甲信越百名山
よこてやま 2305m

しがやま 2037m
渋峠→30分→横手山→1:00→草津峠→25分→鉢山→20分→四十八池→40分→裏志賀山→30分→志賀山→50分→前山湿原→15分→硯川

横手山は日本三百名山の山なのだが、それよりは横手〜志賀の縦走路全体を志賀山として選定するべきだと思う。私は三百名山には懐疑的なのだ。
志賀草津ラインから横手山

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2006年1013

今日は横手山から志賀山に縦走してその後、午後は笠岳に登るつもりでいる。
横手山と笠岳は日本三百名山である。私は日本山岳会が選定した三百名山に懐疑的である。たとえば、この山域には日本百名山の草津白根山もあるので、狭い山域に3つの山が選ばれていることになる。さらに横手山はこの山域の最高峰ではあるが山頂までリフトが通じていて、スキーのレストハウスやアンテナが林立している。登山道も渋峠から舗装されたリフトの保安道路歩くしかないのだ。日本山岳協会はただたんに標高が一番高いからといってこの山を選んだのではないかと疑いたくなる。そして感覚が古い。この山が脚光を浴びたのは、50年ほど前のスキー登山が華やかだった頃だろう。三百名山は山岳協会の長老たちが自分の青春を懐かしんで選んだだけではではないかと邪推したくなるのだ。(そう思ってしまう山は少なくない)
私が日本百名山や二百名山を登るのは、その山が登って絶対に面白いからである。ところが三百名山は違う。期待を裏切られることが少なくない。
山岳協会といったら、バリバリの実践登山家の集まりだと思うのだが、それが人文地理学者のように標高だとか歴史だけを見て選定するなんて、かなり情けない。
だから私は横手山だけを登るのではなく、志賀山まで縦走するのだ。これなら楽しい登山になるはずである。

朝は深い霧であった。天気予報によると今週はずうっと晴れるはずなので、山の上だけに雲がかかっているみたいだ。晴れてくれることを祈る。
午後にもう一つ山に登るつもりなので出発は
615分。私が車を停めた渋峠の駐車場にはかなりの車が停まっていた。昨夜は一台も停まっていなかったのに…。カメラと三脚を持った人が霧の中を歩いて行く。写真撮影に来ているのか?
渋峠からリフトの横の道に入る。リフト保安用の道で、一般車両は進入禁止なのだ。この舗装された道を歩いてゆく。風が強くて霧が流れてゆく。
30分ほど歩くと霧の中に建物の影が浮かび上がって、平坦になった。
山頂にはいろんな建物があって、三角点のある山頂はどこなのかよくわからない。ガイドブックを読むと横手山頂ヒュッテの南東方向に三角点があると書いてあった。ヒュッテはすぐにわかったので、磁石で方向を確認して歩いて行く。霧でなにも見えないのだ。
山頂のリフト降り場に着くと、その右に鳥居があった。指導標があって「山頂・神社」と書いてある。鳥居をくぐって山頂を目指す。平坦であるが登山道らしい道であった。
すぐに高い台の上に祠がある山頂に着いた。その前に三角点もある。ここからの展望はすばらしいというのだが、霧で何も見えないので記念写真を撮ってすぐに引き返した。
横手山山頂ヒュッテに戻って、志賀山に向かう道を探すとヒュッテの前から西側に下る道がある。これが志賀山への登山道だと思うのだが…。地図と磁石で確認していたら、ヒュッテのおばさんが犬と一緒に出てきた。訊いたらこの道でまちがいないという。
少しだけ下ると指導標があって「四十八池」をさしている。間違いない。
道はすさまじく急な下りであった。横手山の標高は2305mで、これから目指す草津峠の標高は1965m、標高差で250mも下るのだ。
階段の道で、段差が大きいためにものすごく歩きにくい。すぐに「のぞき・熊の湯」の分岐があって、そこには鉢山と大きく書いた標識があった。
右に下る。急降下してゆくと、なんどかスキーのゲレンデに合流する。

途中で「さくらフィルム」と書かれた鉄板の指導標を見た。なつかしい。さくらフィルムはコニカに社名変更して今はコニカミノルタになっているのだ。志賀高原はスキーのメッカ、昔は若者たちが大挙おしかけて写真をたくさん撮ったんだろうが、今はデジカメが全盛でフィルムを買う人はほとんどいない。時代は変わる…。
草津峠に着いたのは750分である。横手山から1時間かかった。少し行くと旧草津街道の分岐があった。昔はこの街道が上州と信州の交易路として盛んに使われていたのだ。
峠からは鉢山に向かっての登りになる。岩がゴロゴロする道を登って鉢山の山頂に着く。山頂の左には鉢池があるはずなのだが、樹林で見ることはできなかった。
鉢山から樹林の中を下ると下に湿原が見えてきた。これが四十八池湿原なのだ。湿原入口に東屋があるので休憩したかったが、きれいな池塘が広がっているのを見たら休む気がなくなった。草紅葉の中にいくつもの池塘があって、その池の間を木道が蛇行して続いている。池や草紅葉の湿原の美しさに何度も足を止めて写真を撮ってしまう。そのうちに霧が晴れてきて、行く手には裏志賀山が見えてきた。それが池塘に映ってすばらしい眺め。振り返ると鉢山も姿を現した。ラッキー…と思ったのも束の間、すぐに霧に隠れてしまった。
湿原のはずれには鳥居がたっていて、鳥居の額には「志賀山神社」と書かれていた。裏志賀山山頂には志賀山神社の祠があるのだ。急な斜面を登って行く。振り返ると湿原が見える。あたりの山々は霧に隠されているのだが、湿原だけがぽっかりと見えるのだ。きれいである。さらに登って行くと下に黒姫池が見えた。この山域は古い火山であるため、あちこちの噴火口跡に池ができていのだ。森の中にぽつんと池があるというのはけっこう神秘的なのだ。
登山道から見上げる裏志賀山は右側が絶壁になっていて、すごい山である。
志賀山と裏志賀山の分岐に着いたのは9時である。裏志賀山へはここから往復しなけらばいけない。少し急な道を上ると平坦な尾根道になる。裏志賀山の右奥にはエメラルドの大沼池が見えた。そのエメラルドの湖面を霧が流れる。神秘的な眺めである。
裏志賀山山頂は樹林の中で、鬱蒼としたその中に石の祠があった。山名の標識はない。ここから少し奥に行くと、樹林から抜けて下に大沼池を眺めることができた。残念ながら周りの山々は霧で見えなかった。
分岐に引き返して志賀山に向かう。急な下りが待っていた。その下りからは、森の中にポツンと釜池が見えた。
志賀山山頂に着いたのは925分。展望がすばらしいとガイドブックに書いてあるのだが樹林に囲まれている。とはいえ、このときは濃い霧の中で、もともと何も見えないのだが。
あとはひたすら下るだけである。山頂から少し行くとベンチの置かれた広場があって、そこには方位盤があった。樹林に囲まれているのにどうしてこんなところに方位盤を造ったのだろう。これを造った当時は展望が開けていたのだろうか。
ひたすら下る。その途中でお釜池を見ることができた。
ようやく道が平坦になると木道が敷かれていた。このあたりは道がぬかるんでいてかなり歩きにくい。四十八池からの道が合流するとしっかりした道になったが、とたんに観光客のような軽装のハイカーに出会うようになった。観光客そのもののかっこうの4人連れのおばさんとも遭った。どうしてこんなチンタラしたおばさん達が歩いてるんだと不思議に思ったら、すぐ先に前山スキー場のリフトが通じているのだ。
広いしっかりした道を行くと左に渋池がある。この頃、空はすっかり晴れて青空が見えるようになった。
渋池も森に囲まれた静かな池だが、明るい日差しを浴びて湖水が輝いていた。
渋池のすぐ先で樹林から抜け出すと草原が広がっている。そこにリフト駅があって人がたくさん見えた。道の左は前山湿原である。草紅葉が広がり、その中に池塘も見える。草原の向こうには、青空の下に大きく横手山が聳えていた。さすがこの山域の最高峰といっていいのだが、山頂に見えるヒュッテ、テレビ塔などが目障りである。
リフト駅からは左に曲がり、大きく回りこんでスキー場のゲレンデに出る。このゲレンデを下って行くと、右手にすばらしくきれいな紅葉を見ることができた。カメラマンも多くて、三脚でさかんに写真を撮っていた。
硯川のバス停に着いたのは1040分、白根火山行きのバスは1055分である。待ち時間15分、ピッタリだ。

バスはほとんど定刻にきた。ただ心配がある。私の財布には1万円札しかなくて、小銭は数えてみたら472円であった。もし、硯川から渋峠までがこれ以上の料金だと、両替ができなくて困ることになりそうだ。なんとか472円以内でおさまってくれと祈ってしまった。1115分に渋峠に到着。料金は440円であった。助かった…。


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渋峠、朝は深い霧だった


リフトの保安道を行く


横手山山頂ヒュッテ


山頂への道


横手山山頂三角点


のぞき熊の湯との分岐


草津峠


鉢山山頂


四十八池湿原の東屋


四十八池湿原から裏志賀山登山道入り口


裏志賀山への分岐


裏志賀山山頂


志賀山山頂にて


樹林の中に方位盤があった


四十八池湿原分岐


リフト降り場が見えてきた






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