2006年冬九州登山
うしのとうげ

標高 918m
登山口→45分→牛ノ峠論所跡→5分→牛ノ峠山頂→5分→論所跡→35分→登山口

この山は登山してそんなに面白いという山ではない。でもこの道は江戸時代には都城と飫肥を結ぶ重要な街道だったのだ。山頂には天測点という八角の石柱がたっていた。
登山道から牛ノ峠

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2006年1212

都城の道の駅で寝ていたのだが、朝5時に目を覚まして、ファミレスに行って朝食をとった。ついでに、昨日の登山記録をパソコンに入力もした。
7時になってから今日の登山の牛の峠に向かった。都城からは10km余りである。
細い林道を走って行く。途中に牛の峠までの距離を書いた案内があった。
登山口の標識を探しながら走って行くのだが、道はどんどん山の中に入っていって、曲がりくねったダートな道になる。
こんなに登ってきてしまっていいんだろうかと思うころ、ようやく登山口入口の指導標があるところに着いた。
ガイドブックの地図と比較すると、どうも違う。
林道のゲートがあって、そこから林道を20分ほど歩くことになっているのだが、いきなり山道である。どうも、林道ゲートを過ぎて登山口まできてしまったようである。この山の所要時間は2時間5分なのだが、さらに縮まって往復1時間半になってしまった。
登山口から登り始めたのは750分である。
樹林の中を登って行くが、薄暗い中での登りだ。
照葉樹林の中を登ってゆく。最初のわずかの区間だけ急な登りであったが、あとは緩やかな登りが続く。
照葉樹の濃い緑の中を歩いて20分ほどで、左側が開けたところに出た。行く手正面には稜線が立ちふさがっている。そして下界を振り返ると、都城の市街とが見え、その向こうに高い山がそびえていた。方角は北西なので、調べてみると霧島連山であることがわかった。霧島山は意外と近くなのだ。
少し傾斜が増して、溝の中の道を登って行く。
左には伐採地が広がって、それをススキが埋めている。行く手の山を望むことができて、横に伸びる稜線のどれかが牛の峠のはずである。
ここから少し急な道になり、稜線にでる直下はすごく急な登であった。
稜線に出ると、そこには石の柱がたっていて、「従是東飫肥領」と刻まれている。ここは牛の峠論所跡なのだ。
この牛の峠は江戸時代には飫肥と都城を結ぶ重要な街道が通っていて、この峠をめぐっての領土争いが飫肥と都城であったのだそうだ。その決着がこの石碑というわけである。
ここで右折して稜線を山頂に向かう。5分ほどの道のりである。ほとんど平坦な道なのだが、古い倒木が多く、それはきれいな緑の苔に覆われていた。
山頂に着いたのは835分であった。
樹林に囲まれていて、展望は得られない。
山名標識はたっていなくて、三角点だけがあった。でも、その三角点は一等三角点なのだ。
山頂広場のすみに八角形のコンクリートの柱がおかれている。このようなものは何度か見ている。京都の大文字山山頂にもこれと同じものがあったと思う。
ガイドブックには、これは「天測点」だと書かれていた。天測点というのは星を観測して経度緯度を決める測量に使用されたものなのだそう。昭和2633年にかけて全国に48点設置されたという。初めて知った。
山頂にいても何もないので、すぐに引き返した。
登山口に戻ったのは95分であった。


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牛ノ峠登山口


照葉樹林の中を行く


右手が開けた


行く手に稜線が立ちふさがる


牛ノ峠論所跡


山頂への道


牛ノ峠山頂の天測点





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