甲信越の山百選 
みのぶさん

標高 1153m
三門→10分→久遠寺本堂→25分→尼僧法団本部→30分→三光堂→50分→法明坊→30分→身延山山頂→30分→感井坊→40分→法樹庵→30分→妙石坊→20分→三門

身延山は登山というよりは日蓮宗総本山の久遠寺奥の院へ参拝するということなのだ。そのため、このページはお寺の史跡めぐりになってしまっている。でも、山頂からは富士山をきれいに眺めることができるのだ。
久遠寺本堂と身延山

 久遠寺参拝
久遠寺三門を振り返る


三門から杉並木を行く


宮沢賢治の歌碑


振り返ると目がくらむ


久遠寺本堂と祖師堂

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20121011

今日は身延山に登る。「道の駅とよおか」に3泊もしてしまったが、今日はこの道の駅におさらばする。ここはTVの電波状態がよくて気に入っていたのだ。天気予報では晴れマークなのに時々小雨となっている。でも、空を見上げたらけっこう青空が広がっているので出発することにした。
身延の街に入って、カーナビ従って走って行くと、門前町の通りになった。町営の駐車場を見つけたのだが、まだ受付が開いていない。料金をみたら時間制になっていて、5時間駐車すると1500円もかかってしまうのだ。なんとか他に駐車場はないのかと走って行くと、久遠寺の大きな仁王門のすぐ前に「久遠寺参拝者用の駐車場」があった。4台しか停めれない小さなものだが、2台分空いている。私は登山をするのだが、本堂からさらに奥の院まで行って、手を合わせるつもりなのだから、参拝者に違いないだろう。賽銭は多めに出すから…ということで、ここに車を停めた。
数段の石段を登ると三門が大きく聳えている。さすが、日蓮宗の総本山である。
この仁王門をくぐると、大きな杉並木のりっぱな参道が続いている。右に宮沢賢治の歌碑があった。そういえば、宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信徒だった。歌碑には
  塵点の 劫をし過ぎて
  いましこの 妙のみ法に
  あいまつりしを

と刻まれていた。
その参道の突き当たりには垂直な壁のような石段が聳えていた。まさかこれを登るのか…と思ったらまさしくそうなのだ。

石段の手前には南部實長公の銅像があった。この人は、日蓮上人にこの身延山を寄贈した人なのだ。

この石段の手前には石段を迂回する「男坂」と「女坂」がある。でも、私はこの急な石段を登ることにした。手すりにすがって一歩一歩息を切らせて登って行く。石段は287段もあって、すさまじく急である。これも、修行らしい。途中、男坂を横断する。さらに急な石段は続き、よせばよかった…と悔やむころに、ようやく石段は終わった。振り返ると、目もくらむような急な階段であった。

石段を登り切ると広い境内で、右には赤い五重塔が聳えていた。正面は本堂である。さすがに日蓮宗総本山はすごい。
本堂の左にロープウェイ駅への道が続いている。これを行くと、すぐにロープウェイへの道と分かれて参道が右に続く。急な坂である。舗装された道がUターンを繰り返して登って行くのだ。分岐から少し行ったところに「七丁」と書かれた丁石があった。これは奥の院まで続いていて、奥の院で五十丁なのだ。
Uターンしたところに「本地堂」があった。りっぱなお堂である。この前が開けていて、本堂の甍と五重塔を見ることができた。



 三光堂
鬼子母神堂


尼僧総本部が見えてきた


三光堂に着いた


参道にはいたるところに墓石が並んでいる。これを眺めながら急な坂を登って行くと、十丁を過ぎたところで鬼子母神堂の入口があった。せっかくなので寄り道する。石段を上って行くと、普通の民家のようなお堂であった。でも、その前の庭がすごくきれいである。

カーブを繰り返して登って行くと、赤い鳥居が見えてきた。稲荷神社であった。ここで道は左折して、少し行くと左にお堂が見えるので行ってみた。このあたりは古い墓石、石塔がいっぱいで、すごい雰囲気である。お堂には遊師堂という額がかかっていた。
参道に戻って少し行くと、建物が見えてきた。これが尼僧法団の総本部らしい。それにしては小さな建物である。このすぐ下に無数の墓石が並んでいるのが見えた。すごい。京都の化野念仏寺みたいである。もちろん、寄ってみた。
参道を行くとすぐ右に石段があって、これを上ると丈六堂の前に着いた。中には金ぴかの釈迦立像が祀られていた。
さらに、参道をジグザグに上って24丁を過ぎると、ようやく杉林から抜け出して三光堂に着いた。広い境内を持っていて、参道正面に三光堂、右手に大黒堂があった。ここには休憩所があったので休むことにした。
お堂の前で左折すると、この先は車の進入禁止で、ようやく山道になる。その山道の入口に大きな尖塔が立っている。「久遠寺相輪塔」というのだ。




 身延山山頂へ
四十丁の石標と法明院


東照宮に着いた


奥の院に着いた


祖師堂境内


身延山山頂


山道といっても道幅は広くて、ほとんど林道に近い。でも、もう舗装はされていない。傾斜はどんどんきつくなって、三十八丁をすぎると、すさまじい登りになった。

この急坂を登り切って、四十丁の丁石が現れると法明坊である。ここには日朗上人が日蓮聖人のために汲んで捧げたという由緒ある井戸があった。
ここから傾斜は少し緩まったが、急な登りに変わりはない。少し行くとさや堂のかかったお堂があった。これが東照宮なのだ。彫刻がすごく緻密で、これならさや堂をかけて保護したくなるはずである。
巨木の杉林が続き、そのとぎれたところから富士川を見ることができた。すごく上ってきているのだ。この頃から丁石の間隔が狭まったような気がする。次々と丁石が現れて、49丁で鋭角にターンして急登すると、ようやく平坦地に着いた。たくさんの建物がたっている。ここが奥の院らしい。すぐに展望台があって、ここから真っ正面に富士山を見ることができた。下には蛇行して流れる富士川、絶景である。
ここから山側に行くと正面に開基堂があって、そのまえで左折、少し行くと右に思親閣祖師堂の参道があった。この参道の両側にはすごく古い杉の巨木が聳えている。これは日蓮聖人自らが植えたという杉なのだ。それが1本だけではなくて4本もあるのだ。
まず仁王門をくぐる。正面にたつのが思親閣で、これが奥の院ということになる。この前で手を合わせて、それから身延山山頂に向かった。
ガイドブックには、この思親閣の後ろに山頂があるというので行ってみた。でも確かに小高いところはあるのだが、そこには踏み跡もなくて、茫々の藪であった。これは違うのかと思って、周りを見回すと展望台らしきものが見える。少し下なのだが行って見ると、南アルプス展望台で、ここに山梨百名山の標識がたっていた。ここが山頂ということらしい。

正面にはすばらしい展望が広がっている。真っ正面に聳えているのが富士見山なのだが、南アルプスはその後ろに連なっている…はずなのだが、雲でまったく見えなかった。でも、この展望で満足することにして、ベンチに腰掛けて休憩した。考えてみたら、登山道に入ってから、まったく人に会っていない。この展望台でも私一人である。参拝者はすべてロープウェイで上ってくるらしい。こんなに苦労して参拝しているのだから、日蓮聖人にたくさんの御利益をお願いしたいものだ。



 裏参道を下山
展望台から仰ぐ七面山


感井坊


千本杉


久遠寺五重塔が煮えてきた


ロープウェイ駅に向かう。その少し手前に七面山の展望所があった。

ロープウェイがちょうど着いたところらしくて、ゾロゾロと観光客が降りてくる。ロープウェイ駅のすぐ横に展望台があって、そこに身延山山頂の大きな標識がたっていた。まるでここが山頂みたいだ。ここからも富士山を正面に眺めることができる。
観光客がいっぱいなので、すぐに下山を開始した。指導標にしたがって林道のような道を下って行く。途中いろんな石碑などがあって、歴史のある参道だということがわかる。
25分ほどで感井坊に着いた。ここは何かしらひどく寂れていて、休憩所などはほとんど倒壊していた。
10分ほど林道を下ると、すごい巨木の杉林に入った。ここが「千本杉」である。
ここから15分ほど林道を行くと、ようやく右に登山道の入口があった。…とはいえ、道幅はけっこう広くて林道とあまり変わらない。この道は、ジグザグの連続で下ってゆくのだ。すぐ下に道が見えるのでショートカットしたくなるのだが、断崖のような斜面なのでそれはできない。ともかく延々とジグザグを繰り返すしかないのだ。
15分ほどで松樹庵に着いた。ここからは久遠寺本堂と五重塔を見ることができた。
松樹庵からもジグザグを繰り返して下って行く。どんどん下って、二度ほど林道に合流したがすぐに山道に分かれる。どんどん下って川の流れまで下ってしまった。これに沿って少し行くと妙石坊であった。ここには日蓮聖人ゆかりの巨石があるのだ。裏から境内に入って、正面参道を下る。すぐにアスファルトの車道に出て、この先はひたすら車道を歩くのだ。
トンネルをくぐる手前に右に長い橋がかかっていて、その奥でしきりにお題目を上げている声がする。なんだろうと思いながらも通過してしまったのだが、ここが日蓮聖人の廟だったのだ。見逃してしまった。
三門の前に戻ったのはちょうど13時であった。なにかしらひどく疲れた。車の前に戻ったが、別に違反駐車のラベルも貼られていなかった。よかった。


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