さじきがだけ

標高 896m




桟敷ヶ岳は私にとってのこだわりの山である。昔、東海自然歩道を歩いていたときに、いつか登りたいと思っていた。
桟敷ヶ岳山頂


2002年728

京都の北山に桟敷ヶ岳という山がある。
この山は伝説のある山で、王位継承の争いに敗れた惟喬親王がこの山に桟敷を作って京の街を眺めたのだそうだ。
一度は登りたいと思っていた山である。

この山に惹かれるのはもう一つ理由がある。

私は昔、大阪に住んでいたときに東海自然歩道を歩いていた。このおかげで山の基本的な技術を見につけることができたのだが、ともかくこの頃は山のことはほとんど知らない頃であった。
東海自然歩道は、この頃はまだ整備が完全に終わっていなくて、道に迷うような箇所も多かったのだ。私が、初めて山の中で道に迷って途方に暮れたというのは東海自然歩道の貴船から山幸橋に抜ける道である。
薮の中を歩きまわって、日が暮れる頃にようやく山幸橋にたどり着いた。
そのとき、バス停には登山グループ5人ほどがバスを待っていた。待ち時間が1時間以上もあったと思うのだが、そのとき彼らが歌を歌い出したのだ。
このころは、職場のサークルが全盛の頃で、組合活動も盛んだったし、そんななかで、けっこうみんなで歌を歌うということは多かったのだ。
カラオケができたのは、ずっと後のことで、伴奏なしでうたうのはあたりまえだった。
彼らはここで歌唱指導を始めたのだ。
そのとき歌っていたのが「赤い花白い花」という歌で、もちろん私は初めて聞く歌だった。
彼らは、その歌を覚えようと、なんどもなんども繰り返す。おかげで私もその歌を覚えることができた。
そのとき思ったのは、「山の仲間というのはいいもんだなあ」ということだった。
このときの情景は夢か幻のような記憶になってしまっているのだが、暗くなって山から下りてきたとき、なぜかこの時のことを思い出してしまうのだ。
まだ山のことを何も知らなくて、道に迷って散々な目にあって、疲れ果ててバス停の傍に座り込んでいたあの時。
あの時覚えた歌が、たまらなく懐かしく思い出されるのだ。
そして、時々思うのは、彼らはどの山から下りてきたんだろうか、ということだ。
地図を広げてみると、山幸橋の北にあるのはこの桟敷ヶ岳である。
彼らはこの山から下りてきたんだろうか、と思う。
あの遠い昔のことを思い出すと、いつもこの京都北山のことが思われて、一度は登ってみたいと思っていたのだ。


京都の出町柳から雲が畑岩本橋行きの一番速いバスは810分である。
そうすると西向日の駅からは724分の電車に乗ればいい。
阪急で四條河原町まで行って、少し歩いて京阪線に乗り換える。
京阪の出町柳に着いたのは8時少し前。
鞍馬行きの京福電車の駅の前にバス停はある。
なんか7人ほどの中高年登山者集団がバスを待っていた。
バスは定刻に出発。
一旦、鴨川を渡って市街の中にバスは入っていく。
町の中をどう走ったのかよくわからないのだが、再び加茂川に出る。
このあたりで、街の建物群から開放されて視界が開けた。北山の山並みが見えてきて、あのなかのどれが桟敷ヶ岳だろうかと探してしまった。
川に沿って走って行くと、次第に両側の山が迫ってきて、谷あいの道を走るようになる。
山幸橋を過ぎて、すぐに東海自然歩道の分岐。
さらに山の中の道を行く。山間の小さな村落をいくつか過ぎていく。
このあたりのこうした里の景色というのは風情があって好きだ。古い民家も残っていて、大きな三角屋根でそこに家紋が飾られている。昔は茅葺きだったのだろうが、今はとたんで覆われている。
こんな家の造りは大原の里でもみた。
さて、バスは1時間くらい走って、終点の岩屋橋に着いた。
バス道をまっすぐには、なんか料亭のような店が並んでいる。
登山道は左に入って橋を渡る。
一緒にバスに乗った中高年の登山グループは真っ直ぐの道を行くようだ。いったいどこに行くつもりなんだろう、と思ってしまった。
さて、橋を渡って舗装された道を行く。この道は岩屋山不動の参道なのである。
30分ほど、けっこう傾斜のある道を登っていくと少し広い駐車場に出た。道の突き当たりに広い幅の石段があって、お寺の境内に登っていける。岩屋不動西明院である。
登山道はこのお寺の駐車場の右にある細い道である。
この登山道に入る前に、ちょっとお寺の境内を見ようと思って石段を登ると、そこに拝観料の受付があった。めんどうなので止めて、そのまま登山道に入った。
でも境内の向こうに、なんか歴史を感じさせる山門が建っているのがみえた。
拝観すればよかったかな、と少し悔やんだ。
さて、ここからは山道である。
登山をしているような気がしてきた。樹林の中の道を登っていく。
ガイドブックには45分で薬師峠に着くと書いてあったが、30分ほどで峠に着いてしまった。峠の手前に六地蔵がたっていた。
あまり古いものとは思えないのだが、なんか峠に立つ六地蔵というのは情緒を感じるではないか。
峠で少し休憩。
峠からほんの少し行くと小さな墓地があった。墓標を見ると安政と年号が刻まれている。江戸時代の墓地なのだ。
峠からは傾斜は緩やかになって、樹林の中の道をゆっくりと登っていく。
途中一個所だけ展望の開けたところがあった。といっても西側の方向だけで、山間に集落が見えるだけのものだったが。
ここから道は岩原山の東側山腹を巻きながら続いている。
うっそうとした林の中を歩いていく。
1時間ほど行くと、樹林の向こうに送電線の鉄塔が見えてきた。
この鉄塔のあたりは樹木が切り払われていて、展望が開けた。
どっちをむいても山が連なっている。
京都北山というのは本当に深山という気がする。
その山並みにまっすぐに送電線の鉄塔が連なっていた。
ここからは一旦下って、すぐに登り返すと、そこが桟敷ヶ岳の山頂であった。
山頂は木々に囲まれていて、展望は少しだけ。
自分以外には誰も居ない山頂であった。
山頂の真ん中に三角点と、古い指導標が立っていた。
木陰に座り込んで軽く食事。
静かである。
山頂は北東の一部だけ展望が開けている。でも、そこから見えるのはそんなたいした景色ではない。ただ、私がこの桟敷ヶ岳の山頂でいいなと思うのはこの静けさである。
京都北山、本当に深山だと思う。
山頂から下る。
すさまじい下りが待っていた。
杉林の中の下りなので、高度感はないのだが、両手もフル稼動させなければいけない急峻な道である。ほとんど断崖を下っているのに似ている。
30分ぼどで、林道に出た。
この林道から桟敷ヶ岳に入るところには、指導標が建っているのかと思ったらそうではなかった。道端の杭に黄色のテープが巻き付けられているだけだった。
これでは、ここが桟敷ヶ岳の登山口とはわからないではないか。
林道をただひたすら歩く。
バス停に着いたのは1時半頃。
次のバスは2時半である。1時間も待ち時間がある。
面倒なのでバスの来るまで、このバス道を歩くことにした。
この道は古い民家が残っていたりして、歩いていてけっこう楽しい。
…とはいいながら、アスファルトの道を歩くわけだからけっこう疲れる。
東海自然歩道の分岐に着いたのは2時半頃。ここまで来たのだから山幸橋まで歩くことにした。最近歩いたこと道なのだが、意外と早くバス停に着くことができた。245分であった。山幸橋からのバスは254分、余裕である。
さて、1時間半以上もかけてせっせと歩いたわけだが、これをお金に換算するといくらになるんだろうか。
出町柳から岩屋橋は550円であった。この山幸橋から出町柳の運賃は350円なのだ。
私の1時間半の歩行は200円だったということになる。
…こんなに疲れたのに。


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岩屋橋バス停


林道を登っていく


岩屋不動


樹林の中の登山道を行く


薬師峠の六地蔵





下界の集落が見えた


送電線鉄塔の前に出る


山頂だ


山頂三角点


山頂からの展望はこれだけ


杉林の中を急降下する


やっと林道に出た


林道を行く


山幸橋バス停。疲れた




一番展望が開ける送電線鉄塔から




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