甲信越の山百選 |
だいぼさつれい 標高 2057m |
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大菩薩峠 |
丸川峠分岐から丸川峠へ | 1983年の登山記録 丸川峠登山口 林道から右の登山道に入る 大きな岩を越える 丸川荘 |
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BACK 瑞牆山 2010年8月21日 |
丸川峠から大菩薩嶺・大菩薩峠へ | 丸川荘から草原を登って行く 静かな山道を行く 大菩薩嶺山頂 草原の尾根を下って行く 中里介山文学碑 大菩薩峠の介山荘 |
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丸川荘の前が分岐で、直進すると六本木峠、大菩薩嶺へは右折するのだ。高山植物保護のロープが張られた細い道を行く。道がほとんど笹藪に覆われていて、朝露でズボンが濡れてしまった。笹原の斜面を登って行って、樹林のなかに入った。 林の中の緩やかな登りが続く。本当に静かな道で、傾斜もないものだから快適といっていい。道端は緑の苔で覆われた岩が点在してすごくいい雰囲気である。ただ、残念なのは、樹林の中でまったく展望がないことである。 1時間ほど緩急の登りが続き、行く手に丸い大きな山が迫ってくる。これが大菩薩嶺なのだ。 山頂近くになると、すごく長い震幅のジグザグ登りになった。ターンして、それからしばらく緩やかに登って、またターンするという繰り返しで、ほとんど急登がない。 大菩薩嶺の山頂に着いたのは9時20分であった。樹林に囲まれた広場で、展望はまったくない。山頂の真ん中には山名標識と三角点が並んでたっていた。 山頂で休んでいると、登山者がポツポツ登ってくる。でも、樹林の中で展望がないためか、すぐに引き返して行くのだ。 山頂から下って行くと、地面に丸太が並べて置かれている。道が泥濘になっているのだ。山頂から7分ほど下ると樹林から抜出して、展望の斜面に着いた。下にはダム湖が見えた。上日川ダムで、大菩薩湖というらしい。この岩礫の斜面の先に岩場があった。ここが雷岩で、この上からはダム湖の眺めがすばらしい。そして、よく見たら、ダム湖の上の雲の間に富士山の頭がチラリと見えた。雲が多くて富士山の展望はあきらめていたのだが、なんとか頭の先だけでも見ることができた。満足。 そして、行く手には大菩薩を代表する展望、草原の稜線が見えた。すばらしい眺めだ。 雷岩から両側にロープが張られた道を下って行く。両側はお花畑らしいのだが、咲いている花は少なかった。 景色を眺めながらのんびり下って行くと、標高2000m地点という標柱がたっていた。大菩薩は標高2000mを越える山なのだ。 再び岩場のピークに立つ。これが神部岩である。この岩山からの下りはけっこう険しかった。 大菩薩嶺を振り返り振り返り下って行く。神部岩がけっこう特徴的である。下って行くと小屋が見えてきた。岩礫の斜面が広がって、そこに大きなケルンがいくつも積まれている。ここが賽の河原なのだ。小屋は丸太を組んで造られていて、中は壁に沿って広い幅のベンチが設けられていた。 賽の河原から緩やかに登って尾根の上に出る。ここから振り返ると、大菩薩嶺に続く草原の稜線がすごくきれいであった。 この先は岩尾根の下りで、下に小さく小屋がみえる。これが大菩薩峠にたつ介山荘である。 岩のピークを越えて下って行くと五輪の塔がたっていた。これは中里介山の文学碑なのだ。有名な大長編小説「大菩薩峠」の作者である。大菩薩峠という小説は30年間にもわたって書き続けられたのだが、結局未完で終わったのだ。 介山荘の前に着いたのは10時半である。登山者がたくさん休憩していて、私もここで一休み。ここには大菩薩峠とかかれた大きな標柱がたっていて、記念写真にはぴったりのところなのだ。この後ろに新しい方位盤もあるのだが、遠くの山は湧き上がる雲に隠れて見えなかった。 |
大菩薩峠からはしっかりした道が続く 車道に出ると勝緑荘があった 上日川峠に着いた 溝の中の道が続く |
大菩薩峠から登山口へ | |
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