熊野古道 大峰山奥駈け道をゆく
大黒天神岳 574m
七越峰 262m
金剛多和→30分→大黒天神岳→1:00→山在峠→1:00→吹越峠→20分→七越峰→40分→備崎経塚群→5分→熊野川河畔

大峰山奥駈けの最終日である。食料が底をついたので、何としての熊野本宮大社までたどり着かないといけない。吹越峠からは眼下に蛇行して流れる熊野川と大斎原を眺めることができて、ここまで来たんだと、涙が出るほど感動した。
熊野川と大齋原の眺め

 大黒天神岳(五番靡)〜山在峠
金剛多和を後にする


大黒天神岳山頂


送電線鉄塔に着いた


山在峠

BACK 玉置神社から金剛多和へ

2009814

長かった大峯奥駈けも今日が最終日である。この金剛多和から熊野本宮までは3時間半ほどなので、昼には着くことができるはずだ。最終日は快晴である。この晴れが昨日だったらよかったのに…と思ってしまう。
テントをたたんで、出発したのは6時半ころ。今日は行動食がまったくなくて、キャンディが数粒あるだけだ。空腹で倒れる前に、なんとしても熊野本宮に着くのだ。
林道を横切ると、すぐに大黒天神岳への登りが始まる。今日最初に登る山は標高578mである。昨日までは1000mを越える山を縦走していたのに、ずいぶん低くなってきた。ゴールが近いということである。松が混じる林を登って行く。けっこうきつい登りが続く。
朝は元気なので、30分ほどで山頂に着くことができた。山頂広場には二等三角点があって、そこに奉納木札が立てかけられていた。大峰山奥駈け道には、これを巡る修験者の行場として75の靡が設けられているのだが、ここはその五番靡なのだ。私が今日めざす熊野本宮大社の證証殿が1番靡である。三角点の傍に山名標識が倒れていた。今日は快晴なのだが、檜に囲まれているので展望はない。
山頂から植林の尾根を緩やかに下って行く。樹林が途切れるところからは北西の遠くの山々を見ることができた。果無山塊のはずである。
林の尾根を30分ほど歩くと、送電線鉄塔の下に着いた。ここからはすぐ下に大きく蛇行して流れる熊野川を見ることができる。しばらくはこの雄大な景色を眺めていた。地図で確認すると、大黒天神岳と山在峠の間の半分を過ぎたあたりである。
再び林を15分ほど行くと、右に鹿よけのネットが現れた。ネットの向こうには熊野川が悠々と流れている。10分ほど行くと、樹林の中の広場に着いた。ここは寺院跡で、石のお堂や石塔がたっている。お堂の中には役行者が祀られていて、りっぱな宝筺印塔も残っている。石段を下って舗装された林道に出ると、ここが山在峠である。
林道を横切ったところに奥駈け道のイラストマップがたっていて、横に山道の入口がある。



 吹越峠(四番靡)
杉林の山道を行く


急な階段道を下る


林道を横切って階段道を登る


吹越峠の展望台


右下に林道を見ながら林の尾根を登って行く。地図を見ると、すぐに林道に下るようになっているのだが、どんどん歩いて行っても、なかなか林道に出ない。
20分ほども歩いところに指導標がたっていて、尾根から右に下るのだった。地図とずいぶん違う。植林の中をどんどん下って行く。やがて階段の下りになってようやく林道が見えてきた。山在峠から20分以上もかかってしまった。林道に下ると、公園のように整備された広場があって、お堂がたっている。地図にある吹越権現か行者堂だと思う。ここが「大峰山奥駈け75靡」の四番靡なんだろうと思う。
林道には奥駈け道のイラストマップがたっていて、ここが吹越峠となっていた。私の地図では吹越宿跡と書いてあるのだが。

林道を横切って、急な階段を登って尾根の上に出る。木漏れ日の尾根をゆるやかなアップダウンを繰り返して歩いて行く。途中に吹越岩があるというのだが、それらしきものは見なかった。
尾根の途中に吹越峠があるはずなので、これを目標にして歩いて行くのだが、いくら歩いても峠に着かない。なんか地図とあわないところが多すぎる。どうなっているんだと思う頃、樹林から抜け出して草原の広場に着いた。振り返るとすぐそばにアンテナ塔がたっている。ここが吹越峠なのかと思うが、ガイドブックの説明とはずいぶん違う。
でも、すばらしい展望広場でベンチも置かれているので、ここで休憩することにした。吹越宿からは40分たっていた。
眼下には熊野川が流れていて、向こう岸の草地の平坦地に大きな鳥居がたっているのがみえる。これが熊野本宮の鳥居かとも思うのだが、社殿がまったく見えない。ぽつんと鳥居だけがたっているのは不思議な風景であった。(あとでわかったが、この鳥居のたつところがかって本宮のあったところなのだ。明治22年の大水害で、この地にあった本宮社殿はすべて流されてしまって、やむなく現在の地に社殿を建て直したのである。この地は「熊野本宮社旧社地大斎原」として史跡に指定されているのだ)



 七越ノ峰
階段道を下ると舗装道に出た


明るい公園に着いた


急な階段の登りが待っていた


七越ノ峰山頂


階段道を下って行くと、舗装された車道が見えてきた。
車道をブラブラ歩いて行くと、アスレチックの遊戯施設があって、そのすぐ先で広い公園に出た。
自動販売機があったので、ベンチにすわって冷たいコーラを飲んだ。ともかく食料がないので、コーラでもカロリー補給になるだろう。
公園の奥にイラストマップが立っていて、そこから樹林に入る。すぐに分岐があった。直進方向には急な階段あって、階段の前には右に捲き道がある。この急な階段の上が七越ノ峰である。熊野奥駈け道の最後のピークなので、もちろん寄って行く。
階段登り口にザックを置いて行く。食料はないし、縦走11日目で体力も枯渇しているので、重いザックはできるだけ背負わずにすませたいのだ。
それにしても急な階段、それがすまじく長い。空身だというのに息が切れて、パスすればよかったと悔やんだ。
階段を上りきって、樹林に囲まれた小公園に着いた。ここには鉄製に展望台があるのだが、高い樹林に囲まれているのでこの低い展望台では登ってもまったく展望は得られないのだ。
広場の一角に赤い鳥居があって、その奥にお地蔵様と歌碑が置かれている。これは天保年間に奉納されたという延命地蔵と西行法師の歌碑なのだ。
歌碑にはこう刻まれている。

熊野に参りけるに、七越の嶺の月をみてよみける。
  立ちのぼる 月のあたりに雲消えて
  光重ぬる 七越の嶺


山頂広場の奥には石段の下り道があった。これを行っても熊野本宮に行けると思うのだが、ガイドブックに従って引き返すことにした。



 熊野川岸辺へ
七越ノ峯から直接下る道と合流する


ここから再び山道に入る


下に熊野川が見える


急な階段を引き返した。登り口に置いたザックを回収して右の山道を行く。遊歩道のようによく整備された道を200mほど行くと、本宮・七越峯と書かれた指導標があった。予想通り、七越ノ峰山頂からは引き返さなくても、ここに下って来れるのだった。熊野本宮へは右にV字に曲がって下って行く。
樹林の中を行くと舗装道に出て、これを少し行くと奥駈け道の案内板がたっていた。ここから再び山道に入る。
あとは熊野川に向かって下るだけ…、と思っていたら大間違いで、けっこう急なアップダウンを繰り返すのだ。ピークからジグザグに下って行くと、備崎経塚群という説明板が立っていた。まわりを見回したがそれらしきものはない。不思議に思いながらも下って行くと、丸石が敷き詰められてて、このことかと思った。
ここからは真っ逆さまといった感じで下って行く。真下には熊野川の青い流れが見える。ようやく熊野川川岸に降り立ったのは
1035分、イラストマップの登り口から1時間も歩いたような気がしたが、20分ほどしかたっていなかった。ここが備崎で熊野川を挟んだ対岸に本宮旧社跡があるのだ。昔の奥駈け道は、ここで熊野川を徒渉したらしい。徒渉点はないかと探してみたが、わからなかった。熊野川に沿って左に歩いて行く。行く手には備崎橋が見える。これを渡るのだ。


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