1999年9月3日(金)
夜の9時頃に家を出て、鹿沼から東北自動車道に乗って、郡山の先のジャンクションから新潟へ向かう磐越自動車道に入る。
この道は高速道路だというのに1車線だけで走りにくい。それでも深夜なので車は少なくて、遅い車がいてイライラするということはなかった。安田というICでおりる。
安田から一路北に向かい、新発田を経由して越後下関を目指す。信号がなくてけっこう走りやすい道であった。国道から越後下関駅に入っていくY字交差点にコンビニがあったので、ここでビールと明日の朝食の稲荷寿司を買った。
駅には深夜1時半頃に着いた。駅の待合室には明かりがついていたが、9時以降はここを使ってはいけないと張り出しがあった。
駅の横に駐車場があったのでここに車を止めて、ビールを飲んで寝た。
9月4日
越後下関7:22→7:45大石→9:55イズグチ沢→11:52ゼガイ沢→13:05大熊小屋13:30→15:46一杯清水→18:45杁差小屋
朝、目が覚めたら6時であった。ちょっと寒い。
駅前をぶらぶら歩いて、バス停まで行った。 ここから7時22分発のバスに乗って、7時45分に大石へ着く。
大石のバス停前から歩き始めたが、最初から道がわからない。地図を広げて方向を確認。
ダムに向かって坂道を登っていく。大石ダムはきれいなダムだが、観光化も進んでいるようで、いろんな施設がある。ダムの上を渡っていくのだが、ここから少しガイドブックの地図と違うことに気がついた。(今回の山行ではガイドブックが古いことによる間違いがけっこうあった。)
ガイドでは車がかなり奥まで入れるはずなのに、ダムのところでもう車は進入禁止である。そしてダムを渡りきったところにトンネルがあるのだが、ガイドでは信号のある狭いトンネルとなっている。しかし、今は完全に車なんか通れない歩行者用のトンネルであった。中は真っ暗。トンネル入り口の上に、藁で作った蛇がかけられていた。これは青森の五所川原にあった、虫送りの竜の藁人形に似ている。
ともかく真っ暗なトンネルを抜けると、ダム湖に沿った道になった。舗装された道である。
これを1時間ほど歩くと赤く塗られた立派な吊橋があった。これを渡りきったら…、道がない。
あわててよく見ると、左に細い山道がある。こんな立派な吊橋の後なので、まだ舗装の道が続くものと思ったのがあさはかだった。
ここからは谷の急斜面に、というよりは絶壁に作られた細い道をひたすら歩くだけである。イズグチ沢についたのは予定より25分も遅れた。なんか今日は調子が悪い。
イズグチ沢は深く切れこんでいて、かなり奥までさかのぼってから沢を渡渉する。渡渉地点で一休み。天気は上々である。天気図で予想した通り、日本海側は天気がいい。
イズグチ沢からさらに遡る。谷はさらに深い。深山幽谷とはこのことか、と思ったりする。山道から見下ろす谷底ははるか下で、きれいな水が白いしぶきを上げている。
ガイドに書かれた「十貫平」らしきところを通る。ブナ林がきれいということなのだが、疲れていてそんな余裕はなかった。
次の目的地点はゼガイ沢なのだが、これがわかりにくいところ。沢にぶつかってこれを渡渉したところで道がない。少し沢を遡ってみたがわからない。もう一度引き返してよく見ると、少し下流の対岸に鎖が下がっていた。踏み跡がはっきりしないため、もう少しで道に迷うところであった。
さらに沢を遡る。ガイドには金山跡などと出ているのだが、それらしきものはまったくなかった。自分がいるところがどこなのか自信が持てなくなってしまった。
ゼガイ沢でさらに40分遅れた。
大熊小屋についたのは13時5分。ここには水場があったので、冷たい水で昼食にする。小屋に入ってみるとザックが4つほどあって、蚊取り線香がたくさん炊いてある。人はいない。水場にはビールが6個冷やしてあった。うらやましい。
30分弱休んで出発。もうこのあたりで標準タイムから1時間半遅れている。
これでは杁差小屋に着くのが6時くらいになってしまいそうだ。だいぶあわて始めた。
小屋から20分ほど歩いて、道が沢に下り始める。ガイドではまっすぐに尾根を登っていくことになっている。おかしいので小屋に引き返した。小屋の壁に貼ってあった道標を確認するが、道は間違いないようである。もう一度同じ道を行くと、下山してくる人に逢った。道を確認すると、地図を見せてくれた。自分のガイドに書いてある地図と道が違っている。考えてみると、自分が持っているガイドブックは昭和58年のものである。もう16年も前のものだ。道が変わっていて当たり前かもしれない。
ともかく、さらに時間を無駄にしてしまった。
沢に下って橋を渡ったが、これが簡単な代物で、丸太が2本に、手すりとしてワイヤーが1本張ってある。
これを渡ったところから本格的な登りになった。
さっきすれ違った人が、とんでもない急な下りだったと驚いていたのだが、私にとってはとんでもない登りということになる。
一杯清水に着いたのは15時46分。ここまではひたすら急な尾根を登り続けてきたのだが、地形を見ながら水場ならあそこだろうと見当をつけ、それを何回か裏切られて、やっと辿り着いたのだ。
この一杯清水では水がかすかに流れているのだが、とてもコップに汲めるほどではない。杁差小屋には水場がないはずなので、ここから水を節約することにした。
少しピッチを上げて登り始める。杁差小屋まではここから2時間20分かかる。そうすると到着は6時半ころになるのではないか。今の時期、6時といえば暗くなってしまう。これは時間との勝負、日没との勝負になりそうである。
あせって登って行くと、突然視界が開けて杁差岳の頂上が見えた。もう日が沈もうとしている。頂上には4・5人の登山者が立っているのが見える。もうすぐだ。しかし日が沈む。6時である。
飲み水には不適とガイドにあった池の横を通る。水が黒く濁っている。こんなの飲めるはずないではないか。
あたりはさらに夕闇濃く、薄暗い中を頂上への最後の急登に挑む。
頂上には6時45分到着。何とかまだほのかに明るかった。
小屋に泊まろうと思ったら、満員。
テントを張ることにした。
すでに張られてあったテントの隣に、断って設営。
闇の中でテントを張ることになった。しかし、雨の中の設営よりは楽であった。
設営を一段落させて、酒を飲む。コップにブランデーを入れて水で割って飲む。暗闇の中である。つまみには柿の種。
ちょうど西側に街の明かりが見える。きれいだ。
今日の登りは本当につらかった。ブランデーを飲みながら、しばし放心状態。
テントの中で炊事をする。今日のメニューはアルファ米で、おかずはフリーズドライの中華丼。北アルプスのときのアルファ米はまずくて食えたものではなかったけど、今回のはそれなりの味であった。
小屋は団体の中高年でにぎわっている。ちょっと、うるさい。小屋に泊まろうとしていたのだが、テントにしてよかった。
外で夜景を見ていると、南のほうに見える入道雲が光る。雷が光っているのである。ところが稲光は見えない。雷は雲の中で光っているのだ。そのために雷が光るたびに入道雲全体が光る。これは入道雲がちょうちんのようになっているのだ。珍しいものを見た。
今日は天気がよかった。明日も期待しよう。
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