私の近畿の山百選
ようりゅうさん

標高 1008m
中の橋駐車場→40分→摩尼峠→15分→摩尼山→35分→楊柳山山頂→30分→子継峠→25分→転軸山登山口→20分→転軸山→15分→多目的広場→25分→黒河口女人堂跡→20分→不動坂女人堂→25分→弁天岳→20分→高野山大門→40分→上水峠→15分→ろくろ峠→30分→円通律寺→40分→中の橋駐車場

高野山の寺院群をくるりと山が取り巻いている。これを高野八葉というのだが、その代表的な山が楊柳山・摩尼山・転軸山である。高野山はかって女人禁制であったため、女人結界に沿って女人道が通じている。私はこの女人道をたどって高野山を一周した。
楊柳山山頂の標識

 中の橋から摩尼山へ
中の橋駐車場


摩尼トンネル


ここから登り始める


鬱蒼とした杉林を行く


摩尼峠


樹林の中を行く


摩尼山山頂


BACK 生石ヶ峰

2009520

生石ヶ峰から車を走らせて、なんか久しぶりに人間界に降りてきたという気がした。スーパーで自由に買い物ができて、ようやく食料が補給できた。さらに、ほとんどカラになっていたガソリンも補給できた。すごく安心した。
でも、泊まった道の駅は、真夜中もけっこう出入りが多くて、大型トラックが次々とやってくるのだ。スーパーで買ったビールで、すっかりいい気持ちになって、いつの間にか眠ってしまった。

521

5時頃に起きて、洗面をして出発。高野山に向かうのだ。今日登る山は高野三山の楊柳山なのだが、もちろん他の二つにも登ってしまうつもりだ。
高野山は空海が開いた金剛峯寺を中心とした寺院の町なのだが、寺院を取り囲むように八つの峰が聳えている。高野八葉という。この山を一巡するように登山道が整備されているのだ。この道が女人道である。
かって、高野山は女人禁制の山で、これが解禁されたのは明治5年のことである。でも、実質的にはその後30年間も女人禁制のままだったらしい。ともかく高野山にお参りできない信心深い女性たちのために、結界線に女人堂をたて、そこからお参りしたのだ。それが7カ所あって、これを巡るのが女人道である。
ガイドブックは不動坂口女人堂から出発して、ぐるりと一周してここに戻るように紹介しているのだが、私は車なので、無料の駐車場のある中の橋を起点にすることにした。もちろん一周するのだ。
今日の天気は曇りで、もしかしたら雨が降るかもしれない。そのときは三山だけ登って中の橋に戻ってくるつもりである。中の橋は高野三山のすぐ近くなので、エスケープするにも便利なのだ。
中の橋の駐車場に着いたのは6時半であった。朝早いので、車はほとんど停まっていない。この中の橋は空海が眠るという「奥の院」の入口なのだ。
出発は640分である。車道を摩尼トンネルに向かって歩いて行く。なんか今日は腰が痛くて、歩くのつらい。昨日、変な姿勢で寝てしまったらしい。
町の中を歩いて行って、15分ほどで分岐があった。まっすぐ行くと摩尼トンネルなのだが、それは通行止めになっていた。
このトンネルの手前、左に登山口がある。民家の横のすごく細い道で、大丈夫なのかと心配になってしまう。この入口には「高野山女人道」の指導標があって、次のポイント摩尼山まで1.3kmと書いてあった。この指導標はこれから必ず分岐毎にたっていて、おかげで道に迷うことはなかった。
細い山道を上るとすぐに広い山道になって、丸太で階段もつくられていた。
杉林の中を急登していくが、すぐに平坦な尾根道になった。道端には小さなお地蔵様がたっている。さすが、高野山である。
お地蔵の先も鬱蒼とした杉林の道が続き、緩やかにアップダウンを繰り返して登って行く。
道端に役行者の石仏があった。高野山奥の院と大峰山山上ヶ岳を結ぶ道は熊野古道の一つで、今も修験行者が歩く道なのだ。大峰山奥駈け道という。役行者像は奥駈け道の標石でもあるのだ。ちなみに、大峰山寺がある山上ヶ岳は今も女人禁制である。
ここから下って行くとすぐに峠に着いて、ここが摩尼峠である。巨木に下に御堂があった。
この先も平坦な道が続くのだが、5分ほど行くとようやく急な登りになった。これを登り切ったら山頂だと思っていたが、そうではなかった。ピークからは緩やかに下って、それから再び平坦な道が続く。登山道はすべて深い林の中なので、山がどんなふうに連なっているのかさっぱりわからない。
急な斜面を登って摩尼山山頂に着いたのは932分であった。山道に入ってからまだ40分しか経っていない。高野三山は山の規模が小さいので、すぐに登れてしまうのだ。
山頂はけっこう広くて、真ん中に立派な御堂がたっていた。この前で記念写真。
次の楊柳山までは1.6kmである。この楊柳山が高野三山では一番高いのだが、摩尼山とは4mの差だけなのだ。



 楊柳山と転軸山
左楊柳山の石柱


黒河峠には祠があった


楊柳山山頂


転軸山山頂


摩尼山からジグザグに下ると、ふたたび平坦な歩きになる。

目の前に大きな山が迫り、これに向かって急登する。一息つくところに石柱がたっていて、左楊柳山と書いてある。目指していたピークは楊柳山ではないようで、道は山腹を捲いてから下りになってしまう。楊柳山ってけっこう遠いのだ。
下り着いた鞍部には祠があった。指導標によるとここが黒河峠で、楊柳山までは600mなのだった。
この山は区間が短いので、すぐに山頂に着くと思うのだが、急な登りがあってもその先は平坦であったり、下りになったりでなかなか山頂に着かないのだ。
急な階段の道になって、これがジグザグに続いている。これを登り切ったら、ようやく楊柳山山頂であった。この山頂はさっきの摩尼山とそっくりで、真ん中に同じような御堂が建っている。御堂の横に楊柳観音と刻まれた石柱がたっているので、御堂の中を覗いたら確かに観音像が座していた。この石柱は天保5年のものであった。さすがに高野山である。
楊柳山から次のポイントの子継地蔵までは600mである。山頂からジグザグに下って行くと指導標があって、一本杉への分岐を示していた。でも、この一本杉への道はこれから何度も現れるのだ。どんな重要な場所なんだと思ってしまう。
樹林の中のアップダウンを繰り返し、大きく下って峠に着く。ここがガイドブックに子継峠とかかれているところである。ここにはやはり小さな御堂があって、そこにお地蔵様が収まっている。子継地蔵というのだが、どんな伝説があって、この名がついているのだろう。
この峠で左折する。次のポイントは転軸山で2kmである。高野三山というのは摩尼山・楊柳山・転軸山のことなので、これに登ったら、高野三山終了になる。
沢に沿って下って行き、平坦になると鬱蒼とした杉林から抜け出して、明るい草地の道を行くようになる。この先では一本杉への分岐が三度現れた。
どんどん歩いて行くと車道に出てしまった。でも、このすぐ右に再び登山道の入口がある。ここから転軸山へは500mであった。
階段道を急登すると一旦平坦になって、再び急登すると転軸山山頂であった。ここの山頂にも御堂がたっている。横に小さな宝筺印塔があった。



 転軸山から女人堂へ
転軸山から階段道を下る


東屋があった


高野森林公園からは車道を行く


小さな神社の左に登山道入口


女人堂に着いた


転軸山の次のポイントは女人堂であった。距離は長くて、
3kmもある。
階段道を下って行くと休憩場所があって、そこで左折する。道にはきれいなシャクナゲが咲いている。でも、植物名の標識にはシロヤシオと書いてあった。シャクヤクとは違うのかとあわててしまう。私は本当に花の名を覚えることができないのだ。
東屋を右に見て、さらに下ると池があった。ここがシャクナゲ園らしい。
民家の中の道を下って行くと、大きな霊園の前に着く。でも、そこの指導標には高野山森林公園と書いてあった。
このすぐ先に大きな駐車場があってビジターセンターのようなものもあったので、森林公園があるのだろうと思う。
車道を歩いて行く。緩やかに登って行くのだが、指導標が現れなくて、本当にこの道でいいのか心配になってしまった。ようやく道端に指導標があって安心したが、転軸山からはまだ1.2kmしか歩いていなかった。
道は下りになって、集落の中に入って行く。鶯谷という集落であった。
この中を歩いて行くと、集会所のような建物のアルミ戸に指導標が貼り付けてあった。ここで左折しなければいけないのだ。危うく見落とすところであった。
集落を抜け出て緩やかに登って行くと、峠の近くで広い車道と合流した。そこには鶯谷のバス停があった。
車道を歩いて峠を越えるのだが、この峠が黒河口で、昔女人堂があったところである。切り通しの壁の上に標識がたっていた。
峠から少し下ると、指導標があって右の路地に入る。すぐに左折して山道に入ると鳥居がたっていた。有刺鉄線の柵に沿って登って行くと神社の境内に着く。
この御堂の左奥にある道に入ると、鬱蒼とした照葉樹林のトンネルであった。ここからはきれいな自然林を行くのかと思ったら、すぐに杉林になってしまった。
ひたすらアップダウンを繰り返して歩いて行く。
遊歩道という指導標が現れると、このあたりは「高野槙」の保護林であると書かれていた。確かに、杉や松の木に混じって高野槙が生えている。
ここから少し行くと下に車道が見えてきて、御堂の屋根が見えてきたので女人堂は近いと思ったが、ぐるりを回り込んで女人堂の前に出るのだった。
ここが不動口女人堂である。女人堂は女人禁制が解除されてから姿を消してしまったのだが、今も残っているのはここだけなのだ。
この女人堂の前には「お竹地蔵」という大きな鉄の座像が聳えている。これは江戸に住むお竹さんという人が寄進したので、その名がつけられたという。女人堂の前を通る道は、ケーブルカー駅からのバスが通る道で、高野山の入口のようになっている。大きな石灯籠が門のように道の両側にたっているのだ。
私のガイドブックはここを起点にしている。ともかく、ここで長い休憩をとった。今日のコースの半分以上は歩いたことになるのだが、全行程は16kmほどもあって、すごく長いのだ。ここまでで、足が痛くなってきた。



 弁天岳から中の橋へ
女人堂からの登り口


弁天岳山頂


お助け地蔵


バス停の後ろの細い階段を登って、弁天岳を目指す。杉林の中をアップダウンを繰り返して
15分ほど行くと、谷上女人堂跡という表札があった。
深くえぐれた字の道を登って、さらに木の根の張り出す急斜面を登ると、ピークに鳥居が見えてきた。ここが弁天岳山頂であった。
山頂にはこれまでと同じように御堂があるのだが、稲荷神社みたいに赤い鳥居が五つ重なって立っている。その奥の御堂も赤く塗られている。これは弁財天を祀る祠なのである。
ここから次のポイントの大門までは900mであった。
最初は視界の開けた道を下る。樹林に入ってどんどん下って行くと、テーブルとベンチがおかれた休憩所があって、その先から鳥居が頻繁に目に付くようになった。
樹林から抜け出して新しい赤い鳥居をくぐると、そこが大門の前であった。
その名前の通りすごく大きな門で、京都南禅寺の山門を思い出してしまう。この門は国の重要文化財に指定されているのだが、元禄元年に一度焼失して、宝永2年に再建されたものなのだ。
大門の前で、道が大きくカーブしているのだが、その角で林道が分かれている。お助け地蔵尊という石の案内がたっている。
この林道に入ると再び道が左右に分かれる。左が本コースなのだが、私はせっかくなので、お助け地蔵に立ち寄ることにした。
200mほど行くと、樹林の向こうに御堂が見えてきた。これがお助け地蔵であった。



 お助け地蔵から中の橋へ
伐採地を行く


相ノ浦口


大滝口を振り返る


円通律寺


弥勒峠


中の橋駐車場に戻った


私はさっきの分岐まで引き返さなければいけないと思っていたのだが、ここからそのまま女人道は続いていた。
鬱蒼とした樹林の中を10分ほど行くと車道に出る。この車道を右に上って行くと右に山道があって、これを行く。杉林の中、有刺鉄線の柵に沿って歩いて行く。谷に沿って下って行くと再び車道にでるが、すぐにこの車道を横切って山道に入る。ここに立つ指導標には、次のポイント「のろくろ峠」まで1.1kmと書いてあった。
急な尾根を上って行くのだが、そこから見える山肌は、伐採されて丸裸である。痛々しい。200mほど登ると「左、くまのみち」と書かれた石柱があった。ここで字に左折して、再び急な道を登って行く。伐採された裸地と残された植林との境界を行く。伐採のおかげで展望が開けていて、遠くの山々を眺めることができるのだが、何という山なのかはわからない。振り返ると、弁天岳とその下に多宝塔の一部を見ることができた。
緩やかに登るようになると、指導標がたっているのが見えた。ここが相ノ浦口であった。ここにも昔は女人堂があったという。
相ノ浦口で左折して樹林の中に入って登って行く。ピークには鉄塔の跡があって、そこから下ると樹林から抜け出して、アンテナ塔がたつピークが見えた。登り着いたら、ここが高野山を一望できるというビューポイントであった。紀伊名所図絵にも紹介された所というのだが、育った杉がジャマをして、高野山の全体を眺めることはできない。かなり期待して登ってきたのだが、悔しい。展望をジャマする木なんか切ってしまえと叫びたくなる。
ここから下って行くと、後ろから追いついてくる人がいる。外人であった。女人堂でも外国観光客を見かけたが、さすが、世界遺産高野山である。
ビューポイントから300mほど下ると林道に降り着く。ここが「ろくろ峠」で、高野山の大滝口である。ここにも昔は女人堂があったという。
林道を歩いて行く。10分ほどで左に下る山道に入る。階段道を下って行くと、道は字にえぐれたものになって、これをどんどん下って平坦になったところで小さな流れを渡る。このすぐ先で円通律寺の参道に出る。このお寺は修行道場なので境内に入ることはできない。せめてもと、山門の写真を撮りに行った。
林道を少し下ると再び山道に入る。ここから中の橋の駐車場までは2.5kmであった。まだ遠い。
山道を緩やかに上って峠に着くと、そこに御堂があって中にお地蔵様のような石仏が収まっていた。ここが弥勒峠である。とすると、この石仏は弥勒菩薩なのだろうか。ここから中の橋までは2.3k、かなり登ってきたつもりだったが、さっきの指導標からまだ200mしか来ていないのだ。がっかり。
このすぐ先に大峰口女人堂跡の標識があった。
山道をどんどん下って行く。
10分ほど下ると小さな沢を渡るのだが、「大峰口札場」という標識がたっていた。ここから先に女人は入ることができなかったのだ。
民家の屋根が見えてくると、すぐに林から抜け出す。草地の広場があって、このすぐ先が中の橋駐車場であった。車の前に戻ったのは13時半である。
疲れ果てた。


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