999年5月の登山記録


柏木道の標識があった


阿弥陀ヶ森の女人結界門(65番靡)


阿弥陀ヶ森から普賢岳に向かう


経筺岩の標識


和佐又(筺の窟)への分岐


大普賢岳山頂(63番靡)

BACK 洞辻茶屋から小笹宿へ

200986

5時前に起きた。外は霧雨である。今日も天気は期待できないのだろうか。お湯を沸かして、スープを飲む。これが私の朝食である。パッキングを終えて、小屋を出発したのは6時少し前であった。今日は雨具の完全武装で歩き始めた。
小笹宿の周辺には古い石垣が残っていて、昔は寺院などがあったのだろと思う。樹林の中を緩やかに上って行くと、沢の跡のような窪みを行くようになった。石がゴロゴロして歩きにくい。10分ほど歩いたところに「柏木道」という標識があった。地図を見ると柏木への道は阿弥陀ヶ森で分岐するはずなので、いったい何だと思ってしまう。
樹林の中を登って行くと、いつのまにか狭まった尾根を行くようになった。
小屋から
40分ほど歩くと、行く手に関所のような門が見えてきた。この門をくぐって振り返ると、それは女人結界門であった。五番関から山上ヶ岳を経て、ここまでが女人立入禁止ということなのだ。この女人結界門の立つ所が「大峰奥駈け75靡」の65番阿弥陀ヶ森である。門の横に指導標があって、ここから柏木への道が分岐する。
結界門の下で少し休憩した。雨は止むことなく降り続いている。

結界門からは山の斜面を左に見て、トラバース道を行く。今までは東に向かって歩いていたのだが、南を指して歩いて行く。10分ほど行くと木の根元にたくさんの奉納木札が置かれていた。「脇宿跡」という小さな標識があった。「大峰奥駈け75靡」の64番である。
姫笹が絨毯のように広がる尾根を歩いて行くと、次第にシャクヤクの木が目立つようになった。急な登りをして平坦地に着くと、そこには経筺岩という標識があった。ここから左に行くと経筺岩に行けるのだが、立ち寄るのは止めた。ここで休憩して息を整えながら地図を見ると、いつのまにか明王ヶ岳は過ぎてしまっていた。とすると小普賢岳は近いはずである。

こからは急な登りであった。道には岩がゴツゴツと突き出していて、岩場のような急登が続く。シャクヤクの木の間を登って、露岩のあるピークに着いた。右に大きな岩があって、ここからなら展望が得られそうなのだが、雨で何もみえない。ここで息を整えていると、露岩の上に「小普賢岳」という標識があるのに気がついた。
小普賢岳から露岩を急下降する。この岩場は短いのだが、雨で濡れていてけっこう怖かった。岩場の先は姫笹の緩やかな尾根になって、10分ほど行くと指導標があった。右が大普賢岳を捲いてしまう道で、左が山頂に至る道である。もちろん左の道を行く。
すぐに和佐又へ下る分岐があるが、登山路は尾根を忠実にたどるのだ。
急な登りになった。岩がゴツゴツ突き出た急斜面で、これがずうっと続くのかと思ったら、意外と5分ほどで傾斜が緩まった。自然林の中を少し行くと山頂広場であった。大普賢岳到着は816分であった。「大峰奥駈け75靡」のうちの63番にあたる。広場の真ん中には三角点があった。
休憩していると、雨が止んだ。このまま晴れてくれるのを期待したのだが、再び霧雨になってしまった。



 七曜岳(59番靡)へ
水太覗の標識があった


岩壁を鎖でトラバース


稚児泊(60番靡)


七曜岳山頂(59番靡)


大きな岩が累々とする尾根を下って行く。尾根の少し右を行く。姫笹に覆われた緩やかな道が続く。山頂から
15分ほど歩いたところに「水太覗」という標識がたっていた。ここから少し左に行くと、すさまじい断崖の上であった。霧雨であることと、尾根の右の斜面を歩いていたので気がつかなかったのだが、左は鋭く切れ落ちていたのだ。霧で霞んで遠くが見えないのが残念である。
ここから姫笹の緩やかな尾根を行くのだが、15分ほどで急登が始まった。朽ちかけた丸太がおかれた急な階段の登りが続く。15分ほどの急登が続いて、尾根の右を行くようになると、鎖が張られたトラバースがあった。垂直の岩場につけられた道で、雨に濡れていてすごく怖かった。
これを通過してほっとしたら、今度は鎖で岩場を上るのだった。ようやくピークに着いたと思ったら、そのさきはコの字の足がかりをつかんで、垂直の岩場を下るのだった。鎖場の連続である。再び岩壁に張られた鎖にすがってトラバースして、尾根に戻ると大きな岩が立っていた。
巨岩を回り込むと平坦地があって、稚児泊の標識があった。「大峰奥駈け75靡」のうちの60番である。地図を確認すると、ここは弥勒岳と国見岳の鞍部であった。61番靡の弥勒岳は気がつかないうちに通過してしまっていたのだ。

大きな岩が点在する尾根を急登するとピークに着いて、その先は姫笹の緩やかな尾根になる。稚児泊から15分ほど歩いたところに七つ池という標識があった。尾根の右に窪地が見える。水は見えないのだがこれが七つ池のようである。
ここで地図を確認したら、国見岳をすでに通過していることがわかった。さっきのピークが国見岳だったのか…。

この先は露岩の急な登りになって、所々に木の梯子がかけられていた。鎖にすがって岩場を登ると、その先には木板が張られた桟道があって、これを歩いてから少し登ると巨岩におおわれた狭いピークに着いた。ここが59番靡の七曜岳山頂であった。1116分であった。
ガイドブックには展望がすばらしいとあるのだが、霧雨で何も見えない。記念写真だけ撮ってすぐに下った。



 行者還岳(58番靡)
無双洞の分岐


みなきケルン


行者還岳山頂(58番靡)


水場


行者還小屋


七曜岳山頂からは鎖の下がる露岩の急下降であった。
5分ほど行くと奥駈けの石標があって、そこが無双洞分岐であった。あとは平坦な尾根を行くのかと思ったら、梯子のような木の階段があった。雨で濡れているので、滑らないように慎重に下る。
すごい岩場の急下降が
20分ほど続いた。ようやく尾根の道になって、霧に霞む自然林の中を30分ほど行くと、遭難碑があった。プレートには「みなきケルン」と書かれていた。
ここから尾根の上を10分ほど行くと奥駈けの石標があって、道は二つに分かれる。左のトラバース道が行者還小屋への道で、右の尾根に登る道が行者還岳山頂への道である。途中で一つのコブを越えるが、10分ほどで山頂に着いた。でも、山頂直下は急な登りであった。
行者還岳の山頂は樹林に囲まれて展望はない。山頂広場の真ん中に三等三角点が置かれていた。記念写真を撮って、早々に引き返した。

分岐からは尾根を緩やかに下って行く。すぐに小屋に着くのだろうと思っていたが、大面違いであった。すさまじい下りが待っていた。涸れた沢のような所を急下降するのである。木を組んだ梯子が掛けられていたのだが、これが三連にもなっていて長い。雨で濡れているため滑りやすくて、大変な下りであった。ザレた急な道を慎重に下って行くと、水場があった。ホースが2本引かれていて、水が勢いよく流れ出ていた。ここで水を補給した。2リットルのポリタンと、折りたたみの水筒に水を詰めた。さすがに4リットルになると、ザックがずんと重くなった。
沢のような所をよやく抜け出して、大きな岩の下を過ぎると、尾根の左を行くトラバース道になる。傾斜も緩やかで、岩場もなくなってほっとしたら、尾根の上に小屋が見えてきた。これが行者還小屋であった。昔は営業小屋だったのだが、今は避難小屋になっていた。でも、新しくてすごくりっぱな小屋である。これなら泊まっても十分快適である。まだ12時を少し過ぎたばかりなのだが、雨の中を歩くのはもうイヤなのでここで泊まることにしてしまった。今日は弥山まで行って、テントを張るつもりであったが、雨のテント泊は濡れたものの始末などが大変なので、ここに泊まってしまうのだ。
まだ昼なので、のんびりできる。
小屋に入って、濡れた雨具をロープに下げて干す。買ったばかりの雨具なのだが、下着もなにもびしょ濡れである。靴の中もビショビショで、もちろん靴下も水浸しの状況である。靴下を絞ってこれもロープに下げた。部屋の中にはこうしたものでいっぱいになってしまった。あとは、ラーメンをつくって食事をして、それからウィスキーの水割りを飲みながら、本を読んですごした。今回は、深田久弥の文庫本を2冊持ってきている。


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