BACK 爺が岳
2005年8月28日
今日から再び北アルプス縦走に出かける。
前回、親不知から唐松岳まで縦走して、八方尾根に下ったのは8発8日であった。あれから3週間、今度は槍ヶ岳まで1週間かけて歩くのだ。
もう、ホームページで公開しているが、唐松岳から爺ヶ岳までの縦走は 年に行っている。だから、今回はその続き、扇沢から柏原新道を登って、種池山荘から縦走を始めるのだ。
仙台11:02→12:14福島12:52→14:44黒磯14:48→15:38宇都宮15:39→16:44大宮17:00→17:29新宿17:43→18:27高尾18:31→20:18甲府→22:26松本22:58→24:49大町
今回も「青春18切符」を使って、各駅停車の旅をする。私は無職の人間なので、時間はありあまっているのだ。それに、私は鉄道に乗っているのは何時間であっても苦にならない。鉄道の旅が大好きなのだ。
仙台を予定の11時2分の「快速シティラビット2号」に乗った。福島、黒磯と順調に乗り換えて行く。仙台では今回の大縦走成功を祈念して、ビールをロング缶2本買って乗り込んだ。でも、福島に着く前に飲み干していた。
宇都宮では乗り換えの時間が1分しかない。走らなければいけないんだろうかと思っていたら、乗り換えの列車は向かいのホームに停まっていた。この列車は「新宿湘南ライン」という快速で、大宮で乗り換える必要はなかった。このおかげで、時間が15分くらい早くなった。
新宿で17時27分の新快速に乗ったのだが、さすがに首都圏である。満員の状態であった。今までは楽に座ってきたのだが…。
国分寺まできたら席が空いて座ることができた。
高尾に着いたら、松本行きの列車、18時17分発があって、おかげで甲府で乗り換える必要がなくなった。この各駅停車に3時間半、乗り続けた。
松本に着いたのは21時45分で、当初の予定は22時26分だったので、40分ほど早く着いてしまった。今夜のうちに大町まで行くつもりだったが、よく知っているこの松本駅で泊まることにした。でも、松本駅は0時半から3時40分まではシャッターが降りてしまうので、駅の外で寝なければいけない。
冷房のきいた待合室に23時半までいて、それから駅の外に行って、庇の下に寝袋を広げた。
8月29日
3時40分におきて、駅の中へ。
大町行きの始発は6時2分である。待っていると、登山者がどんどんやってくる。この人たちはちゃんとホテルとか旅館に泊まったのだろう。
大町に着いたのは7時であった。扇沢行きのバスは7時20分である。バス停前の切符売り場で切符を買ったら1330円であった。高い…。
扇沢に着いたのは8時前である。バスから降りるとき、ひざがカクリと折れた。それほど、荷物が重いのだ。今回はシュラフも三季用ににしたし、食料もしっかり1週間分背負ってきたのだ。
バス道を引き返す。かなり急な下りで、扇沢を鉄橋で渡るとその左に登山口がある。
急な登りが始まる。樹林の中の急登が続く。
展望台に着くと、そこからは針の木岳も展望がすごい。今日はすばらしくいい天気で、青空が広がっている。
再び樹林の中にはいるが、「ケルン」という指導標を過ぎたら、視界が広がった。針の木と蓮華岳が間近に聳えている。
ガレ場を過ぎるが、これはたいしたことはなくて、石畳の道を登って行くと、はるか向こうの稜線に小屋が見えてきた。これが種池山荘で、今日はあそこまで登らなければいけないのだ。石畳の道を緩やかに登ってゆく。石畳は、下りではけっこう苦労してしまうのだが、登りだと、足場がしっかりして歩きやすい。
登りがきつくなって、行く手に草原が広がってくると、そこはもう種池山荘であった。まだ11時30分である。
今日はここのキャンプ場に泊まるつもり。次の新越山荘までラクに行けるのだが、そこにはキャンプ場がないのだ。その次は針の木峠だから、そこまで歩くのは無理である。
まあ、今回はのんびり歩こうと思っている。
小屋から少し行くとテント場があったが、ひとつもテントは張られていなかった。
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信濃大町駅

扇沢駅

扇沢

爺ヶ岳登山口

登山道から見る針ノ木

ケルンという場所

種池山荘が見えた

石畳の道

種池山荘が見えてきた |