東海自然歩道 愛知の道
くらかけやま

標高 882m
岩古谷山→1:00→荒尾分岐→40分→御殿岩→30分→障子岩→25分→鞍掛山山頂→30分→馬桶岩→40分→かしゃげ峠

岩古谷山からは急な鉄階段の下りが続く。鞍掛山も急峻な岩峰で、途中にある御殿岩や障子岩はすさまじい断崖絶壁なのだ。ただ、山頂は樹林に囲まれていて展望はない。

鞍掛山山頂

 岩古谷山から御殿岩へ
いきなり急な階段の下りが始まる


荒尾集落との分岐


痩せた尾根、右は断崖


御殿岩の肩に着く

BACK 岩古谷山


2009年4月2日

本当の岩古谷山山頂から登山道に戻ると、そこからは鉄の階段を急降下するのだ。長い階段で、途中には踊り場まであって、ここで右に曲がる。この鉄のハシゴの横には古く錆び付いたハシゴもあった。昔はこれを使ったらしい。

ようやく長い階段を下り終えて、地面に足をつけたときはほっとした。
樹林の中の痩せた尾根が続き、アップダウンを繰り返して下って行く。30分ほど尾根を歩いたところに指導標があって、鞍掛山までは3.7km2時間50分と書かれていた。まだまだ遠いのだ。
送電線の鉄塔の下を通過し、さらに20分ほど行くと荒尾集落との分岐に着いた。このあたりが標高707m地点で、岩古谷山からは2km歩いたことになる。
この先はすごく急な登りになった。階段の急登が続き。それが露岩の登りになった。岩には赤い鉄棒が打ちこんであって、それにロープを張って手すりがつけられている。視界が開けて遠くの山々が展望できた。
けっこうきついアップダウンが続き、樹林に入ったり出たりする。尾根がさらに狭まって、巨岩が尾根を塞いでいたりするのだが、桟がかけられていて道は整備されている。
行く手にすさまじい大絶壁が聳えているのが見えた。これが御殿岩であった。まさかこの岩峰を越えるのではないだろう…と思いながら歩いて行くと、道は尾根の左側を捲くようになった。岩峰は捲いてくれるんだと安心したら、そうではなかった。左の樹林の中を急登して岩峰のほとんどピーク付近まで登ってしまうのだった。御殿岩の肩の着くと、そこに説明板があって
昔、ここに天神が祀られていたことから御殿岩の名が伝えられています。このあたりは岩質が硬く風化浸食されにくい石英安山岩でできているためにこのような大変急な斜面や切り立った岩崖が形成される
のだという。
ここから右に踏み跡があるので登って行くと、障子岩の上に立つことができた。すばらしい眺めである。南にはこれから登る鞍掛山が聳えていて、北には今日たどって来た尾根と岩古谷山が見えた。絶景である。



 鞍掛山からかしゃげ峠へ
トイレのある鞍部


鞍掛山山頂


馬桶岩手前の露岩


鞍掛山から1.0km地点


かしゃげ峠


御殿岩の肩に戻ってどんどん下って鞍部に着く。でも、ここからは再び厳しいアップダウンの連続であった。急な階段を登ったり、痩せた岩尾根を恐る恐る渡ったりする。
御殿岩から25分ほどで鞍部に着くと自然歩道のトイレがあって、障子岩の説明板があった。でも、ここは樹林の中で、障子岩らしきものは見えないかった。
ここから再び急な道を登って行き、振り返ると樹林の間に岩壁が見えた。これが障子岩のようなのだが、木々がジャマをしてきれいに見ることはできなかった。
杉林の中の急登になった。25分ほど、ひたすら登り続けると、行く手に東屋が見えてきた。ここが鞍掛山山頂であった。時間は940分になっている。林の中でまったく展望はない。朝から2時間40分歩いたので、東屋で休憩した。ポッドのお湯でコーヒーをつくって、パンをかじった。
鞍掛山からほとんど平坦な尾根を行くと、指導標がたっていて、ここで右折して仏坂峠に下るのだ。でも、指導標には直進方向に馬桶岩300mとあるので立ち寄ることにした。それに、二万五千分ノ一の地図を見ると尾根を直進したら仏坂峠に着くことができそうである。でも、この道は自然歩道ではないのでおとなしく馬桶岩から引き返すつもりだ。
尾根を緩やかにアップダウンして歩いて行くのだが、深い杉林のなかで展望はまったくない。この尾根を8分ほど行くと、樹林から抜け出して露岩の上に出た。ここからは東側の山々を眺めることができた。でも、馬桶岩の標識はない。通り過ぎてしまったようなので、引き返す。
注意しながら尾根を引き返して行くと、大きな岩が二つ並んでいるのを見つけた。そこに標識がたっていたが、文字は読めないほど古いものであった。これがたぶん馬桶岩なのだろうと思うのだが、それらしき形ではないので自信はない。
これを写真に納めてから指導標の分岐に戻って、そこからは尾根を離れて急な斜面を下って行く。冬枯れた落葉樹の中から杉林の中に入ってさらに下ると、東海自然歩道の案内板がたつ休憩所があった。ここから鞍掛山まで1.0km、千枚田までは1.5km25分と書かれていた。
休むことなくさらに林の中を下って行く。10分ほど下って杉林の中に赤松が目立つようになると墓地があって、そのすぐ先にベンチが置かれる休憩所があった。ここが「かしやげ峠」である。江戸時代までは伊奈街道の一つで、天正元年(1573)野田城の合戦で病に倒れた武田信玄が甲斐の国に引き上げた道だったという。この峠には碑が4つほどたっていて、役行者の石仏もあった。杉の根元には岩を積んだ小さな祠もあった。




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