ほうまんざん

標高 830m
竃門神社→25分→二合目一の鳥居→10分→水場→25分→百段がんぎ→15分→分岐→25分→宝満山山頂

この山は修験道で栄えた山である。山中にはその遺跡が数多く残っている。山頂には巨岩が聳えていて、帰りはすさまじい鎖場を下らなければいけなかった。石仏めぐりも楽しかった。
宝満山山頂

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2005年11月25日

今日はこれから宝満山に登る。

宝満山は修験道の山で、英彦山が胎蔵界、この宝満山が金剛界とされているのだそうだ。
登山口は竈門神社である。
神社の駐車場に車を停めて、参道の石段を登ってゆく。この神社の紅葉はすばらしくきれいであった。
神社本殿から左に下って、車道に出る。そこには九州登山情報センターというログハウスが建っていた。中を少し覗いてみた。九州の山の本がたくさん置かれていた。
車道を歩いて行くと、すぐに大きな石の鳥居があった。一合目鳥居である。本当はこの鳥居をくぐって登ってゆくのが、登山道なのだが、私はそのまま車道を歩いてしまった。おかげでずいぶん遠回りをしてしまった。
一合目鳥居から来る登山道が右から合流するところ、左に登山道らしきものがあった。この道を歩いて行く。樹林の中の尾根の道であった。しばらくして、ふたたび車道と合流する。少し行くと、一の鳥居への指導標があった。登って行くと、送電線の鉄塔があって、その少し奥で再び車道に出る。ここが林道の終点で、車が7台ほど停まっていた。
さらに石段を登ると、すぐに一の鳥居であった。
急な石段の道が続く。これはかなり疲れる。
杉林の中を急登する。合目毎の標識があるのだが、この区間がものすごく長く感じられた。
「百段がんぎ」というりっぱな石段を登って、平坦地に着く。この広場の左に閼伽ノ井という湧き水があった。水はとてもきれいというものではなかった。
ここから少し登ると中宮跡である。広場になっていて、その奥に石祠が置かれていた。
樹林の中の道を行くと、右にキャンプ場への道が分かれる。そこから少しだけ登ると、左に羅漢めぐりコースが分かれる。私は、帰りにこの道を通ることにして、そのまま山頂をめざす。
ここからは、さらに傾斜がきつくなって、巨岩の間を縫ってゆく道である。
狭い袖すり岩の間を急登して、石段を登りきったところに、白い立派な祠があった。ここが宝満山山頂でこの神社が上宮なのだ。この祠の奥に大きな岩があって、そのまえに宝満山山頂の標識が立っていた。
天気は快晴で、すばらしい展望であった。今朝、登った若杉山も眺めることができた。
コーヒーを飲んで休憩。考えたら、ここまで一度も休まずに登ってきている。疲れるはずである。
私は、ここからさらに仏頂山まで行って、ここに引き返して羅漢めぐりコースを下るつもりである。
山頂からの下りは、すさまじい鎖場であった。登ってくる途中で、大きな岩をいくつも眺めてきたが、この山は岩峰の山なのか。
鎖場を下って、仏頂山に向かう。この道は比較的緩やかな登りで、なんの苦もなく山頂に着くことができた。
山頂は樹林の中で、石の祠が置かれていた。この右奥には三角点があった。宝満山には三角点はなかったのに、この仏頂山には三角点があるのだ。
来た道を引き返して、宝満山の山頂への鎖場まで来ると、その岩壁を右に巻いて行く水平道がある。これが羅漢めぐりコースであった。
羅漢めぐりコースはすさまじく遠回りする道であった。絶壁に沿って急降下してゆく道であった。途中にいくつか、石仏が置かれているところがある。
最後は、中宮跡に向かって、かなりの急登を強いられた。登ってきた道を下ったほうがはるかにラクであったと反省した。
私は、この中宮跡からは行者道を下って、愛岳山経由で竈門神社に戻るつもりであったが、すっかり忘れて、そのまま来た道を下ってしまった。途中で気がついたのだが、引き返すのも面倒で、そのまま下った。
竈門神社では、紅葉を眺めて写真撮影に時間をとってしまった。駐車場に戻ったのは315分である。


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竃門神社


一の鳥居


徳法の井


百段雁木


中宮跡


最後の石段を登る


宝満山山頂


仏頂山山頂





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