2007年早春四国登山
よこぐらやま

標高 800m
登山口→20分→杉原神社→40分→横倉宮→10分→安徳陵墓→15分→空池→10分→住吉神社→15分→畝傍山眺望所→12分→平家穴→25分→横倉山→30分→兜嶽石鎚社→20分→登山口

この山は平家伝説の山で、山中には宮内庁公認の安徳天皇陵墓があるのだ。横倉山山頂は樹林のなかだが、馬鹿だめしや住吉神社は絶壁ですばらしい展望である。
畝傍山から馬鹿だめしと横倉山

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2007年3
9

横倉山の第2駐車場に泊まったのだが、夜は真っ暗であった。
登山道は駐車場のすぐ前の鳥居から続く石の階段である。登り口には四国の道のイラストマップと淡路守清房の祠があった。平清盛の七男で安徳天皇の警護にあたっていたひとだという。この山の上には安徳天皇の陵墓もあるのだ。
ここでおかしいと思わなければいけない。安徳天皇というのは平家一門とともに三種の神器を抱いて壇ノ浦に入水して果てたはずである。それがどうしてここに墓があるんだ!と叫びたくなる。
これは平家の落人伝説といっていいのだが、尋常でないのは、この稜墓が宮内庁所管だということである。安徳天皇が壇ノ浦で亡くなったのは幼少だったのだが、
この地では23歳で亡くなるまで生活していたのだという。すごい話である。この横倉山登山は平家落人伝説をたどることでもあるのだ。
鬱蒼とした杉の巨木が立ち並ぶ石段を登って行く。石段は五百数十段あって、その石はこの付近に産出される石灰岩だという。
苔むした古い石段は登るにつれて傾斜がきつくなってくる。
10分ほどの登りで夫婦杉に着いた。根本がくっついた2本の杉の巨木である。
ようやく石段が終わって、照葉樹林の中を歩いて行くと杉原神社に着いた。

杉原神社は平家の守護神熊野権現を祀っていて、境内には杉の巨木が立ち並ぶ。
社殿の裏には平家の宮という祠があった。この山中には安徳天皇の臣従の墓があちこちに散らばっていたのだが、それをここにまとめて祀るようにしたのだそうだ。
杉原神社から平坦な道を5分ほど行くと左に山小屋がある。無人の小屋だが新しくて、泊まっても快適みたいだ。この小屋の前から左に下ると全国名水百選の安徳水がある。岩の間から水が湧き出していて小さな池をつくっていた。飲んでみたがうまかった。
登山道に戻って少し行くと、右にアセビの森・平安神宮があるというので立ち寄った。照葉樹の中を緩やかに登ったところに祠がたっていた。周りの木々がアセビなのだろうが、私は木の名前を覚えていないのでよくわからない。
登山道に戻って、左に田口社をみてさらに歩いて行くとりっぱな鳥居があって、石段を登ると横倉宮であった。春日造りの大きな社殿で安徳天皇を祀っているのだ。この後ろは石灰岩の岩山になっていて、「馬鹿だめし」というので登ってみた。石灰岩の岩が重なる頂でその端に立って見下ろすと80mの絶壁である。真向かいの山の山腹に鋭角に突き出た小峰が見える。この三角峰がこれから向かう住吉神社なのだ。
馬鹿だめしから下って、横倉宮の前から右の道を辿る。すぐに東屋があってそこから少し行くと安徳天皇御陵である。全国に見られる宮内省所管の陵墓の形態である。柵で囲われたその中には木が生えているだけであったが。
陵墓正面から石段を下って登山道に出る。右が住吉神社・空池への道である。
樹林の中の平坦な道を行くと左に畝傍山眺望所があったが、これは帰りに寄ることにしてそのまま進んだ。空池と住吉神社の分岐があったので先に空池に行くことにした。かなり急な道を上って行かなければいけなかった。
空池はその名の通り水のない窪地なのだが、これはカルストの石灰岩の窪地なのだ。窪地にはうすく雪が積もっていた。

このカラ池からは分岐まで引き返さなければいけないのかと思っていたら、ここから直接住吉神社に行く道があるのだ。よかった。
少し登っあとで急下降する。すぐに住吉神社の標識があったが、おどろいたことに住吉神社にはここから絶壁を鎖で下るのだ。これはすごい鎖場であった。鞍部に着いてこんどは10mほど岩を登って祠の前に立つ。祠からは馬鹿だめしの石灰岩の絶壁がよく見えた。すごい眺めである。
鎖場を登って登山道に戻り、緩やかに下って空池の分岐に戻る。すぐ先の展望所行った。ここからは住吉神社の岩峰と馬鹿だめしの絶壁をみることができるのだ。期待通りの展望であった。
あとは来た道を引き返して横倉宮に戻るのだが、その少し手前に平家穴の分岐があった。今日はなんでも見てやろうという気分なので、これにも立ち寄った。
急な道をジグザグに下って祠の前に着く。これがそうかと思ったらさらに50m下らなければいけなかった。平家穴は馬鹿だめしの絶壁の下にあるのだ。石灰岩の絶壁に窪みがある。洞窟を想像していたのだがどうも違う。この窪み行ってみると、そこの真下に岩の裂け目のような孔があった。いかにも深そうである。ここから土器・鉄剣・古銭が出土していて平家落人伝説を裏付けているというのだが…。
横倉宮に戻ってここからは兜嶽を目指す。樹林の稜線を15分ほど行くと横倉山山頂で三角点がある。樹林の中で展望はまったくない。ベンチが置かれていたのでここで休憩。三角点はなぜかりっぱな柵で囲われていた。
緩やかなアップダウンを繰り返して兜嶽に向かう。夫婦杉への分岐の先は急な登りだが、すぐの兜嶽の山頂に着いた。そこには祠がおかれていた。この先に石鎚山神社があるのでそこまで往復することにした。痩せた岩稜になった。展望が開けて北に雪をかぶった石鎚山が見えた。すばらしい眺めだ。
この痩せた岩稜のさきに石鎚神社の祠があった。その先は鎖の岩場で急峻な下りである。引き返すことにしておいて正解だったと思った。
夫婦杉の分岐に戻ってからは南遊歩道を下るのだが、そこに解説板があって、それによると横倉山の花崗岩は46000万年前の日本最古のものもあって、石灰岩には多くの化石が含まれているのだという。この山はすごい。
夫婦杉からは急な石段を下って駐車場に戻ったのは
11時であった。


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これが登山口


古い石段を登る


杉原神社(裏から)


安徳水の入り口


アセビの森の平安神宮


横倉宮


馬鹿だめし


空池への道


住吉神社への下降路


畝傍山眺望所


横倉山山頂


兜嶽





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