標高 2018m くもとりやま |
1984年の1月、冬山を始めた。 この年、1ヶ月に3つの山に登って、冬山の基本を勉強した。 それからは毎年正月になると冬山に行くようになってしまった。 |
私が冬山を始めたきっかけの本 |
その頃は、東京に住んでいたのだが、東京の仕事はけっこう厳しくて、ストレスのたまる生活をしていた。山にもろくに登れなかったのだが、そんな時、たまたま本屋さんで「山と渓谷12月号」を立ち読みした。 今でもそうなのだが、12月号は毎年冬山入門の特集をやっていて、それを読んだのだ。 八ヶ岳の冬山登山がグラビアで紹介されていて、自分にも冬山ができないだろうかと真剣に考えた。 もちろん、この「山と渓谷12月号」は買ってきて、家でじっくりと読んだが、ますます冬山への気持ちは高まってきた。 それまで、自分の頭には「冬山=遭難」の図式が固定観念としてあって、冬山は自分の「山」の範囲外においていた。 私はもともと青森県の津軽の出身なので、雪の怖さとか冬の寒さというのはよく知っている。だから、冬山は避けてきた。 ところが、山渓の特集記事では、入門のための装備とか、冬山でのアイゼン、ピッケルの使い方、雪道の歩き方なんかがやさしく書いてあって、これなら自分にもできるのではないかという気になってきた。 自分の山もマンネリになってきた頃だったので、思い切って冬山をやってみる決心をした。 本を教科書にまず、装備、道具類を買いに行った。 冬山に耐えられる皮の登山靴、それにあわせてアイゼン、それからピッケル、ダウンの入った帽子、目出し帽、オーバーミトン、スパッツ、ワカンジキ、マウンテンパーカー、ダウンジャケット等々。 道具の使い方は山屋さんで教えてもらった。 この冬山入門も、まったくの我流で始めることになった。 ともかくまったくの初心者なので、段階を踏んで難しい山に挑戦して行くことにした。 私の選んだ冬山入門最初の山は「雲取山」だった。 |
1984年1月1日 ただ雲取山を往復するだけではつまらないので、秩父まで行って、そこから三峰へ。ケーブルカーで三峰神社に登って初詣をして、そこから縦走をして雲取山に登ることにした。 多摩市の社宅から朝一番で出発したが、三峰神社に着いたのは昼過ぎになってしまった。 三峰神社は本当にりっぱな神社で、初詣客もけっこう多かった。登山道はしっかりしていて、まったくのハイキング気分。期待していた雪はまったくなかった。 この稜線の道はそんなにきつい「山道」という感じはしなかった。 霧藻ガ峰で3時を過ぎてしまったので、どこに泊まろうかと考えていたら藻霧小屋があった。ここで休憩しながら訊いてみると、泊まれるとのこと。この小屋の収容人員は10名くらいのものなのだ。 正月の小屋は、賑やかでけっこう楽しかった。 小屋のご主人が、正月だからとお酒を振舞ってくれた。 酒を飲みながら、ご主人が来年も是非、正月に来てくれと言っていた。 もちろん、営業のための話ではなくて、正月に山の好きな連中と過ごしたいという、ただそれだけの気持ちからなのだ。 全部で、泊り客は10人くらいだったと思うが、みんなてんでに是非来年も来たいと言っていた。(私は翌年から冬山にはまってしまって、正月は八ヶ岳とか西穂高に登るようになっていた。) 寝るのはみんなでコタツに足を入れてザコネだった。このとき失敗したと思ったのは、シュラフを持って来なかったことである。 買ったばかりのダウンジャケットを持ってきていたが、やっぱりこれだけでは寒かった。 小屋のご主人が、掛け布団を貸してくれた。助かった。
暗いうちに歩き始めて、前白岩山のあたりで明るくなってきた。さすがに朝は寒かった。 でも、正月に東京都の最高峰の雲取山に登れて大満足だった。 帰りは七ツ石山から鷹巣山、六ツ石山と縦走して奥多摩に下山した。この道は長かった。 |
2009年10月の登山記録 三峰神社 前白岩山山頂 白岩山山頂 大ダワ。日陰に少しだけ雪があった 雲取山山頂 山頂にて 七つ石山山頂 |
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