2008年晩秋山陰登山
みさかやま

標高 902m
登山口→16分→釜地蔵→10分→道祖神の峠→40分→三坂山山頂→20分→十国峠→15分→道祖神の峠→20分→登山口

登山口から大山みちを歩いて行く。この道は山陽と山陰を結ぶかっての街道で、「三坂三里は五里でござる」とうたわれた難所だったらしい。峠まではたいしたことはなかったが、そこから三坂山への登りはすさまじかった。
展望岩から見る三坂山

BACK 津黒山

2008年11月11日

津黒山から三坂山までは
20kmほど走らなければいけない。湯原温泉から国道を離れて釘貫の集落に向かう。
この集落に「大山みち」の指導標があった。
大山みちというのは山陰と山陽を結ぶ古道で、三坂山へはこの古道を歩いて峠に至り、そこから山頂に向かうのだ。
細い林道を走って行くと、石碑群があって石仏もたっている。説明板には金屋子神社と書かれている。古代の山陰では、タタラ師という砂鉄精錬技師の集団が活躍していたのだが、この神社はタタラ師が信仰した金山彦命・金山姫命を祀った神社なのだという。社殿はなくて石碑だけになっているのだが。
さらに車を走らせて行くと、傾斜がきつくなって、道には草が茫々である。
東屋の前に着くと、そこに首切り地蔵があった。名前の通り首がない仏像があった。
1726年、津山藩の圧政に対して一揆が起きたのだが、そのうちの13名はこの三坂峠にさらし首にされたのだそうだ。その供養のための仏像らしい。
ここからさらに車を走らせて、林道の終点に着く。ここには車を回転できるくらいの広場がある。ここに車を停めて歩き始めた。
この入口には三坂峠の説明板がたっていて、それによると「三坂三里は五里でござる」とうたわれた難所であったらしい。
登山道に入ってすぐに右にターンをすると、南無妙法蓮華経と刻まれた石碑がたっていた。

杉林の中を歩いて行く。少し窪んだ中を道が続いていて、いかにも昔の街道の趣きである。峠越えなのに傾斜は緩やかで、ほとんど平坦な道が続く。
左に沢があって、せせらぎを聞きながら歩いて行くと、これを橋で渡る。その先の道は岩がゴツゴツしていてすごく歩きにくくなったのだが、よくみるとそれは石畳の名残のようであった。
すぐに東屋があって、さらに斜面を蛇行しながら上って行く。再び東屋があると、そこが釜地蔵であった。石が積まれた間にお地蔵様がたっている。でも、この地蔵にも首はなかった。
ここから5分ほど行くと、道ばたに「右久せ・左山しやう」と刻まれた標石があった。ここは一本道で分岐などはないのだが。
傾斜が増してジグザグに登るとようやく峠に着いた。道祖神と刻まれた石碑のたつ峠である。
ここで右折して三坂山山頂を目指すのだが、すさまじい急登になった。背丈ほどの笹藪の中を急登するのである。笹原の上には紅葉の樹林が広がっている。
5分ほどでピークに着くと、その下りからは高く聳えるピークが見える。これが三坂山だろうか。(でも違うのだ、この先、3つほどピークを越さなければいけないのだ)
鞍部からはまた急な登りになった。笹藪の中を登って行くのだが、紅葉がすばらしくきれいであった。
二つ目のピークに着くと、左手に二つの頂を持つ山が見える。これが三坂山なのだ。二つのピークの一つは岩峰で、すごく険しい山だということがわかる。
ここらは傾斜は緩やかになって、笹原の痩せた尾根を歩いて行く。でも、両側は鮮やかな紅葉で、楽しい道である。
再び笹の急斜面を登って、登り着いた3つ目のピークから左折して、ようやく山頂への登りになる。
一旦、鞍部に下ってそこから登り返すのだが、目の前には鋭い三角の峰が聳えている。この登りは半端でなくきついものであった。ここまでもすごい登りだと思ってきたのだが、それはまだまだ甘かった。笹につかまって、必死で登って行く。
登って行くと山頂の方から話し声が聞こえる。私以外にも登山している人がいるのだ。
ようやく山頂に着いたと思ったら、山頂はまだその先であった。再び急登が始まる。でも、これが最後の登りらしい。笹につかまって登って行くと、頭上からガンバレという声援を贈られた。
山頂にようやく登り着くと、6人の男女の登山者がいた。さっきまで、山頂は雲の中だったのだというが、今は360度の展望が広がっていた。でも、肝心の伯耆大山は厚い雲の中であった。
団体が下山して行った後で、一人でゆっくり休憩した。山頂には二等三角点があった。
山頂からは引き返すのではなくて、十国峠に下るのだ。最初は緩やかな下りで、少し下ると展望の岩の上に着いた。ここから振り返ると三坂山がよく見えた。
緩やかなのはここまでで、植林の中の急降下になった。すさまじい道で、ほとんど垂直ではないかと思ってしまった。木につかまって慎重に下って行く。
どんどん下って、下に平坦地が見えてきたら、そこが十国峠であった。昔は茶屋があったらしい。十国峠の名前は、峠から十州が見えたからとも、茶屋守の給金が十石だったからともいう。
峠から少し急な斜面を下るが、すぐに平坦な道になる。三坂山の東斜面をトラバースして行くのだ。15分ほど歩くと道祖神の峠に戻った。
この峠の右に展望岩があるというので、寄って行くことにした。
少し急な斜面を登ると、展望の開けた岩の上に着いた。ここからは三坂山の眺めがすばらしい。山肌は紅葉に包まれていて、すばらしい眺めである。
あとは登ってきた道を引き返すだけである。
しっかりした道なので、走るように下って、登山口に戻ったのは1220分であった。

明日登る星山に向かって車を走らせて行くと、足温泉があったので、ここで汗を流すことにした。温泉は本当にいい。

温泉から出て、明日登る星山に向かって車を走らせると、少し先に勝山の市街があって、スーパーの看板が出ていたので買い出しをすることにした。当分、街に降りることはできないはずなので、たくさん買い物をしてしまった。
登山口の向かおうと思ったら、勝山には歴史保存の町並みがあることがわかったので、寄って行くことにした。白壁の町並みでけっこうすてきであった。


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ここから歩き始める


すぐに御題目碑が建っていた


最初の東屋


石畳の跡


釜地蔵の東屋


標石があった


道祖神の峠


鋭く聳える三坂山が迫る


三坂山山頂


展望の岩場


三国峠が見えてきた


展望岩





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