2002年6月22日
新田次郎の山岳小説に「孤高の人」がある。
私の最も好きな小説の一つで、実在の登山家、加藤文太郎さんを主人公にした物語である。
この冒頭に高取山の山頂で老人と若者が会話をかわすシーンがあって、ここで老人は不世出の登山家、単独行の加藤文太郎のことを語るのである。加藤文太郎さんは神戸に住んでいて、山の基本はこの六甲山を歩くことによって培ったのだ。
この小説に六甲山全山縦走路のことが書かれている。これはJRの塩屋駅から宝塚に到る全長50
kmの道で、これを踏破するには速くても12時間かかるのだ。ところが加藤文太郎さんは神戸の寮を歩いて出発して全山縦走を行い、さらに宝塚から歩いて神戸まで帰ったという。
「孤高の人」を初めて読んだのは私が大阪に住んでいたときのことで、山を少しだけかじり始めた頃だった。
私はその時、甲子園にある独身寮に住んでいたのだが、この小説に刺激されてか六甲山によく登った。菊水山から宝塚まで縦走したこともあるし、寮から歩いて出て最高峰に登り、歩いて帰ってきたこともある。ただ、塩屋〜菊水山の間は歩いたことがなく、全山縦走はまだ果たしていないのだ。
今、30年ぶりに関西に転勤してきて、昔果たせなかった全山縦走をしてみたいと思う。ところが、今住んでいる京都府向日市からは始発の電車に乗っても塩屋には7時前にしか着かない。全山縦走は12時間以上かかるのだから、前泊でもしないかぎり無理だ。
ともかく、まだ登ったことのない塩谷〜菊水山を歩いてみることにした。
早朝の電車はすべて各駅停車で、ものすごく時間がかかる。
4時46分に阪急西向日を出て、塩谷に着いたのは6時46分であった。
駅を下りるとそこには駅前広場がなくて、すぐに店が並んでいる路地のような道がある。
最初から道がわからなかった。
登山地図とにらめっこで歩き始めた。
それでも道を間違えた。
ようやく登山道に入って、しばらく行くと地図に記載されている山王神社があった。これで道を間違っていないことが確認できた。
この神社の前に案内板が立っていて、この裏に源平合戦の戦死者の供養塔があるのだそうだ。
行ってみることにする。
古い風化した五輪の塔がいくつも並んでいた。そんな大きなものではない。
ここから、激戦の瀬戸の海を見下ろし続けてきたのか…と、少し感傷にふけってしまった。
どんどん登って行くと、とつぜん大きなコンクリートの建造物の横に出る。
これは「ドレミファ噴水パレス」で、中に入ってみるとプールがあって、きれいに花が咲いていた。
すばらしかったのはここから見る景色で、明石海峡大橋を間近に見ることができるのだ。
明石大橋からこんなに近いとは思いもよらぬことであった。
ここからは遊園地の中の歩道を歩いて行く。
須磨浦山上遊園を通り抜け、再び登山道を行く。
20分足らずで鉄拐山の山頂に着いた。ここからも明石海峡の展望がすばらしい。
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