BACK 一ノ森
2007年11月17日
一の森三角点から分岐に戻って、そこから剣山に向かって下って行く。かなりの急下降である。下るにつれて剣山の前にあった樹林のピークがせりあがってくる。これが二の森である。鞍部に下ったところにはお花畑への分岐があって、その後には殉難碑がたっていた。驚いたことにこの碑は新田次郎の書いたものであった。新田次郎が遭難したのではなくて、剣山測候所の所長が通信施設の復旧作業をしていたときに雪崩にあって亡くなったのである。新田次郎は気象庁に勤務していた関係で、この碑文を書いたのだと思う。
笹原の斜面を登って行き、振り返ると一の森が大きく聳えていた。
笹原から樹林の中に入ってさらに一登りするとピークに立つ。峠のようなところであるが、指導標の柱に二の森とかかれていた。少しだけ下ったところには祠があって、これが二の森神社であった。
笹原の道を下って行くと、行く手には再び樹林のピークが聳えている。緩やかに登ってこピークを越えたが、そこにはなんの標識もなかった。でも、その向こうには剣山が広がっていた。剣山はここからみると、山ではなくて、笹の草原の平坦地に見えるのだ。
剣山へは笹原の水平な展望の道で、周りの山々を眺めながらのんびり歩いて行くことができる。
丸太の階段を登って行くと、木の舞台のようなものがあった。剣山山頂周辺はすべて木道になっていて、展望のピークは木組みの舞台のようになっているのだ。このため剣山山頂では地面を歩くということはないのだ。
この舞台から木道を歩いて三角点の山頂に向かう。山頂三角点は木道が取り囲んでいる。そして三角点は丸く石で埋められて、それに注連縄が張られていた。
山頂からは次郎笈の眺めがすばらしい。そして西には午後から登る塔の丸が聳えている。その上に遠く見える山は矢筈山であった。矢筈山から右に連なる尾根の途中に突き出たピークが見える。黒笠山である。さらに右に目をやると丸笹山が見える。すばらしい展望でうれしくなってしまう。いつまでも眺めていたいのだが、風がものすごく冷たい。
|