甲信越の山百選 
だいぼさつれい

標高 2057m
丸川峠登山口→2:00→丸川峠→1:20→大菩薩嶺→40分→大菩薩峠→1:00→上日川峠→1:20→丸川峠登山口

この山に初めて登ったのは東京に住んでいた20年以上も昔のことである。今回はその時とは違うコースを登ることにした。丸川峠経由の道は、ほとんど登山者に会うことがなく静かな登山ができたのだが、大菩薩嶺から先は登山者がいっぱいであった。
大菩薩峠

 丸川峠分岐から丸川峠へ 1983年の登山記録


丸川峠登山口


林道から右の登山道に入る


大きな岩を越える


丸川荘

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2010年8月21

昨日は一日休養日にした。天気予報は雨ではなかったのだが曇りで、大菩薩嶺にはすっきりと晴れた日に登りたかったのだ。
大菩薩は首都圏からのハイカーが多い山で、今日は土曜日のうえ天気もいいので、人がいっぱいかもしれない。でも、私は裂石から丸川峠経由で山頂に至るつもりなので、あまり登山者に会うことはないはずだ。今は上日川峠まで車で入れるので、ここから山頂を往復する人がほとんどからだ。
道の駅から裂石までは17kmほどである。ここに大菩薩登山口のバス停があるのだ。バス停から林道を少し上がると丸川峠と上日川峠の林道分岐があって、左に入ったところに駐車場がある。もちろん1台も停まっていなかった。
出発は620分である。林道の入口にはトレッキングコース案内図がたっていた。
簡易舗装の林道を20分ほど歩くと、右に登山道の入口があった。ここからはひたすら林の中を登り続けるのだ。急登の連続である。30分ほどで尾根の上に登り着いた。
さらに30分ほど尾根を行くと、大きな岩が重なる岩場があって、これを越える。この先、道には大きな岩が見られるようになった。傾斜もきつくなったような気がする。
岩場から
15分ほどで傾斜が緩まって、明るい林の中を行くようになる。道の両側が笹藪になって、保護ロープが張られている。お花畑なのかもしれないが、花はほとんど咲いていなかった。
すぐに樹林から抜出すと頭上はまっ青な空で、山の斜面にかかる霧がしだいに晴れて行くところだった。
花は咲いていないかと草原を眺めながら歩いて行くと、青くペンキで塗られた小屋の前に着いた。これが丸川荘で、その後ろの広場には丸川峠の標識があった。
8時ちょうどの到着であった。




 丸川峠から大菩薩嶺・大菩薩峠へ
丸川荘から草原を登って行く


静かな山道を行く


大菩薩嶺山頂


草原の尾根を下って行く


中里介山文学碑


大菩薩峠の介山荘

丸川荘の前が分岐で、直進すると六本木峠、大菩薩嶺へは右折するのだ。高山植物保護のロープが張られた細い道を行く。道がほとんど笹藪に覆われていて、朝露でズボンが濡れてしまった。笹原の斜面を登って行って、樹林のなかに入った。
林の中の緩やかな登りが続く。本当に静かな道で、傾斜もないものだから快適といっていい。道端は緑の苔で覆われた岩が点在してすごくいい雰囲気である。ただ、残念なのは、樹林の中でまったく展望がないことである。
1時間ほど緩急の登りが続き、行く手に丸い大きな山が迫ってくる。これが大菩薩嶺なのだ。
山頂近くになると、すごく長い震幅のジグザグ登りになった。ターンして、それからしばらく緩やかに登って、またターンするという繰り返しで、ほとんど急登がない。

大菩薩嶺の山頂に着いたのは920分であった。樹林に囲まれた広場で、展望はまったくない。山頂の真ん中には山名標識と三角点が並んでたっていた。
山頂で休んでいると、登山者がポツポツ登ってくる。でも、樹林の中で展望がないためか、すぐに引き返して行くのだ。

山頂から下って行くと、地面に丸太が並べて置かれている。道が泥濘になっているのだ。山頂から7分ほど下ると樹林から抜出して、展望の斜面に着いた。下にはダム湖が見えた。上日川ダムで、大菩薩湖というらしい。この岩礫の斜面の先に岩場があった。ここが雷岩で、この上からはダム湖の眺めがすばらしい。そして、よく見たら、ダム湖の上の雲の間に富士山の頭がチラリと見えた。雲が多くて富士山の展望はあきらめていたのだが、なんとか頭の先だけでも見ることができた。満足。
そして、行く手には大菩薩を代表する展望、草原の稜線が見えた。すばらしい眺めだ。

雷岩から両側にロープが張られた道を下って行く。両側はお花畑らしいのだが、咲いている花は少なかった。
景色を眺めながらのんびり下って行くと、標高2000m地点という標柱がたっていた。大菩薩は標高2000mを越える山なのだ。
再び岩場のピークに立つ。これが神部岩である。この岩山からの下りはけっこう険しかった。
大菩薩嶺を振り返り振り返り下って行く。神部岩がけっこう特徴的である。下って行くと小屋が見えてきた。岩礫の斜面が広がって、そこに大きなケルンがいくつも積まれている。ここが賽の河原なのだ。小屋は丸太を組んで造られていて、中は壁に沿って広い幅のベンチが設けられていた。
賽の河原から緩やかに登って尾根の上に出る。ここから振り返ると、大菩薩嶺に続く草原の稜線がすごくきれいであった。

この先は岩尾根の下りで、下に小さく小屋がみえる。これが大菩薩峠にたつ介山荘である。
岩のピークを越えて下って行くと五輪の塔がたっていた。これは中里介山の文学碑なのだ。有名な大長編小説「大菩薩峠」の作者である。大菩薩峠という小説は
30年間にもわたって書き続けられたのだが、結局未完で終わったのだ。
介山荘の前に着いたのは10時半である。登山者がたくさん休憩していて、私もここで一休み。ここには大菩薩峠とかかれた大きな標柱がたっていて、記念写真にはぴったりのところなのだ。この後ろに新しい方位盤もあるのだが、遠くの山は湧き上がる雲に隠れて見えなかった。




大菩薩峠からはしっかりした道が続く


車道に出ると勝緑荘があった


上日川峠に着いた


溝の中の道が続く
 大菩薩峠から登山口へ


介山荘から樹林に入って下って行く。道はすごくしっかりしていて、傾斜も少なくて、四駆なら上って来れそうな道である。実際、介山荘の裏に車があった。
きれいな林の中をどんどん下って行くと、登ってくる登山者も多い。峠から25分ほど下るとお寺の屋根が見えてきて、舗装された道に降り着いた。お寺と思った建物は勝緑荘というのだった。
車道を5分ほど歩くと富士見山荘という小屋があって、そこからさらに5分ほどで、登山者がいっぱいたむろする福ちゃん荘の前に着いた。ここからはこのまま車道を歩いても上日川峠にも行けるのだが、私は山道を歩く。福ちゃん荘の左に登山道の入口があった。
きれいな林の中を下って行く。車道が平行していて、そこを歩いてくる登山者も見えた。
15分ほどで上日川峠に着いた。
ここまでは車が入れて広い駐車場もあるのだが、満車であった。駐車場の前にはバス停があった。今の時期はバスで来ることもできるのだ。

私はここで危うく道を間違えるところだった。石丸峠に向かう道に入ろうとしたのだ。危なかった。裂石への下山路は駐車場の前を過ぎたところにあるのだ。
道はすばらしいブナの林を行くのだが、深い溝の中の急な下りだったり、岩の多いところもあったりで、けっこう険しかった。
45分ほど、ひたすら下り続けたら、林道に出た。そこには大菩薩峠登山道という大きな看板がたっていた。
林道を5分ほど行くと白いガードレールが見えてきて、そのそばに千石茶屋がたっている。
すぐに広い車道に出てしまって、あとは車道歩きかと思ったら、再び登山道の入口があった。これを
5分ほど行くと再び車道に出てしまったが、少しだけ車道を歩いたら今朝の林道分岐に着いた。車に戻ったのは1238分であった。


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