熊野古道 大峰山奥駈け道をゆく
釈迦ヶ岳
しゃかがたけ

標高 1799m
楊子ヶ宿→25分→仏性ヶ岳→1:10→孔雀覗き→1:20→両部分け→40分→空鉢ヶ岳→25分→釈迦ヶ岳山頂→45分→深山宿

孔雀覗きから釈迦ヶ岳まではすさまじい岩稜が続く。足が震えてしまう険しい登りの連続なのだが、その分、展望もすばらしくて、絶景に足を止めることも多いのだ。大峰山奥駈けの核心部といっていい。
仏性ヶ岳から仰ぐ釈迦ヶ岳

2000年峠の登山口コース
 楊子ヶ宿から烏の水へ
目の前に仏性ヶ岳


仏性ヶ岳山頂に着いた


尾根の右斜面を行く


明るい尾根から仏性ヶ岳を振り返る


烏の水

BACK 弥山小屋から八経ヶ岳

200988

昨日、小屋の中で時間が十分あったので、これからのスケジュールを練り直した。ここから次の小屋の持経の宿までは7時間40分と思っていたのだが、もう一度確認したら計算間違いで、8時間45分もかかることがわかった。重いザックと疲労状況からして、この行程を一日で歩くのは無理である。いっそのこと、予定を一日延ばしてのんびりと歩く方がいいようだ。そこで、今日は深仙宿までの3時間10分だけにして、小屋でのんびりする。(…というのは大間違い、すさまじい難路の連続であった。)あとは平治の宿まで6時間45分、貝吹金剛まで6時間55分、篠尾峠まで6時間10分、最終日は熊野本宮まで4時間55分と5日かけて余裕で歩いたほうが良さそうである。
そう決めたので出発はゆっくりのつもりでいたのだが、同宿の登山者はまだ暗いうちに出発して行ったので、私もつい早めの行動開始になって、小屋を出たのは615分であった。
今日は釈迦ヶ岳を越えて、そこから下ったところにある深仙宿までで、行程は3時間ほどだからラクラクコースだ。天気は快晴で、行く手にそびえる仏生ヶ岳の上には青空が広がっている。
トウヒの林の中を登って行く。晴れているので快適な登山である。小屋から20分ほど登ると林の中のピークに着いた。奉納木札が置かれているので、ここが仏生ヶ岳のようである。「大峰山奥駈け75靡」のうち43番靡なのだ。でも、左にはもう少し高いピークがある。本当の山頂はこれだと思うのだが、踏み跡も見あたらないので登るのは止めた。
ここから緩やかな下りになったが、樹林の間から釈迦ヶ岳が見えた。朝日が深い陰影を刻んでいる。すばらしい山である。これからこの山に登るのかと思うとワクワクしてくる。尾根の右斜面をトラバースするように登って行く。尾根の上に出て、明るい広い尾根を歩いて行くと、釈迦ヶ岳まで2.6kmの指導標があった。まだ遠い。
孔雀岳に向かって登って行く。振り返ると、今、通過してしきた仏生ヶ岳が聳えている。樹林に覆われた緩やかな山である。その左奥には七面山の稜線が見える。ここから見ると、すさまじい絶壁は目立たない。そして東にはたなびく雲の上に台高の山稜が見える。晴れていると本当にうれしくなってしまう。
後ろを振り返り振り返り登って行くと、水場があった。「烏の水」というのだ。
地図を見ると、ここは孔雀岳のすぐ近くなのだが、山頂らしい雰囲気はない。孔雀岳は42番靡なのだが通過してしまったのだろうか。ともかく、ここで水を補給した。昨日の小屋泊まりで、水を使いきっていたのだ。



 孔雀の覗きから両部分けへ
釈迦ヶ岳まで110分の指導標


霧に霞む鋭いピーク


キレットからの登り


両部分けの蔵王権現像


このすぐ上が孔雀の覗きと思って、早足で登っていったが、なかなか着かない。15分ほどもかかって、ようやく尾根の上に出ると、釈迦ヶ岳まで110分という指導標がたっていた。ここから左に少し外れると断崖絶壁の上であった。ここが孔雀の覗きである。下に流れるのが前鬼川渓谷で、至るところに岩塔が直立している。すごい眺めである。この岩塔は釈迦の説法を聞く羅漢に見立てられて、五百羅漢と呼ばれているのだ。この絶景を眺めながら休憩した。この先は岩場が連続するはずなのだ。
私が昔、釈迦ヶ岳に登ったときは西にある峠の登山口からだったが、これは2時間20分で山頂に至ることができて、難しい所はまったくないコースであった。でも、私がこれから辿ろうとしているのは大峰奥駈けの核心部ともいえる区間で、小尻返しの岩場・貝摺りの岩場・両部分けの岩場という名前のついた岩稜が続くのだ。今日の予定を3時間ほどの短いものにしたのは、重いザックを背負っての岩場の通過は、標準タイムの倍くらいかかるかもしれないと思ったからだ。(正解だった)
気を引き締めて、登山を再開した。すぐに露岩の急な登りになった。こんなのがずうっと続くのかと思ったら、すぐに姫笹の平坦な広い尾根に出た。緩やかに登って樹林から抜け出し、振り返ると七面山の南面がきれいに見えた。行く手の釈迦ヶ岳は雲に霞んでいるのだが、槍のように鋭く聳えている。尾根右の姫笹の急斜面をトラバースして行くと、突然キレットがあった。これを鎖にすがって下る。狭い鞍部から右の谷をのぞき込むと、足が震えるような断崖であった。岩場を斜めに登って再び尾根の上に出る。尾根を少し行って、巨岩を右から回り込むと蔵王権現の銅像が安置された岩棚に着いた。この岩棚の下はすさまじい断崖である。巨岩は大きく縦に裂けている。ここが両部分けだと思うのだが、標識がないのでわからない。両部分けというのは、密教の宇宙観による「胎蔵界」と「金剛界」の境界ということなのだ。ここから北の大峯主稜を金剛界、南を胎蔵界というのだ。
孔雀覗きから
40分ほどしか歩いていないのだが、ここで休憩することにした。ともかく展望がすばらしい。振り返るとが辿ってきた七面山と仏生ヶ岳・孔雀岳の稜線、行く手には雲がとれてはっきりと姿をあらわした釈迦ヶ岳、すばらしい眺めだ。でも、足下はすさまじい断崖で、いくつもの急峻な岩峰が見える。足が震える…。



 釈迦ヶ岳
二つの巨岩の間を抜ける


釈迦ヶ岳まで600m付近


これを越えるのだ


空鉢ヶ岳山頂


釈迦ヶ岳山頂


絶景に名残は尽きないが、山頂を目指して登山再開。すぐに西に突き出た岩峰の根元を越える。振り返ると、犬の頭のような岩が尽きたっているのが見えた。これが阿吽の狛犬かと思ったが、標識がないのでわからない。狭い尾根を行くと、巨岩が二つたっていて、この間を抜ける。これが貝摺りの岩場かとも思ったが、どうもよくわからない。
このすぐ先で展望のピークに立った。真下の断崖の途中には鋭い岩塔がいくつも突き立っている。すごい。

この先はコブを左から捲いて再び尾根に合したが、そこに大峰奥駈けの指導標があった。釈迦ヶ岳まで600mと書いてあった。すぐではないかと思ったが、それは大間違いであった。すさまじく険しい岩場がさらに続くのだ。
行く手には雲に霞んで鋭く聳える釈迦ヶ岳、そしてそれに続く登山道には巨大な屏風のような岩壁が立ちふさがっているのが見える。この岩場をどうしたら越えれるんだと思ってしまう。
狭い尾根を進むにつれて、巨大な岩壁が圧倒的な迫力で迫ってくる。巨岩の基部についたら、登山道は岩壁を左から回り込むのだった。よかった…。
樹林の中を斜めに登って、尾根の上に出る。ここがあの巨岩の上である。樹林から抜け出て平坦な尾根を行くが、行く手には再び岩のピークが聳え立っている。
灌木の中に入っても急登が続く。登山路から仰ぎ見ていた岩峰の上に出ると、そこには「空鉢ヶ岳
1710m」という木札があった。私はここが椽ノ鼻の岩頭だと思っていたのだが違ったようだ。さっきの屏風のような巨岩がそうだったのかもしれない。空鉢ヶ岳は大峰山奥駈け75靡の41番靡である。
ここからは露岩の急登が続く。鎖が下がっているところも数カ所あって、険しい岩場の連続である。でも、振り返ると、登ってきた岩尾根の眺めがすばらしい。蟻の戸渡りのような痩せた岩尾根を過ぎて、灌木の中を急登すると話し声が聞こえてきた…と思ったら、あっさりと山頂に飛び出した。登山者がいっぱいであった。
山頂にはお釈迦さまの銅像がたっている。もっと広い山頂だったように記憶していたのだが、細長くて狭い。山頂の東端の木陰になったところに腰を下ろした。時間は
1020分になっていた。小屋から4時間かけて登ってきたことになる。
休んでいると、どんどん登山者が登ってくる。山頂の東から少し下ると(立入禁止になっていたが)私が登ってきた岩尾根を眺めることができる。この稜線の遙か遠くには八経ヶ岳と思われる山も見える。すばらしいとしかいいようがない。大満足の釈迦ヶ岳山頂である。



 深山宿へ
山頂から下って行く


岩のコブを越える


小屋が見えてきた


このお堂に泊ることにした


香精水


釈迦ヶ岳山頂から
は40分ほどで今日の宿泊予定の深仙宿なので、1時間ほども休んでいた。何度も山頂からの四方を展望して写真を撮った。晴れていると本当にうれしいのだ。
1125分に山頂を出発、尾根を緩やかに下って行く。5分ほどで、峠の登山口との分岐に着いた。指導標には深仙宿まで900mと書いてあった。
姫笹の急な斜面を下って行く。途中、岩のコブを越えるのだが、ここから釈迦ヶ岳を振り返る。林の覆われた普通の山である。でも、急な裾には岩峰がいくつも突き立っているのが見えた。
急な斜面をどんどん下って行くと、林の間に小屋が見えてきた。二つたっている。

小屋のある広場に降り立つと、手前にあるのは潅頂堂という御堂で、奥が避難小屋であった。
避難小屋に入ってみると、中は暗くて、ほとんど荒れ果てて汚い感じである。こんなところに泊まるのかと思うと、もう少し先に行きたくなる。でも、次の持経宿までは6時間もかかるのだ。無理である。
とりあえず水を汲みに行った。ここには香精水という水場があるのだ。標識に従って踏み跡をたどると、すさまじい巨岩が聳え立っている。香精水はこの岩壁の間から滴り落ちているのだ。水場には「天神の
腹より出る 香水は 我等が元の 乳味なりけり」という古歌を記した札が下がっていた。
どうにも、この避難小屋に泊まる気にはなれないので、ザックを持って潅頂堂まで行った。前が草地になっているので、テントを張ろうかと思うのだ。お堂の縁側に腰掛けて休んでいると、登山者がけっこうやって来る。彼らは釈迦ヶ岳から大日岳を往復しようとしているのだ。お堂の前の広場から、主稜線から左に突き出て鋭く聳える岩峰が見える。これが大日岳なのだ。
のんびりしていると、香精水をお土産替わりに汲んで行こうという人もやってきた。彼らと話していたら、明日は天気が崩れるということがわかった。今日はこんなに天気がいいのに…。雨だったら明日はここに停滞してもいいと思う。
でも、せっかくの快晴なので、お堂の前で濡れたものを干すことにした。ビショ濡れの靴下、雨具、ザックカバー、ともかく全部広げて乾かした。
登山者にお堂の扉が開くことを教えてもらった。中は板敷きで、避難小屋よりはるかにきれいである。明日は雨になるというので、テントは張りたくない。このお堂の中に泊まることに決めた。
夕方、霧がかかり始めてから登山者がやってきた。彼は小屋に泊まるようであった。


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