日本百名山 
たんざわやま

標高 1567m
大倉→1:30→小草平→1:00→金冷シ→20分→塔ノ岳山頂→40分→竜ヶ馬場→20分→丹沢山→45分→棚沢ノ頭→35分→蛭ヶ岳山頂→50分→原小屋平

丹沢山には何度も登っている。青森にいたときも夜行バスに乗って、登りに来たことがある。今回は蛭が岳から相模湖に下った。
蛭ヶ岳

 大倉から塔の岳へ
大倉のバス停


大倉からすぐはこんな道


山道になった


見晴茶屋


木道が続く


花立山荘からの登り


塔の岳山頂


塔の岳山頂からの富士山

丹沢には何回か登っている。
東京に住んでいたときに塔ノ岳とか桧洞丸に登ったりしていたのだが、最高峰の蛭ヶ岳には登っていなかった。そこで青森に住んでいたときに、12月の3連休を使って東京まで出てきて、塔の岳−丹沢山−蛭ケ岳−桧洞丸の縦走をした。
このときは大倉に前泊して、翌朝はまだ真っ暗なうちに出発した。計画では2日で縦走するつもりだったのだが、結局1日で縦走してしまった。
桧洞丸に着いたのは3時を過ぎていて、本当はここで泊まるべきなのだが、箒沢までは1時間45分という指導標を見て、急いで下ったらなんとか最終バスに間に合うのではないかと思ってしまった。走って下ったのだが、途中で日が暮れてしまい、真っ暗な山道を走った。それで最終バスの時間になんとか間に合って、バス停に行ったのだがバスはいなかった。
よく調べてみると、休日はその時間の便はないのだった。
結局タクシーで最寄りのJR駅まで行くことになった。なんのために走ったのだ…。
今回、もう一度丹沢に登ることにして、どんなコースを歩こうかと地図を調べた。
ガイドブックに東丹沢主脈縦走コースが紹介されていた。
これは大倉から塔の岳に登って丹沢山、蛭ヶ岳と縦走して、ここから北に伸びる尾根を行くコースである。
丹沢最高峰の蛭ヶ岳に登れて、あとはまだ歩いたことのない稜線をたどることができる。
途中、山中1泊することになるが、けっこう楽しい登山になりそうである。



2001年12月1日


小山発510分のJRに乗った。これが始発の電車である。
まだ真っ暗であった。駅のホームに立って電車を待っていると、けっこう寒い。
電車に乗っている間に空がしだいに明るくなってきた。
新宿に着いて、ここで小田急線に乗り換える。
小田急の渋沢駅で下車して、さらに大倉行きのバスに乗り換えた。渋沢からは意外と短時間で大倉に着く。バス代も安かった。
大倉に着いて驚いたのは、バス停がすばらしく立派になっていることであった。バスターミナルになっていて、なにかしら真新しい施設もできている。
大倉から丹沢山塊を仰ぎみると、空は晴れていて、山がすぐ近くまで迫っている。わくわくしてくる。
大倉からは舗装の道を歩いて行く。けっこう傾斜がある。
舗装道路はコンクリートを敷いた道に変わり、土の林道になって、いつの間にか登山道になっていた。
いつものことなのだが、登りはじめは他の登山者にどんどん追い抜かれてしまう。なんか情けないのだが、これが私の登山ペースなのだから仕方がない。
いつもなら、昼頃までにはこの連中をまた追いぬいてしまうのだが、今回はそうはいかなかった。テント・シュラフを背負ってるせいもあって、ガイドブックに書かれている標準タイムよりかなり遅い。
丹沢に来て思うのだが、めったやたらに山の家が目に付く。東京近郊だと、登山者も多いからこんなに施設がたくさんあっても採算がとれるということか。私にはけっこう、うるさすぎるような気がするのだが。
1時間ほど登るとまず見晴し茶屋があった。小屋の前には水が流れる水道蛇口があった。
さらに急な道を1時間ほど登ると駒止茶屋がある。さらに30分ほど登って、ようやく堀山の家に着いた。大倉から堀山の家までは
1時間50分のところ、3時間もかかってしまった。
この先は展望が開けていて、行く手には塔の岳が見えてきた。堀山の家から1時間ほどで花立山荘に着く。ここからは塔ノ岳にむかってひたすら登って行くのだ。

塔の岳に着いたのは12時37分であった。予定よりもかなり遅い。山頂にはたくさんの登山者がいて、それぞれに休憩していた。
うれしかったのは、正面に大きく富士山がそびえていたことである。私は富士山をみると、つい、うれしくなってしまう。



 丹沢山から蛭ヶ岳山頂へ
丹沢山への縦走路


丹沢山山頂直下は木道


丹沢山山頂


丹沢山からの蛭ヶ岳への稜線


蛭ヶ岳


蛭ヶ岳山頂


テントを張った


日が暮れていく


姫次に着いた


塔ノ岳から丹沢山に向かう。
この道に入ると、とたんに登山者の数が減った。
多くは塔ノ岳で引き返してしまうのだ。
丹沢山への登りは笹原の中の道を行く。緑の絨毯のようでけっこうきれいである。
丹沢山山頂は広々していて、とても山頂という気がしない。ここには小屋も建っていた。
一気に下る。
行く手に大きくそびえているのが蛭ヶ岳かと思っていたら、これは不動峰で、蛭ヶ岳はその奥にあった。
不動峰で10人ほどのパーティに追いついた。彼らは今日、蛭ヶ岳の小屋に泊まるのだそうだ。
不動峰からは水平な稜線を行くだけと思っていたら、けっこうアップダウンのある道で時間がかかった。
途中から雲が出てきた。蛭ヶ岳は坊主頭のように聳えていて、けっこう登りはきつそうである。
蛭ヶ岳山頂に雲がかかって、すごく険しい山に見えてくる。
鬼ヶ岩というのがあって、ここから岩場を下る。
そして登り返すと蛭ヶ岳の山頂であった。
ここの山頂もけっこう広くて、その一角に山小屋が建っている。登山道が細長く伸びていて、その向こうに富士山が聳えていた。
富士山の右に日が沈もうとしていて、空が紅くなっている。
時間は3時を過ぎている。本当はここで泊まるべきなのだが、さらに先に進むことにした。
できたら避難小屋まで行きたいのだが、そこまでは1時間40分かかる。途中で日が暮れてしまいそうだ。
次にある小屋は「原小屋山荘」で、50分で行くことができる。最悪、ここで泊まってもいいとタカをくくって蛭が岳を後にした。
急な道を下る。

原小屋山荘に着いたのは4時過ぎ。薄暗くなっていた。
私の持っている地図では、ここに小屋があるはずなのだが、小屋は影もかたちもなくて、原っぱがあるだけであった。
持ってきた地図の発行年月を調べたら、昭和563月と書いてある。今から20年も前のものではないか。20年の間には、小屋がなくなることもあるよナ…と納得してしまった。
ここには水場がある。下り5分、上り10分と書いた案内があった。
ともかく水を汲みに行った。急な沢の斜面につけられた細い道で、少し怖かった。
水を汲んで帰ってくると、もうあたりは薄暗くなっている。
しかたがないので、ここにテントを張ることにした。
今回、シュラフを新しく買って持ってきた。10月鳳凰山の縦走をしたときは寒くて仕方がなかったので、もう少し暖かいシュラフを買うことにしたのだ。
冬山用で氷点下20度のも持っているのだが、これはかさばり過ぎるのだ。
今回はダウンのシュラフを買った。コンパクトで、しかも−7度から−15度まで使える。
テントはシェルター型の超コンパクトなものを持ってきたので、この中で食事の準備はできない。仕方がないので外で炊事をした。
この日は風がなくて助かった。ろうそくをつけて灯りにして、カレーうどんを作ったが、寒いのでガスの火力が弱くて困った。
6時くらいには眠ってしまったのだが、真夜中の2時に目がさめた。異様に明るい。外に出てみると満月が真上にあって、それが煌々と輝いているのだ。
その月の光が周りの木々の梢を照らして、ひどく幻想的であった。しばらく月を眺めていた。
たった一人の野営はこんなすばらしさがあるのだ。
シュラフは暖かかった。

122

朝、起きだしたのは6時だった。今の時期は日の出がこの頃で、6時にならないと明るくならないのだ。
食事をしてテントを撤収したら7時半になってしまった。
本当は水汲みに行かなければいけなかったのだが、横着をしてそのまま出発した。(後で水がなくて苦労することになった。)
20分ほど歩くと「姫次」に着く。ここからは富士山がすばらしくきれいに見えた。
この姫次で「東海自然歩道」と合流する。


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BY:kudougao 2014/3/4改訂












































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