東海の山
はまいしだけ

標高 707m
薩埵峠→25分→登山道入口→45分→鉄塔→55分→立花池→55分→但沼分岐→30分→野外センター分岐→15分→浜石岳山頂→10分→野外センター分岐→15分→野外センター1:35→由比駅→1:00→薩埵峠

この山は山頂直下まで車で入ることができるのだが、もちろん歩いて登る。出発点の薩埵峠は、安藤広重が浮世絵に描いている富士山絶景地である。また、由比駅からこの峠までは東海道の古い宿場の佇まいが残っているので、歩く甲斐は充分あるのだ。
山麓から仰ぐ浜石岳

 薩埵峠から立花池へ
道の駅富士


薩埵峠の駐車場


登山道入口


竹林を行く


送電線に沿って行く


立花池の分岐

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20121012

道の駅富士から車を走らせて薩埵峠に向かった。カーナビでは薩埵峠の位置がはっきりしないのだがカンを頼りに行くことにした。国道1号線を走って行き、途中から旧一号線に入る。これがもとの東海道なのだろうと思う古い町並みを行くと薩埵峠の上り口があった。すさまじい急坂である。私の車は登って行けるのかと心配してしまったが、さすがに四駆はたいしたものである。ただ困るのはすごく道幅が狭いことで、これで対向車があったらどうしようかと思ってしまう。
薩埵峠にはちゃんと駐車場があって、トイレもあるのだ。ここから眺める富士山は安藤広重が浮世絵に描いていて、富士山の絶景地として有名な峠なのだ。ところが、期待の富士山は姿を見せているのだが、薄くかすんでいて、写真にはうまく写らなかった。
ここに立つ説明板にはこれからたどるコースが東海自然歩道のバイパスコースであると書かれていた。驚いたことに浜石岳山頂までは10kmあって、所要時間は5時間となっていた。そんなにかかるのかと驚いてしまう。私はここから山頂を往復するつもりなのだが、下り4時間なので9時間もかかるとなる。ともかく何かの間違いだと自分に言い聞かせて出発した。出発は7時半である。駐車場から少し行くと十字路があって、そこのコンクリート壁に東海自然歩道の指導標があった。これに従って舗装道路を歩いて行く。右は真っ青な海で、真下には国道1号線、東名高速、新幹線の線路などが平行して続いている。海側はすさまじい断崖になっているのだが、山の斜面はミカン畑で、さすが静岡である。
25分ほどで登山道入口に着いて、ここからは樹林の中をジグザグに登って行く。ところがすぐにまた車道に出てしまった。しばらく車道歩きかと思ったが、道を横切ったところに登山道入口があった。ここからはすばらしい展望で、うっすらと富士山が見えた。
この先の登山道はすさまじく荒れていた。道には枯れ葉や木の枝がいっぱいで、通る人はほとんどいないのではないかと思ってしまう。10分ほど行くと竹林があったが、この竹林も荒れ放題という感じであった。でも、道に立つ東海自然歩道の指導標は真新しくて、山頂までの距離と時間がちゃんと書かれているのだ。
檜林を急登して山頂まで7.5kmのところで送電線の鉄塔があった。そういえば、登山道に沿って、時々、送電線保全のための指導標が現れる。
鬱蒼とした檜林を行き、立花池の分岐に着いたのは925分である。このあたりが中間点くらいだと思うのだが、もう2時間たっている。やっぱり登山口標識の所要時間は正しいようだ。
立花池は通過しようかと思ったが、ガイドブックには15分ほどで往復できると書いてあるので行ってみることにした。深い樹林の中を下って7分ほどで右に池が見えてきた。ところが道は池に下って行かずに通り過ぎてしまいそうである。しかたがないので、かすかな踏み跡をたどって強引に下った。池の前に着くと、左からしっかりした道が来ている。かなり遠回りしてこの池に来るらしい。池には大きな名前の標識が立っていたが、期待の池には大きな杉の倒木が2本もあって、まったく荒れ果てた感じである。がっかり。



 浜石岳山頂へ
西山寺の分岐


但沼分岐に着く


急な登りになった


野外活動センター分岐


電波塔がたっていた


浜石岳山頂


分岐に戻って、時間を確認したら往復
20分かかっていた。
さらに樹林の中を10分ほど行くと、再び立花池の分岐があった。池からまっすぐに進んでもここに出てこれるらしい。
さらに5分ほど行ったところには西山寺の分岐があった。ここで、山頂まで3.6kmとなっていた。
行けども行けども深い樹林の中で、傾斜はほとんどなくて、ただダラダラという感じで登って行く。道は荒れ放題で、おまけに蜘蛛の巣がいっぱい、油断すると蜘蛛の巣の真ん中に顔をつっこんでしまうのだ。帰りにこの道を歩くのはイヤになってしまった。帰りは野外センター経由で由比駅に下ろうと決めた。

けっこう急な登りになって、一つのピークを越える。視界が開けて由比の海岸線を見ることができた。この長いコースで展望ができたのはここだけかもしれない。
送電線をくぐり、再び樹林に入るとすぐに木橋を渡る。そこに指導標がたっていて「但沼分岐」と書かれていた。到着は
1025分である。ここから浜石岳までは2.1kmとなっていた。東海自然歩道の指導標では55分かかると書いているのだが、他の指導標には40分と書かれていた。どっちが本当なんだ…と悩んでしまうのだが、私は40分を信じることにした。
行く手に坊主頭のような緑のピークが迫ってきた。これまでのようにこのピークは捲くのだと思ったらそうではなかった。これに向かって真っ直ぐに登って行くのだ。
木の階段が設けられているのだが、これがすさまじく急で、ロープも下がっている。やっと登山らしくなってきた。

傾斜が緩まって、檜林の中を行くと野外活動センターの分岐に着いた。ここから山頂までは1kmとなっていた。山頂を往復して、ここから野外活動センターに下るつもりである。
分岐から少し急登すると電波塔が見えてくる。この横を過ぎたところに山頂まで600mの指導標があった。この先、急な道を登ると行く手に松林が見えてきて、傾斜がぐんと緩まる。
樹林から抜け出すと広大な草地で、その真ん中に方位盤が見える。ここが浜石岳山頂であった。到着は1110分、3時間40分で登ってきたことになる。やっぱり5時間なんてかからなかった。
山頂からの展望はすばらしい。ここまでほとんど樹林の中を歩いてきたのだが、山頂で初めて視界が広がった。期待の富士山は雲に隠れているのだが、よく見たら頭が雲の上に出ていた。下には由比の浜が続いている。
方位盤でまわりの山を確認すると、ここからも南アルプスが展望できるらしい。でも、遠くの山は雲に隠れてしまっているのだ。
方位盤の横には三角点があって、それは二等三角点であった。

ベンチに座って休憩していたら、地元の人が登ってきて、少し話をした。ここから見る富士山はすばらしいのだという。また、富士山を見るなら一番のお薦めは富士川にかかる橋の上からだという。そこからは遮るものまったくなしに富士が見えるというのだ。
話をしていたので、長い休憩になってしまって、下山開始は125分。



 野外センター経由で下山
キャンプ施設があった


駐車場があった


コンクリート壁に指導標


大きな看板がたっていた


旧東海道を行く


由比駅


電波塔のあたりまで戻ると、すぐ横を舗装道が通っていた。この道でも野外活動センターに行けると思うのだが、やっぱり登山道を行くことにした。分岐に戻って、そこから野外センターに向かったが、けっこうアップダウンのある樹林の道であった。樹林から抜け出してキャンプ施設の前に出たのは
12時半であった。ここには展望台があって、由比の海岸を見下ろすことができる。でも、富士山はすっかり雲に隠れていた。
野外センターを通り抜けて舗装道に出る。あとはこの車道をひたすら下るのだ。ここから由比駅までは6kmとなっていた。5分ほど行くと広い駐車場があった。車でここまで来たら、山頂はすぐということになる。それでは登山とはいえないのだが…。
10分ほど下ったところに三本松を経由して浜石岳という指導標があった。この山道を下ればよかったと思った。
ここから
20分ほど行くと林道の分岐があって、そこのコンクリート壁に東海自然歩道の標識があった。駅までは3.9km、ほぼ半分下ったことになる。
樹林から抜け出して展望が広がる。下には真っ青な海が広がっている。
「ちょっと一息」という休憩ベンチを過ぎ、傾斜が緩やかになると、「またどうぞ浜石岳へ」という大きな看板がたっていた。ここから駅までは2.2kmである。
住宅がたてこむようになって、ふと振り返ると電波塔がたつ浜石岳山頂を見ることができた。
町中に入ったが、親切に浜石岳への指導標があちこちにたっていて、迷うことはなかった。由比駅に着いたのは1355分である。ここに由比の宿場のガイドビラがあると思ったがなかった。
駅から薩埵峠に向かって歩いて行く。途中、昔の宿場を思わせるけっこう古い家が残っていて、楽しかった。旧国道1号線から薩埵峠への入口に着いたのは1415分。ここから峠までは2.2kmとなっていた。古い宿場の雰囲気が残っていて、「間の宿」というのだ。本陣跡ががあって、その隣の脇本陣には「明治天皇急御小休所跡」という看板があった。山岡鉄舟ゆかりという藤屋に着くと、この向かいには一里塚跡の石柱があった。
ここから峠に向かっての急坂が始める。今朝、車で本当に登ってゆけるのかと心配した坂である。傾斜が緩まるとミカン畑の中を行く。右下に海と高速の高架を見下ろしながら歩いて行くと、古い石標があって、その向こうには今朝車を停めた駐車場が見えてきた。

駐車場に戻ったのは1455分であった。
駐車場ではすぐに出発できなかった。ズボンにはたくさんの草の種がくっついていて、これを一個一個剥がすのが大変だったのだ。


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