BACK 音羽山
2008年11月20日
音羽三山から下山して、車に戻ったのが11時40分であった。今日はもう一つ、額井岳に登りたいと思っているのだが、ガイドブックのコースだと4時間もかかる。今日の登山は無理かなと思ったが、よく読むとガイドブックはバス停から歩き始めているので、登山口まで車で行ってしまえば時間が短縮できる。今日中に額井岳に登ることにした。
額井岳は東海自然歩道を歩いたときに間近に仰ぎ見て、すばらしい山だと思っていたのだ。東海自然歩道では登山口のある神社を通っているのだが、そのときは時間の関係で登れなかった。その思いをようやく果たすことができる。
車を走らせて登山口に近づくと、額井岳が見えてきた。昔見た通りのすばらしい山である。
登山口の十八神社に着いたのは12時半であった。東海自然歩道を歩いた時にはこの神社から山辺赤人の墓へ向かったのだ。
神社の石段の前をそのまま真っ直ぐに進んで登山道に入る。杉林の中を行くのだが、道はえぐれた溝のようになっていた。7分ほど鬱蒼とした杉林を登ったら、突然林道に出てしまった。指導標がたっていて、70mほど林道を歩いてから再び登山道に入るのだ。
けっこうきつい登りになった。道には岩がゴロゴロしていて、沢の中を歩いているようである。しかも急な登りが続く。
鬱蒼とした植林の中をひたすら登って行く。林道から20分ほど急登すると、ようやく尾根の上に出た。そこにたつ指導標によると、この尾根を越えて下って行くと曽爾村にでるらしい。でも、私はこの尾根を右に行き山頂を目指すのだ。
尾根を歩いて行くと、樹林越しに紅葉に包まれた額井岳が見えた。ずいぶん高く聳えていた。あそこまで登らなければいけないのだ。
尾根を15分ほど急登すると、あっさりと山頂に着いてしまった。意外と早く山頂に着いてしまって、まだ13時20分であった。
山頂には赤い祠が置かれていて、その後ろに三角点があった。四等三角点であった。
南側が開けていて、そこが展望台になっている。
真っ正面に見えるのが大台ヶ原で、山頂は雪で白くなっている。その左、南東の方向には高見山が見える。私の記憶では鋭い三角形の山だったのだが、ここから見ると、なだらかな峰である。でも山頂付近は雪であった。南南西の方向に山頂部を雲に隠して聳えているのが大峰山のようである。すばらしい眺めだ。展望台の反対側も視界が開けてしるのだが、こちらには高い山はなくて、下に集落が広がっていた。
景色も十分楽しんだので、次は戒場山を目指す。山頂から笹の間の道を下って行く。今朝、音羽山では雪でひどい目にあったのだが、この山に雪はなかった。よかった…。
すぐに檜林の中の急降下になった。ロープも張ってあるので、これにすがって下って行く。
どんどん下ってようやく鞍部に着いて登り返すと、意外と簡単にピークに着いた。もちろんここは戒場山山頂ではないのだ…。
そこから左に尾根を行くと、もう一度急な登りがあってピークを越える。その山頂にはなぜか天理命と書かれた赤い木札がたてられていた。
ここから急下降すると、反射板の横に飛び出した。そこは展望が開けていて、行く手に戒場山を眺めることができた。
反射板から急下降が続く。檜林の中に岩が点在する尾根をひたすら下って行くのだ。
反射板から10分ほど急下降したところに指導標がたっていて、ここで尾根から右に外れて暗い檜林の急斜面をひたすら下る。8分ほどでようやく鞍部に着くと指導標がたっていて、右に下ると山辺赤人の墓に着くことができるらしい。でも私はここから尾根を登って戒場山山頂を目指すのだ。
檜林の中を10分ほど登ると檜林から自然林に変わる。ようやくピークに立ったが、そこは山頂ではなくて、一度緩やかに下ってそれから檜林の中を登るのだ。
傾斜が緩まって檜林の平坦地を行くと、その林の中にぽつんと三角点があった。そのすぐ横の木に戒場山とかかれた標識が下げられていた。
戒場山は檜林の平坦な尾根の途中で山頂らしからぬところなのだが、ここの三角点は三等三角点であった。さっきの額井岳は四等三角点だったのに…。
薄暗い檜林を5分ほど下って、それから少し登り返す。白く立ち枯れた木が立つピークを越えて少し行くと指導標がたっていて、そこが戒長寺への下り口であった。
山の斜面をトラバースするように下って行き、それから急斜面のジグザグの下りになった。
ようやく戒長寺の裏に着いて、戒長寺の境内に入ると一面銀杏の葉が敷き詰められていた。まだ完全に黄色くなっていないのだが、それでも銀杏の葉が絨毯のように厚く敷き詰められているのはみごととしか言いようがない。
本堂の右奥にはなぜか立派な神社の社がたっていた。境内では三脚を立てたカメラマンが二人いて、この銀杏の葉に覆われた境内の写真を撮っていた。私も一緒になってたくさんの写真を撮ってしまった。
私は裏から入ってきたのだが、本堂正面の境内入口には鐘楼門があって、そのすぐ横に銀杏の巨木が聳えている。
この銀杏の葉が境内に厚く降り積もっているのだ。
たくさんの写真を撮って戒長寺を辞する。長い石段を下って車道に降り立つと、そこには東海自然歩道の指導標がたっていた。ここからは東海自然歩道を歩いて十八神社に戻るのだ。
自然歩道を歩いて行くと、行く手に額井岳が聳えている。二つのピークが見えて、その手前のピークのすぐ下に反射板が見えた。あそこを下ってきたのである。
20分ほど歩いて山辺赤人の墓に着く。墓の入口には歌碑がたっていて、
あしひきの 山谷越えて 野づかさに
今は鳴くらん 鶯の声
という万葉歌が刻まれていた。東屋の横から奥に入ると古い五輪の塔があった。これが赤人の墓だというのだが、とても万葉の時代の墓とは思えない…。
墓から林道に戻ってくると、正面に額井岳が大きく聳えていた。すばらしい山容である。
赤人の墓から10分ほど歩くと車をおいた十八神社であった。
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十八神社
溝の中を行く
林道に出てしまった
尾根に着いた
額井岳山頂
檜林を急降下する
反射板に着く。向こうには戒場山
岩の散らばる尾根を下る
戒場山山頂
戒長寺本堂
東海自然歩道を行く
山部赤人墓の入口
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