BACK 摩耶山
2002年7月20日
摩耶山山頂から舗装道路にもどって少し行くとバス停がある。
どうして、山の中にバス停があるんだと思ってしまうのだが、そのバス停から右に曲がるとロープウェイ駅であった。
ともかく深い霧の中で、あたりの様子がよくわからない。
駅前の広場は公園のようにきれいに整備されていて、駅の名前をみると「星の駅」となっていた。
ここからは、ひたすら舗装道路を歩くことになる。まず摩耶ロッジをめざす。ところが摩耶ロッジというのはなくて「ホテル・ド・摩耶」というのがあった。名前が変わったのだろうか。
ここから山道に入る。ともかくこのあたりはバス道が走っていて、登山道はこの舗装道路にからみつくように続いているのだ。摩耶別山というピークがあるのだが道は山頂を通らなくて、いつのまにか通り過ぎてしまっていた。
再びバス道に出て、杣谷峠に着く。このすぐ左下には穂高湖があるのだが、立ち寄らなかった。
さらに舗装道路を進んで「市立自然の家前」に着いた。再び山道に入って三国池をめざし、ふたたび舗装道路を行く。丁字ヶ辻に着くがここは表六甲ドライブウェイの終着点で車がどんどんやってくる。このあたりから歩道部分もなくなってしまって、車ががんがん通る道の端を、車に気を遣いながら歩いていく。なんかみじめである。
六甲山ホテルの前を通過する。下界の一流ホテルと同じで、ホテルマンが外で車の誘導なんかをしていた。ここは山の上だったっけ…と思ってしまう。
ようやく記念碑台に着く。ここには自然保護センターがあるので立ち寄ることにした。
中には六甲山の自然についての展示がされている。ここのおじさんがいろいろ説明してくれた。
この記念碑台には「101番」と刻まれた石碑があった。イギリスの貿易商アーサー・ヘスケス・グルームという人の商館があった場所で、101番というのは彼の商館番号なのだ。このグルームという人が六甲山の開発を行ったことから、六甲山の父ともいわれるらしい。
さて、この自然保護センターから下のバス道に下ると、そこは裏六甲ドライブウェイの入り口である。車が列をなしていた。
横断歩道を渡って、次の十国展望台をめざすのだが、ここであっさり道を間違えてしまった。バス道をどんどん歩いていって、どうにもおかしいので地図と磁石で確認してみると、サンセットドライブウェイを歩いていることがわかった。引き返す。
広い道から裏道に入って、六甲山小学校を右にみてしばらく行くとゴルフ場の真っ只中に入って行く。両側がゴルフ場のコースで、自然歩道は網で囲われたトンネルの道である。
こんな深い霧の中なのに、それでもゴルフをしているようだ。六甲山ゴルフ場といえば名門中の名門で、確か日本で最初のゴルフ場だったと記憶している。
ゴルフ場を過ぎて、再び舗装道路に出る。
ここは「みよし観音」があるところ。昭和39年に日東航空徳島行きの「やしお号」が墜落するという事故があって、そのとき乗客救出にあたり、殉職したスチュワーデス(今は死語か)を称えて建立された観音像なのだ。
観音像の前に広場があって、ここで休憩していたら、驚いた事にタヌキが出てきた。人に馴れているようで、餌をくれるのを待っている。
なんか北海道のキタキツネを思い出してしまった。
みよし観音を過ぎて、すぐに十国展望台に着く。ここも観光客の集まるところで、頭の上を六甲有馬ロープウェイが通っていた。天文通信館や展望パレスとか、大きな建物がいっぱい建っている。
登山道に入って、凌雲荘の裏を通ると、今度はイノシシの親子がゴミを漁っているのをみた。動物たちも大変である。このイノシシは父親と母親、子供が3匹の親子連れであった。子供のイノシシは茶色い毛でかわいい。
六甲山というのは、山の上なのに車が走っていて、どうしようもなく俗化していると思うのだが、それでもタヌキとかイノシシのような野生の動物が住んでいるのには驚かされてしまう。動物達も人間に負けることなく、たくましく生きているのだ。
ここからは車道に沿った道を行き、舗装道路を何度か横切る。
空が明るく晴れてきた頃に、六甲山最高点への登りに入った。車道から左の道に入って、登っていくとコンクリートで固められた道に出る。これを左に少し登るとそこが六甲山最高峰であった。たくさんのハイカーが休憩している。
山頂には丸い柱の標識が立っていて、ここで記念写真を撮った。それから山頂から少し離れたところにある休憩広場に行く。座るにはちょうどいい大きさの石が、椅子のようにいくつも置いてあるのだ。この上に靴を脱いで座り込んで食事をした。
正面には大きなアンテナ塔が立っていて、その下には自衛隊のトラックが停まっている。隊員も食事中であった。
空が晴れてきて、最高峰の上には真っ青な空と白い入道雲が広がっている。天気予報は当たっていたのだ。
つくづく夏の山だ、と思う。
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