2007年早春四国登山
いもせやま

標高 404m
母島港→30分→登山口→40分→山伏神社分岐→30分→妹背山山頂→15分→仏ヶ丘→5分→三浦一族の墓→35分→弘瀬港

この山は、宿毛から25kmの沖合いに浮かぶ沖の島に聳える山である。当初は母島港から往復するつもりだったが、弘瀬港まで縦走して
しまった。途中の仏ヶ丘と三浦一族の墓を見たかったのだ。
山頂の一等三角点

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2007年331

暗くなる頃に中村市を通過した。この町は是非観光したい町なのだ。でも、今は町村合併によって四万十川市となっている。町を外れたところにマクドがあったので、ここで登山記録のパソコン入力をした。
ここから20kmほど走ると宿毛市である。明日登る妹背山はこの宿毛から定期船で1時間半の沖ノ島にあるのだ。一日二便しかなくて、始発は7時出航である。
宿毛には市街から1.5kmほどのところに道の駅があるので今夜はここに泊まった。
ところが、今日は土曜日のせいか、若者が夜明け前まで騒いでいた。
それに、なぜか今夜はめちゃくちゃに暑かった。車の中にいると汗が出てくるのだ。シュラフなしで寝てしまった。


41

5時半に目を覚まして準備を始めた。空は曇っているが、雨さえ降らなければいい。今日の山は往復3時間、標高は404mであなので少しくらい雨が降っても大丈夫なのだ。
車載のテレビを見たら、今、中国大陸から黄砂がやってきてるのだそうだ。最近、遠くの山がかすんでよく見えないのはこのせいだったのか。
620分に道の駅を出て港に向かう。
海に面した路肩が駐車場になっているのだが、ほとんど満杯の状態だった。こんなに朝が早いのにどうしてだと思うのだが、漁船の人が停めてるようだ。
小さな待合所があって、そこで切符を購入。1300円で驚くほど安い。これは離島対策で市が補助をしているのだろうと思う。(この船は市営定期船なのだ)私と一緒に乗船したのは5人だけだった。
定時の7時に船は出港した。私は2階の席をとって、デッキに出て遠ざかる港を眺めていた。宿毛はリアス式海岸のように入り組んだところにあって、島の間を船は走って行く。
外海に出たら、とたんに船は大きく揺れるようになった。
50分ほどで鵜来島に着く。
この島には道路がないので車は1台もないのだそうだ。
5分ほどですぐに出航したので、これもデッキに出て遠くなってゆく島を眺めていた。海に面した断崖がすごい。揺れが激しくて酔いそうになった。
鵜来島から30分で沖ノ島の弘瀬港に着く。さらに、ここから15分で終点の母島港である。835分到着であった。
港には乗り込む人がたくさん待っていた。
船から下りたが、どっちへ行ったらいいのかよくわからない。磁石で方向を確認して歩いて行くと、民家の壁に「妹背山登り口」と書いた板がはりつけてあって、文字のしたには登山口への略図が小さく書いてあった。これは助かった。これがなかったら登山口まではとても辿り着けない。
ここから民家の間の細くて急な階段を登って行く。いかにも島の集落で、急な斜面にへばりつくように密集して家が建っているのだ。家の間を縫うようにして登って行くと、途中にいくつか登山口の案内標識があった。
ゴムの木らしい大きな熱帯樹を見て、平坦になって広くなった道を左に歩いて行く。振り返ると母島の港が小さく下に見えた。
道標がないので心配になってきたころ、「四国百名山、妹背山 ガンバレ、学校まで300m」という標識があった。
道が細くなって、樹林の中をくねくねと曲がって続く。
アスファルトの広い道に出ると、その上に中学校小学校があった。そこに指導標があった。学校の下の道を少し行くと登山口である。
石段を登ると、すぐに照葉樹林の中の急登になった。鬱蒼とした照葉樹のトンネルの中をジグザグに登って行く。
でも急登は長くは続かず、すぐに緩やかな登りになった。濃い緑の原生林の中を行くと、とつぜん林道と交差した。ガイドブックにはない林道である。
これを横切ってさらに林の中を行くと再び林道に出て、この林道を歩いて行く。
すぐにこの林道の分岐があって指導標にしたがって右の道を行くと山道らしい道になった。
樹林の中を緩やかに登って行くと林の中に廃屋があった。そのすぐ先が山伏神社との分岐であった。ガイドブックには5分ほど下ったところにスダジイの巨木があって、神社は跡形もないと書いている。これは帰りに立ち寄ることにして、まず山頂を目指すことにした。
照葉樹の深い林の中を行くと、急な登りでもないのにトラ縞のロープが張ってあって、それが道に沿って続く。
左に直角に曲がると急な登りになったが、すぐに弘瀬下山口の標識があって、その先が山頂であった。
山頂は広場の真ん中には工事現場の足組みのような展望台があった。その奥に三角点があった。この山の三角点は一等三角点なのだ。
山頂は樹林に囲まれていて展望はきかないので、目の前に聳える鉄組みの展望台に登って見ることにした。ワイヤーを両側に張って固定してあるのだが、風が強くて登って行くには少し勇気が必要だった。

恐る恐る一番上にたつとそこからは岬と海が見えた。でも黄砂のためかうっすらと霞んでいる。この展望台の上にいるのはかなり怖いのですぐに下りてしまった。
三角点の前で休憩。暖かいコーヒーを飲みながら、船の待合室で手に入れた沖ノ島のパンフレットを読んでいると、弘瀬への登山道がちゃんとかかれていて、その途中には「三浦家一族の墓」や石仏がならぶ「仏ヶ丘」がある。私のガイドブックには、山頂から登ったた道を引き返すように書いてあって、弘瀬の道にはまったく触れていないのだが、登ってきた道を引き返すのはつまらないので弘瀬に下ることにした。来たときの船が弘瀬港に寄ったので、ここからも船に乗れるはずなのだ。
さて、そうすると問題は来るときに後回しにした山伏神社である。仕方がないのでそこまで引き返してもう一度ここに戻ってくることにした。
10分ほど下って、山伏神社の分岐に着く。ガイドブックにはここから5分、指導標には3分と書いてあったが、実際はすぐであった。分岐から下るとすぐに小さな鳥居があって、その横にコンクリート造りのお堂があった。小さいが瓦葺きで戸はアルミであった。
そしてその前にはいかにも歳経た巨木がたっていた。これが樹齢500年を越すといわれるスダジイである。私はこうした古木がすごく好きなのだ。写真を何枚も撮って、それから山頂に引き返した。
山頂直下の弘瀬下山口の指導標に従って道を下る。道は本当にしっかりしていて歩きやすい。ところどころにベニヤ板に大きく赤い矢印がかかれた指導標がある。
最初は急な下りだったがすぐに緩やかになって、やがてほとんど平坦な道になった。深い照葉樹林の中を下って行く。鳥のさえずりを聞き、道にこぼれ落ちた椿の花を見ながら下るのんびりした道である。
下り始めて10分ほどで、左に「仏ヶ丘、西国三十三体地蔵・四国八十八体地蔵」の標識があった。この分岐から遠いんだろうかと心配しながら行くと、すぐに石仏がならぶところに出た。石仏は三段になっていて、上が西国三十三体仏で下二段が四国八十八仏である。指導標には地蔵とかかれていたが、地蔵というのは地蔵菩薩のことなのだが、ここに並ぶのは観音菩薩や薬師如来や釈迦如来・大日如来などの幾種類もの仏たちである。地蔵という表現はおかしい。
この石仏はそれぞれ趣きがあって、眺めていてあきない。たくさん写真を撮ってしまった。登山道に戻ってさらに下ると、すぐに大きな石碑がたつ三浦一族の墓に着いた。石碑の後の崩れた石段を登ると、たくさんの石がたてられている。なにかしら異様な風景である。たてられているのは墓石ではなくて、自然石をそのまま立てたようなのだ。長い年月のせいか、それとも最初からなかったのか、文字は刻まれていない。墓石らしいその石の前には丸い小さな石がたくさん供えられていた。
三浦氏というのは鎌倉時代の名族なのだが、北条氏に追われ、この地に逃れたのだ。沖ノ島最初の定住者だといわれて、島民は「ご先祖さま」と呼ぶという。
この墓所から少し行くとT字路で右が弘瀬に下る道である。急な下りになった。
道には岩が敷かれて石畳のようになっている。大きな自然石が階段のようになっているところもあり、石垣が組まれていたりする。これは古いものなのか、最近つくられてものなのかよくわからない。
T字路から15分ほど自然石の階段を急降下すると展望が開け、海と岬が見えた。
ここから弘瀬の集落へは近い。明るくなった道を下ると明確な石段になって墓地に出た。すぐ下には家々が並んでいる。
細い石段を下って行くと途中3箇所、門があった。貴重な植物を保護するときに設けられる柵のようなものである、なにかあるのだろうかと不思議に思った。
民家の間を小さく何度も曲がって下り、港の舗装道路に降り立ったのは1123分であった。そこには登山口の標識はなくて、これではこっちから初めて登る人にはわからないと思う。

弘瀬港から船が出るのは1535分である。4時間も待たなければいけないのだ。
まず、港のすぐそばにあったお店に行って、ビールを買った。これを持って、お店できいた待合所に行く。
そこにはテレビもあって、ビールを飲んで今日の登山の終了を一人で乾杯した。あとは本を読んだり、テレビをみたりして船を待つ。
1時頃から空が暗くなって雨が降り出した。おまけに雷まで鳴り出し、風も強くなった。船が来てくれるか心配になった。定期船は大きな船ではないので、海が荒れると欠航になるのだ。心配しながら待っていると、予定より5分ほど遅れて入ってきた。ともかく船が来てくれてうれしい。
でも、すさまじく揺れた。まるでジェットコースターに乗っているようなすごさであった。
鵜来島までの航路が一番揺れたが、宿毛が近づき、入り組んだ湾の中に入るとようやく静かになった。


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沖ノ島への船


鵜来島に寄港する


母島港に着いた


これが役にたった


登山口への標識で家の間を登って行く


学校まで300mの標識


学校の横に登山口


最初は急な登り


林道と何度か交差する


山伏神社との分岐


道にはロープが張ってあった


妹背山山頂


山伏神社


弘瀬港への下山路


仏ヶ丘


三浦一族の墓


巨岩と石畳の道を下る


弘瀬港が見えてきた


民家の間の石段を下る





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