1984年の1月、冬山を始めた。
この年、1ヶ月に3つの山に登って、冬山の基本を勉強した。
それからは毎年正月になると冬山に行くようになってしまった。

標高 2018m
やつがたけ

2003年赤岳・権現岳

1984年1月28日
初めて本格的な冬山に登る。
トレーニングのために、正月に雲取山、成人の日に金峰山と登ってきたが、最後の仕上げに厳冬期の八ヶ岳に登るのだ。
朝、5時少し前に起床。
小屋どまりの予定であるが、シュラフとかいっぱい詰め込んだら、去年南アルプスを縦走したときくらいの荷物になってしまった。
京王線で八王子に出て、国鉄中央線に乗り換え、予定通り茅野には8時55分に到着した。
バスの発車まで約1時間ある。
寒い中待つ覚悟を決めてバス停に歩きかけると、タクシー相乗りをしないかと誘われた。
バス代は750円だが、1100円で美濃戸口9時30分に到着することができた。
美濃戸口では登山届を出して、じっくり時間をかけて身支度をした。
マウンテンパーカーとスパッツ、アイゼンをつけて出発。10時である。
雪道というのはなぜかペースが乱れてしまう。
他人の踏み跡をたどってしまうので歩幅があわないし、ついつい急いでしまう。昨日寝たのが11時半で今朝は5時前に起きた。約5時間の睡眠だ。寝不足もたたってバテバテである。しかも、本格的な雪の山道を初めて歩いているので、何かしら緊張感と気がせくのとで十分な食事もしていない。
行者小屋に着く前頃から雪も降り出して、予定到着時間も大幅に過ぎてしまった。あせりにあせって、小屋の屋根が見えてきたときは、心底ほっとした。
小屋に着いてからはストーブにあたって、ずうっとうとうとしていた。
夕食は自炊で「鍋焼きうどん」を作ったのだが、まったく食欲がなし。
食事がすんでからは、コタツに入ってうとうとと8時半。
消灯時間が近づいてきて、割り当てられた部屋に行ったら、自分のスペースがなくなっていた。部屋にまったく顔を出していなかったのが良くなかった。
なんとか、空いてるところに割り込んだが、布団ががない。先客が全部使っていた。仕方がないので持ってきたシュラフを出してそれに寝た。
眠る前にトイレに行ったら、雪がしんしんと降っていて、明日はとても赤岳まで登れそうも無い雰囲気。まあ、ここまで来ただけでも十分雪山は楽しめたのだから満足するかと、あきらめて眠りについた。
山小屋ではどうも寝付かれない。夜中、何度も目が覚めて、時計を見ては、まだこんな時間かと寝返りばかり。

1月29日
明け方、うつらうつらしていたら、外は快晴だという声が聞こえた。
大変だ、こうしてはいられない。
あせって起きだして、朝食の準備。朝食は雑煮とトン汁。食欲はあいかわらずない。おまけに今朝は頭痛がする。常備薬のバファリンを飲んだ。
いつもそうなのだが、朝の支度に時間がかかってしまう。結局、小屋を出たのは7時15分頃であった。
昨日、美濃戸の赤石山荘のおばさんの忠告に従って荷物は極力小屋に置いていくことにした。
外はきれいに晴れていて、横岳の大同心とか、赤岳、阿弥陀岳がすばらしくきれいであった。この冬山の荘厳な美しい景色を見ただけでも、十分やってきたかいがあったというものである。
歩き始めたら頭痛もおさまってきた。
行者小屋の左手横から地蔵尾根に取り付いた。予定は赤岳に登って、再びこの道を引き返すつもりである。
最初は潅木の間を縫っての緩やかな登りであった。昨日はあせってペースを乱してバテてしまったので、今日のスタートはゆっくりペースを保つことにした。呼吸に合わせて、リズムをとりながら登って行く。
樹林帯を過ぎると、急激な登りがまちかまえていた。ピッケルのフル活用になった。つくづく冬山にピッケルは欠かせないんだということを痛感してしまった。
あとで、いろいろ考えてみると、この地蔵尾根は私のよう初心者がとるコースではなかったようだ。このときはともかく雪の急斜面と戦うのが精一杯であったが、本当に危険なコースを登っていたのだ。素人はこわい。
かなり深い雪の中、傾斜60度以上と思われる斜面を登って行く。足元の雪が崩れる。ピッケルを両手で前方に突き刺して、それにしがみつく。
踏み跡のあるところは雪がよくしまっているのだが、これを外すとピッケルはどこまでも潜り込んでしまう。
冬の八ヶ岳の厳しさはこんなものだけではなかった。
いよいよ稜線に近づいてくると、すさまじい風になってきた。
地蔵尾根は稜線間近かは岩場になる。その危険地帯に入ってきたのだが、そこにこの強風であった。
天気もしだいに下り坂に向かっているようだ。横岳、阿弥陀岳の山頂は雲に隠れてしまった。
ともかくすごい風であった。顔面の皮膚を突き刺すようにぶつかってくる。目出し帽をかぶっていたのだが、とても防ぎきれない。パーカーの帽子も引っ張り出してかぶったが、それでもまだ風を防ぎきれない。
下ってくる人とすれ違ったら、まつげに氷がついて白くなっていた。きっと自分もおんなじ顔になってるのだと思う。
風もさることながら、道はさらに険しい。鎖場が出てきた頃から、やばいの連続である。まず、ピッケルがきかない。雪は岩に薄くこびりついているだけで、ピッケルが突き刺さすことができないのだ。鎖は所々が雪に埋まって、凍り付いていている。トラバースする雪の急斜面、足元の雪が崩れる。
風は凄まじい圧力でぶつかってきて、雲も湧き上がってくる。
下りにこのコースはとれないと思った。
やっと、稜線が近づいてきて、人が歩いているのが見えた。最後の鎖場を攀じ登って稜線に飛び出した。
地蔵尾根分岐の指導標が立っていた。ほっとした。
ここからの稜線の道は何回か歩いた道である。もう、こっちのもんだと思ったら、さすがに厳冬期の八ヶ岳はそんなに甘くはなかった。
凄まじい風である。稜線に出たら、いっそう風が強くなった。
新田次郎の小説「孤高の人」の加藤文太郎は、最初の冬山でこの八ヶ岳に入山する。そして、この赤岳への稜線で強風に会い、吹き倒されるというシーンがあった。あれは作り話ではなっかたんだと思い知らされた。
本の知識で「耐風姿勢」というのを知っていたが、それを試すことになるとは思わなかった。
けっこうたくさんの登山者がいたのだが、強風帯を突破するのに間合いを計っているという場面が多かった。風の通り道があって、そこになんの構えもなしに踏み出したらまさしく吹き飛ばされてしまうのだ。これが冬山かと、その厳しさを思い知らされた。
赤岳石室にやっとの思いで飛び込んだ。
カワハギをかじり、甘いチョコレートを食べて、持ってきた魔法瓶のお湯を飲んだらやっと落ち着いた。
この間、悩んだ。赤岳山頂まで行くべきか否か。風はめちゃくちゃ強いし、ガスは湧きあがる。赤岳のあの急斜面を強風にさらされながら本当に登りきれるだろうか。逡巡することしばし。
しかし、ここまで来て八ヶ岳主峰の頂きを踏まずに帰るのはくやしい。
登ることにした。
準備として、マウンテンパーカーの下にセーターを着込んで、目出し帽は目だけ出すようにして、その上にパーカーのフードを深くかぶった。いよいよ赤岳をアタック。
夏山で足場が不安定だった岩場も、今は雪がついていてアイゼンがよくきく。雲が時々途切れて赤岳山頂小屋が見える。あそこまで登ったらいいんだと勇気付けられる。
1時間足らずで山頂に着くことができた。バンザイと大きな声で叫びたくなる気分である。
ついに冬山で2800mの山頂に立つことができたのだ。
本当にうれしかった。
さて下山だが、後から登ってきた人に訊くと阿弥陀岳のコルから下山するという。こっちの道をとることにした。
赤岳山頂からすぐの下りがやばい。自分にとっては怖い岩場だった。
ここを過ぎたら後はたいしたことがなくて、行者小屋には12時を少し過ぎた頃に帰り着いた。
小屋に置いてあった荷物を回収して、帰路に着いた。

以後、毎年正月は冬山に登ることになってしまった。


行者小屋から阿弥陀岳


大同心。この地蔵尾根を登る


赤岳石室小屋が見える


赤岳への登り


赤岳をバックに


赤岳への道


赤岳山頂


赤岳から阿弥陀岳のコルに下る岩場


下ってきて行者小屋前


横岳の岸壁に日があたってる






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