BACK 薬師峠から折立へ
2008年9月20日(土)
欅平からの縦走は薬師岳で中断してしまったのだが、あれから1ヶ月の経ってしまった。天気が安定したらすぐにでも出かけようと思っていたのだが、この間、日本各地ではゲリラ豪雨といわれた大雨があって、少しも天気が安定しない。そのうち台風がやってきてしまったのだが、これがノロノロ運転で、台湾ですごい被害を出してから日本にやってきた。もうこれ以上ガマンできないので、台風が関東沖に出たら出発することにした。台風の過ぎた後は天気が安定するはずである。
仙台を8時半頃に車で出発した。台風がまだ関東の東海上にいるというのに、日が差していていい天気である。仙台市街から秋保街道を通って山形に出て、山形から日本海に出る。途中、マクドで1時間ほど休憩したりして、有峰口についたのは21時くらいであった。
9月21日(日)
夜中に激しい雨になった。天気予報では曇りのはずだったのだが…。
有峰口から折立に行くバスは土日祭日だけで、しかも9月23日が今年最後の運行になってしまう。折立まで車で行きたいが、バスがなくなってしまうので有峰口に車を置いて行くしかない。私は笠ヶ岳まで縦走して、それからバスやJRを使ってここまで戻ってくるつもりなのだ。
折立行きバスは富山始発で予約制になっているのだが、有峰口から乗る予約はできないのだ。もし満員だったら乗れないことになる。
それにしても激しい雨である。登山は23日まで延期しようかとも思ったが、とりあえず車の中でザックのパッキングをした。6時40分ころまでにパッキングを終えて、バスが来るのを待った。雨はますます激しくて、登山の意欲がどんどん失われてゆく。
富山からくるバスは有峰口駅までは行かなくて、その下のバス停に止まるのだ。バス停の近くの空き地に車を停めた。かなり広いチェーン着脱のスペースで、迷惑をかけることはないと思うのだが、5日以上ここに車を放置することになる。ちょっと心配だがいいだろう。(心配はあたっていた。)
雨の中でバスを待つ。5分ほど遅れてバスがやって来たが、けっこう登山者が乗っていた。台風がやってきたばかりだというのに、こんなに山に行こうという人がいるのだ。
私が乗り込んで出発しようというときに、駅の方から登山者が二人走ってきた。彼らは駅で待っていたらしい。
折立には15分ほど早く着いたが雨が激しく降っていた。登山口のそばにある休憩舎に入って雨具を着込んだりザックカバーをつけたりして準備をしたのだが、休憩舎は登山者でごったがえしていた。
折立から太郎平までは6時間ほどかかる。そしてこの道はつい1ヶ月前に下った道でもある。
下りの時は走るようにして下ってきたのだが、登りはけっこうきついのだ。それに、ザックは食料などでめちゃくちゃに重たい。
歩き始めようとして、登山口のすぐそばに十三重の塔が立っているのを見つけた。これは昭和38年1月に愛知大学生13名が遭難したその供養塔なのだ。この時は「38豪雪」と呼ばれる記録的な降雪があったときで、その吹雪のなかで根の道を誤って遭難してしまったのだ。必死の捜索にもかかわらず遺体は発見されず、最初の5遺体が発見されたのは3月の下旬のことであったという。でも、この遭難によって富山県は山岳警備隊を結成することになるのだ。
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