私の近畿の山百選
きぬがさやま

標高 432m
安土大手門跡→北腰越→桑実寺→繖山山頂→佐々木城跡→観音正寺→観音城本丸跡→繖山山→地獄越→雨宮龍神社→猪子山山頂→北向岩屋十一面観音→上山天満天神社→能登川駅=JR=安土駅→安土城跡

繖山から北向観音堂までの縦走路は琵琶湖を展望しながら行くすばらしい道である。標高は低くてもこんなすばらしい山があったのだ。
縦走路から繖山を振り返る


BACK 安土城跡を散策

2007年916

安土城跡の散策を終えて、今度は本当の登山である。安土城の東に高く聳える繖山(きぬがさやま)に登るのだ。
安土城から東に伸びる尾根は北腰越という鞍部から繖山の西尾根に連なっていて、登山口はこの北腰越にある。
安土城の駐車場から県道を歩いてこの北腰越に向かった。この間はちゃんと遊歩道が作られていてラクだった。北腰越につくと西に向かう分岐がある。サイクリングロードなのだが、これが登山道かと思って歩いて行くと東海道線を渡り、さらに行くと安土城博物館に着いてしまった。入口には明治の頃の建物と思われる「旧安土巡査駐在所」があった。これは重要文化財に指定されているものなのだ。
ここで地図と磁石でよく確認すると、…道を間違えていた。もう一度北腰越に戻る。よく見ると分岐のすぐそばに「勧請西国三十三箇所」という石柱があって、その横に細い階段の道がある。これではないかと階段を登った。尾根の道になって、樹林の中の急な登が続く。道端にたつ石仏を見ながら行くと石の鳥居が見えてきた。そこには石の祠が二つ並んでいて中にはお地蔵さまがおさまっている。これがガイドブックにある子授け地蔵であった。この道が繖山への登山道で間違いないようだ。

急な階段の道を登って行く。途中には西国三十三箇所の石仏がたっている。
時々、写真を撮りながら登って行くと樹林から抜け出して行く手に大きく繖山が聳えているのが見えた。すぐに桑実寺・観音寺城跡の分岐があった。この寺に寄り道してから山頂を目指すことにした。
右折して山腹の水平道を行く。木の階段が設けられた遊歩道なのだが、樹木が覆いかぶさっているところも少なくない。何よりも困るのは蜘蛛の巣が多いことである。何度も蜘蛛の巣に顔をつっこんでしまった。
この道には石仏が並んでいて、三十三番から一番に向かって並んでいるのだ。石仏の番号を数えながら歩いて行くと、桑実寺の近くで繖山へ直登する分岐があった。この道を登ることにして、まず桑実寺を目指す。急な道を下ってお寺の裏門に着いた。ところが、ここは閉鎖されていた。ここまで来て入れないのかヨとがっかりしてしまった。
仕方がないので引き返して、さっき見つけた繖山への直登の道に入った。これは大間違いであった。最初は木の階段のしっかりした道だったのが、しだいに樹木に覆われるようになって、踏み跡も藪の中に消えてしまった。何よりも困ったのは、この樹木にイバラが混じっていることである。何度も棘を刺してしまった。腕には棘による擦り傷、ズボンの上からも棘が刺さって血がにじんだ。とんでもない道である。必死になって藪を掻き分けて踏み跡を辿る。傾斜が緩やかになると再び木の階段の道になって、ようやく北腰越からのしっかりした道に合流した。
ここで休憩。あのイバラの薮こぎでペースが乱れてしまって、相当バテている。ズボンやシャツにはツメクサ等の種がいっぱいへばり付いていた。これを取るのがまた大変だった。

分岐からも急な階段の道が続く。これはきつかった。本当にバテている。樹林から抜け出したところで振り返ると安土山がすごく下に見えて、池や琵琶湖が一望できる。南には近江富士と呼ばれる三上山ももみえた。
分岐から20分ほど急登してようやく山頂に着いた。ここには二等三角点がある。二人の登山者が休憩していた。
15分ほど休憩して、それから山頂の周遊に出かけた。繖山頂稜には室町時代の城跡や西国三十三箇所札所の観音正寺があるのだ。山頂から一段下ったところに分岐があって、左に行くと猪子山への縦走路で、周遊コースは右の道を行く。頂稜部を5分ほど行くとT字路があって、どっちを行っても観音正寺に行けるのだが、左の道をとって佐々木城跡をめざす。樹林の中を緩やかに下って行くと途中に石垣があったが、室町時代のものにしたら新しいような気がする。鬱蒼とした檜林を下って、分岐から10分ほどで大きな石碑が立つところに着いた。ここが佐々木城跡であった。お城の雰囲気がまるでない。
ここからは急な道を下って行く。巨岩が重なるところに出た。これが奥の院らしい。この巨岩の横の石段を下ると鳥居があって、その下で平坦な道とぶつかる。私が下った石段のみちは、その道からは入れないように閉鎖されていた。この柵を越えて平坦な道に出る。この道はたくさんの人が通る。これは観音正寺への参道で、彼らはその参拝者なのだ。
彼らに混じって歩いて行くと「ねずみ岩」という巨岩があった。どういう由来のものかよくわからない。
すぐに観音正寺に着いた。鐘楼があって、その奥に仁王像が左右に立っていた。仁王像は新しいもので、なんの囲いもなく像だけがたっている。この間を抜けると聖徳太子の像があって、その奥に上品上生印を結んだ大きな阿弥陀坐像がある。このお寺は札所でもかなり大きな寺なのだと思う。
正面に本堂を見ながら参道を行くと、右に太子堂と護摩堂があった。真言宗のお寺だと大師堂があるのだが、このお寺は聖徳太子が建立したとので太子堂なのだ。
正面の本堂は新しいものであった。この本堂の左を通って裏に回りこむと柵があって、その向こうに遊歩道がある。柵を乗り越えて遊歩道に出た。

鬱蒼とした樹林の中の遊歩道を行くと、すぐに三角点(繖山山頂)への分岐があった。観音寺城跡を見た後はここから山頂に戻ることにする。
竹やぶの横の古い石段を上って観音寺城跡に着く。この城は近江の守護職、佐々木六角氏が応仁2年に完成させた山城である。その後、この城は織田信長の時代に石垣などを大幅に改修されたのだそうだ。
三角点への分岐に戻って急な道を登る。来たときのT字路を経由して山頂に戻ったのは1455分であった。
これから北尾根を縦走する。

急な階段の道を下って樹林から抜け出すと、すばらしい琵琶湖の展望が広がっていた。そこには「湖国の大パノラマ」という表示があった。その名の通りの大パノラマである。
西には安土山とその奥に湖が見える。平野部は黄金色の稲穂の海である。行く手にはいくつものピークが連なっていて、尾根に沿って遊歩道が続いている。この道を縦走して行くのだ。遠い。
展望の尾根を下って行くと、次のピークには「須田不動の滝」の分岐があった。そこから下って樹林の中に入り、送電線の鉄塔の横を過ぎて急降下すると峠に着く。これが「地獄越」というすごい名前の峠なのだ。ここにはお地蔵さまが置かれていた。
急な道を登って行くと「きぬがさ山 里山に親しむ会」のつくった展望台があった。簡単なつくりのものなのだが、ここらは東の展望がすばらしい。
石段の道を急登して、着いたピークには鳥居がたっていた。縦走路から外れて右の石段を登ると雨宮龍神社の前に出る。祠には細密な彫刻が施されていた。
登山道に戻って、緩やかなアップダウンを繰り返して稜線を下って行くと石馬集落へ下る道があって、さらに鬱蒼とした樹林の中を下る。
道の所々に大きな岩があって、苔むしている。古墳ではないかと思われる石組みもあった。
樹林の中の猪子山山頂に着いたのは
1615分であった。山名標識の横には三角点があった。
猪子山山頂から下るとすぐに巨岩の重なりがあって、そこで樹林から抜け出す。この大きな岩の重なりは烏帽子岩で神が降臨する磐座なのだ。
ここから左に行くと色鮮やかな観音堂があった。これが北向い岩屋観音堂である。お堂の前は展望台になっていて琵琶湖が一望できた。

参道に戻って石段を下って行くと、北向十一面観世音と書かれた幟がいくつもてっていた。傾斜が緩やかになったところで、右に行くと上山天満天神社がある。ガイドブックに、登山路は天神社を経由するとかいてあるので行ってみたのだが行き止まりであった。でもこの神社の前に猪子山への登山道があったので、本当はここに下ってこなければいけなかったみたいだ。
参道を下って大きな鳥居の前に着く。上山天満天神社の鳥居であった。りっぱなものである。
あとは集落の中を歩いて
JR能登川駅に向かう。
JRで一駅乗ると安土駅に着く。
でも安土駅から車を置いた安土城跡の駐車場までは遠かった。
街を抜けて、稲穂の田んぼの中を歩いて行く。夕暮れが迫っており、行く手には安土山と鞍部の北腰越、そこから繖山の尾根が山頂に続いている。なんか今日一日はすごく長かったような気がした。


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北腰越の分岐、まっすぐ行ってしまった


これが登り口


子授け地蔵に着く


観音寺城跡への分岐


桑実寺への道は閉鎖されていた


繖山山頂


観音正寺と佐々木城跡の分岐


観音正寺に着いた


観音寺城跡


湖国の大パノラマ台


地獄越


展望台があった


雨宮龍神社


猪子山山頂


北向岩屋観音堂


JRで帰った





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