かんむりだけ

標高 516m
この山は徐福伝説の山である。徐福は秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めてこの日本に来たという。山は切り立った断崖を持っている。ピークは西嶽と経の塚山の2つあるのだ。
冠岳

BACK 金峰山



2005年2月16日

さて、今日は雨なので登山は一つだけにしようと思っていたのだが、時間もまだ早いので当初の予定どおり、冠岳にも登ることにする。

この山も、申し訳ないほど、頂上直下まで車で行けてしまう。
車道を走って行くと、徐福像の案内があった。
なんでこんな所に徐福なんだと思ってしまう。
徐福というのは、秦の始皇帝の命で不老不死の仙薬を手に入れるために蓬莱山に渡ったという伝説の人である。
登山口の道からは少し外れるが、立ち寄ることにした。

車道を行くと、白い大きな像が立っているのが見えてきた。
ここにあった説明板を読むと、徐福が上陸したのはこの串木野だったのだそうだ。そして、徐福はこの冠岳で封禅の儀式を行って、山頂に冠を残したたのだそうだ。それで、この山を冠岳と呼ぶようになったという。しらなかった。
引き返して、登山口に向かう。
阿弥陀堂の指導標のあるところに駐車場があって、ここに車を停めて歩き始めた。
雨具を着込むのは止めた。車道を少しだけ歩くと左に入る道があって、登山道に変わる。
登って行くと天狗岩の指導標がある。
右に入ると大岩があって、この上からではわからないのだが、少し下って横から見ると、岩が5段重なっているのだ。
ここからは冠嶽の大絶壁を見ることができる。
ここから少し登ると冠嶽山頂である。指導標には「西嶽」と書かれていた。ともかくここが冠岳連山の最高峰である。
神社の祠があって、その後ろにさらに道は続いている。
指導標には経ノ塚とある。
徐福の像のところから見上げたとき、ピークが二つあったので、もう一つがこの経塚に違いない。行ってみることにした。
階段の道をずいぶん下る。こんなに下ってしまっていいのかと思うくらい下って、平らな道になると、指導標があって、右が経塚である。
この道は荒れていた。倒れた木が道を塞いでいるのだ。
山頂に祠があった。
来た道を引き返して、駐車場に戻る。
気になった阿弥陀堂を見に行く。10分ほど歩いて、小高いところに阿弥陀堂があった。
ただしお堂はなくて、石で造られた阿弥陀様を自然石を積み上げて囲ってあった。
駐車場に戻って、12時を少し過ぎたところ。車の横でコンロを使ってラーメンを作って食べた。
さて、明日の登山予定の紫尾山に向かうだけなのだが、この山にある「鎮国寺」にも寄ってみることにした。
ただし、この寺は少し派手過ぎて、胡散臭さを感じてしまう。
寺の前に車を停めて、ちょうど見える冠岳を撮っていたら、外国の女の人が声をかけてきた。もちろん日本語であった。
参拝するなら案内するというのだ。
せっかくなので、案内してもらった。
お堂に入ると、本尊は不動明王であった。その前に護摩壇がある。この寺は真言密教の寺なのだ。不動明王の左には大日如来と役の行者の像があった。
もう一つ、案内してもらったところは神社であった。蔵王権現を奉っているのだという。この寺は修験道の寺なのだ。
明治の廃仏棄釈のとき、この寺も廃寺になったのを、今の住職が再建したらしいのだ。
この寺の新しさはそのためである。
真新しい施設がいくつもあるのだが、そのあたりが新興宗教の胡散臭さを感じさせるのだ。

明日の天気も雨なのだが、小雨だったら登ろうと、登山口に向かっている。今、その途中で見つけたJoyfullというファミレスで日記を書いているところである。


NEXT 紫尾山

BACK 私の九州の山百選

徐福の像


西岳登山口


石段の道を登って行く


天狗岩


冠岳(西嶽)山頂


経の塚山山頂


阿弥陀堂






総合TOP My日本の山  My日本の道  日本の旅  自己紹介












SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送