2007年9月11日
今日登るのは京都府の最高峰、皆子山である。
京都を北上して大原の里を過ぎ、さらに花折峠を越える。
この谷あいの道は朽木街道という。織田信長が越前を攻めたとき、近江の浅井長政の謀反にあって、命からがら京都に遁走した道なのだ。このときシンガリを勤めたのが羽柴秀吉である。
坂下隧道の手前で左に入る細い道がある。流れに沿って行くと、右に細い林道が分かれる。ここが足尾谷出合で、皆子山の登山口である。本当にこの道でいいのか心配になって、あたりをよく見たら、マジックで書かれた小さな標識があった。間違いない。
車を分岐に置いて、歩き始めたのは6時50分である。林道は狭いのだがしっかりしていて、車で林道終点まで行けそうであった。
きれいな足尾谷の渓流を右に見ながら歩き、橋を二度渡る。二度目の橋を渡るとダムの施設があって、さらに10分ほどで林道は終わる。
細い山道に入るとすぐに流れを渡った。丸木を二本並べただけの橋で、渡るのはけっこう怖かった。ここからは渓流すぐ横の道になる。行く手にまた橋が現れ、桟橋を歩いてから流れを右に渡る。この橋は細い上に傾いていてものすごく怖かった。
渓谷に沿って10分ほど行くと道端に標識があった。直進すると二の谷で皆子山へは左折となっているのだが、左折する道がない。少し行くと流れを左に渡る橋がかかっている。これが分岐らしい。でも直進する方向にはまったく踏み跡らしきものはなかった。この橋も不安定で渡るのが怖い。半分渡ったところで下が砂地になったので、橋から飛び降りたのだが、ロープに足を引っ掛けてしまって下の砂地に転んでしまった。危ない。
ここからは沢の徒渉を繰り返す。所々に函や滝があって、これを高捲くために急な登り下りする。この山は沢登りの山だったのだ。
急な斜面をロープで登って、ようやくトチの大木がたつ台地の上に出た。私は森の巨木が大好きなので、何枚も写真を撮ってしまった。
ここから少し行く左から細い沢が合流する。皆子山へはこの沢を遡るのだ。
荒れた感じの沢で急な登りが続く。20分ほど登るとようやく水の流れはなくなって、ロープにすがって涸れ沢を急登する。
ガイドブックには笹の中を急登すると書いてあったが、笹はすべて枯れてしまっていて、枝だけの藪になっていた。
傾斜が緩やかになって、頂稜を5分ほど行くと山頂に着く。
樹林に囲まれた山頂だが、東面が開けていて、武奈ヶ岳が見えた。その右に連なるのは蓬莱山らしい。皆子山山頂には私一人だけで、休んでいる間もだれも登ってこなかった。
下山は来た道を引き返そうと思っていたが、寺谷へ下ることにした。このコースをとると、車のところまで5kmほど、車道を歩かなければいけないのだが、私はできるだけ別の道を歩きたいと思っているのだ。
頂稜を歩いて行くと、3分ほどで左に下る道がある。直進すると皆子谷に下ることになるのだが、この道の方が広くてしっかりしているので、危うく真っ直ぐ行ってしまうところであった。
杉林の中を急降下する。すさまじく急な下りで、樹木につかまったりして必死に下る。やがて、この下降路は沢に合流する。下山路も沢の徒渉を繰り返す道であった。下り始めて15分ほどで道端に大きな岩があった。さらに沢に沿った急下降は続く。沢の流れは細いので靴を濡らすということはないのだが、滑りやすい岩を越えて行くので、ものすごく疲れる。国有林の錆びた看板の横を通って少し下ると、三角屋根の小屋があった。今は使われていない廃屋である。ガイドブックの炭焼き窯跡なのだろうか。
この廃屋から5分ほどで分岐の指導標があった。左から涸れ沢が合流するのだが、これを遡る道があるらしい。でも、踏み跡は確認できなかった。
沢に沿ってさらに10分ほど下ると、行く手に大きな沢の流れが現れ、これを渡ったら林道に出た。ここが寺谷出合なのだ。
林道を20分ほど歩くと林から抜け出して行く手に人家が見えてきた。林道は鎖で閉鎖されていて、ここを過ぎるとすぐに国道と合流する。そこには平バス停があった。
ここからは乗用車やトラックが走る国道を歩かなければいけない。途中二つのトンネルを抜けるのだが、歩道部分があったので、ほっとした。それでもトンネルの中では車が近づくとすごい音がして、ものすごく怖いのだ。
三つめのトンネルの手前で左に入り、5分ほどで車の前に戻った。
さすがに京都府の最高峰、皆子山は登りがいのある山だった。
NEXT 蛇谷ヶ峰
BACK 私の近畿の山百選
|
|
足尾谷を行く
二つ目の橋を渡るとダム施設がある
林道終点
こんな橋を渡る
トチの巨木があった
沢の上部
頂稜部を行く
皆子山山頂
寺谷への下降路、すごい下り |