熊野古道 大峰山奥駈け道をゆく
転法輪岳 1281m
倶利伽羅岳 1252m
行仙岳 1226m
笠捨山 1352m
平治宿→20分→転法輪岳→45分→倶利伽羅岳→1:15→怒田宿→15分→行仙岳→20分→行仙宿(佐田ノ辻)→1:30→笠捨山

笠捨山までの間には転法輪岳、倶利伽羅岳、行仙岳と3つの頂きを越えなければいけない。行仙岳の先には山の名前は記載されていないのだが、P1・P2・P3といくつもピークを越えなければいけないのだった。これはきつかった。
笠捨山

 転法輪岳・倶利伽羅岳から怒田宿(20番靡)へ
平治ノ宿を後にする


転法輪岳山頂


倶利伽羅岳への登り


倶利伽羅岳山頂


怒田宿

BACK 地蔵岳から平治ノ宿へ

2009812

平治ノ宿を出発したのは612分であった。今日は晴れている。天気がいいと、今日も頑張るぞという気がしてくるのだ。
小屋のトイレはいかにも古くて、これでは臭くてしょうがないのだろうと思っていたら、手動式の水洗であった。トイレの下が樋になっていて、用を足したあとで外のドラム缶からバケツで水を汲んで流すのだ。こんな工夫もあるのかと、けっこう感心した。
小屋から登山道に出ると、すぐに登りが始まる。ブナなどのきれいな林の中を登って行く。その林の下は背の高い笹藪なのだが、不思議なことに全て枯れてしまっていた。木漏れ日の急斜面を登って傾斜が緩やかになったら、苔むした大きな岩が横たわっている。
こうした尾根を行き、緩やかにアップダウンすると、小屋から
30分ほどで標識がいくつもたつ転法輪岳に着いた。標高1281m、二等三角点がある。樹林に囲まれていて展望はないのだが、木の間から見えるのは青空である。指導標には次の倶利伽羅岳までは60分と書いてあった。地図を見ると、平治ノ宿よりも距離がないのにどうしてだと思う。とんでもない険しい道ではないかと、イヤな予感がした。(当たっていた)
山頂から下って行き、30分ほどのところで登り返す。きついが広い尾根の登りである。でも、尾根の右を行くようになったら、険しい岩場が現れた。木の根や岩につかまって登って行く。ようやく桧と自然林の間の尾根道になってほっとしたら、それも束の間、露岩の多い急斜面をトラバースするのだった。これを必死で登って、最後に大きな岩の間をよじ登るとようやく倶利伽羅岳山頂であった。本当に1時間かかってしまった。指導標と石標がたっていて、その横の少し高くなったところに、奉納の木札がたくさん置かれていた。
山頂から下って行く。背の高い笹藪の間を行くようになって、5分ほど下ると道の真ん中に石標がたっていた。ここで奥駈け道は尾根から外れて右に下るのだ。道に覆い被さる笹を掻き分けるようにして下って行く。地図にはこの道を「横駈道」と書いてある。尾根の横を行くのかと思ったら、そうでもないのだ。すぐにブナなどの広い尾根になった。でも、時々、痩せた険しい道になったりする。樹林が途切れたところからは、ギザギザの起伏を切り返す尾根が見えた。(あとでわかったが、これが笠捨山から地蔵岳に続く尾根であった)
道は木の根が網のように張り出した広い尾根の登りになって、急な登りが続く。ようやく傾斜が緩まって、日のさす緑の平坦地に着くと、そこが怒田ノ宿であった。「大峰奥駈け75靡」の20番靡である。倶利伽羅岳から1時間たっていた。



 行仙岳(19番靡)から佐田ノ辻へ
行仙岳山頂


山頂から鉄の階段を下る


すぐに行仙宿まで15分の指導標があった


佐田ノ辻の石標


怒田ノ宿に立つ指導標には行仙岳まで
10分と書いてあった。ガイドブックには15分と書いてあるのだが…。今日は快調なペースで歩いているので、これを10分で登ろうと張り切って登り始めた。ところがすさまじい急登であった。広い尾根を細かにジグザグして登って行く。ゆっくり登ればよかったのに、変に張り切ったためにペースを崩してしまって、バテてしまった。息を切らして、ようやく樹林から抜け出す。目の前にはアンテナ塔が聳えたっていた。急な斜面をもう少し登ると、林に囲まれた行仙岳山頂に着いた。20分もかかってしまった。ここは「大峰奥駈け75靡」の19番靡である。
山頂の真ん中には巨木がたっている…のだが、折れてしまったのか3mほどの高さしかなかった。ここで、ザックを投げ出すように降ろして座り込んでしまった。疲れた。
山頂から少し西に下ったところにアンテナ施設の建つ広場がある。そこからは南の展望が広がっている。ここらかは笠捨山とそこから右に連なる地蔵岳の長い尾根が見えた。笠捨山はいくつものピークの奥に聳えていて、笠捨山から地蔵岳までの尾根はけっこうデコボコしている。(あとでこのコースではメチャクチャ苦労させられるのだ)
山頂から少し下ったところからは、今日歩いてきた稜線が一望できた。倶利伽羅岳とその右に吊り尾根でつながった転法輪岳が見えた。
展望もできて、息切れも収まったので山頂に戻る。
再び重いザックを背負って、笠捨山を目指す。山頂からは鉄の階段を下るのだ。パイプの手すりもつけられていた。すぐに傾斜が緩まったが、そこには行仙宿まで15分の指導標がたっていた。林の中の急な下りが続いて、その途中からは笠捨山をきれいに眺めることができた。
行仙宿に着いたのは945分である。何棟かの小屋がたっていて、大きな施設である。一つは管理人の家なのかもしれない。真ん中が山小屋である。中はすごく広い。この中に上がって休憩させてもらった。小屋の入口に大きなポリタンがいくつもあって、水がいっぱい入っている。昨日、水をほとんど使ったので、これで補給させてもらった。
小屋の次にたっているのはお堂であった。佐田ノ辻という石標があった。



 佐田ノ辻から笠捨山(18番靡)へ
すぐに左折して尾根に向かって登る


捲き道が分岐する、ここはまっすぐに尾根を登る


いくつものピークを越える


東峰と西峰の鞍部に着いた


笠捨山山頂


尾根の右側に水平な道が続いているが、奥駈け道は左折して尾根筋を登って行くのだ。少し行くと「から池」という石標がたっていて、尾根の左に大きな窪地がある。水はないのだが、池の跡のようでもある。
ここから少し行くと、送電線の鉄塔の横を過ぎた。その送電線を目で追うと、地蔵岳の尾根の上に通じていた。

すぐに林の中に入ったが、そこにも尾根から外れて右に行くトラバース道があった。ラクなこの道を行きたくなってしまう。
ここから急な尾根を10分ほど登って平坦地に着くと、そこには杉の巨木がたっていた。半分枯れたような古木で、その根元には「大峯八大金剛童子」と刻まれた石標があった。靡かと思ったがそうではなかった。
私の地図には、笠捨山山頂までのあいだにP1からP4までの表示がある。ここがP1なのかと思う。この先、まだ3つもピークを越さなければいけないのだ。
この先は本当に大変だった。ピークをいくつも越えて行く。あと3つのピークだと思ったのは間違いで、アップダウンの連続であった。樹林の中を登ったり下ったりするので、どのあたりまできているのかさっぱりわからない。時々、視界が開けるが、笠捨山はまだいくつものピークの向こうに見える。急な登り下りも多くて、虎縞のロープが下がっている。
さっき、行仙岳の登りで頑張りすぎて、体力を使ってしまったみたいだ。
P1から1時間半も登って、樹林のピークに立つと指導標があって、ここで右折する。ここは笠捨山の西峰と東峰の鞍部であった。笠捨山は双耳峰で、東峰には反射板がたっていて、西峰に三角点があるのだ。普通だったら東峰にも寄るのだが、その元気がない。そのまま西峰に向かった。すぐに樹林から抜け出して、明るい山頂に着いた。1147分であった。笠捨山は「大峰奥駈け75靡」の18番靡である。
山頂には屋根がかけられた石碑があって、広場の端の桧の根元には二等三角点があった。山頂広場には大きな丸太を横にしたベンチがあったので、ここで長目の休憩をとることにした。ともかくバテてしまった。ここで靴を脱いで、靴下などを乾かし、暖かい日差しのなかでのんびりしてしまった。


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