つばくろだけ
標高 2763m


上高地→徳本峠→霞沢岳→蝶ガ岳→常念岳→大天井岳→燕岳→餓鬼岳→唐沢岳→大町→中房温泉→有明山



冬の燕岳
松本に住んだ5年間、いつも西には常念山脈が聳えていた。いつか全山縦走をしたいと思いながらも今日に至ってしまった。霞沢岳から餓鬼岳に続く長大な縦走路は槍、穂高の大パノラマ展望の道でもあった。
北燕岳のコマクサ

霞沢岳 常念岳 燕岳 餓鬼岳 有明山

 大天井荘から燕岳山頂へ  
槍ヶ岳への分岐


大下りの頭


燕山荘


燕岳山頂直下


山頂の石標


BACK 常念岳

2000年8月13日

大天井荘6:006:25切通岩7:43大下りの頭8:53燕山荘9:139:45燕岳10:06北燕岳11:40東沢乗越11:5512:45東沢岳分岐12:5515:13中沢岳直下16:23餓飢岳小屋


6時に小屋を出発。今朝は小雨。雨具の準備で時間がかかってしまった。
小屋からは、すぐにジグザグの急な下りになった。
切り通し岩には意外と早く着くことができた。ここには喜作のレリーフがあったのだが、見逃してしまった。切り通し岩のあたりは梯子があったりして、ちょっとした岩場になっている。
小雨のガスの中で、気分は滅入ってくる。
この道は表銀座の道は以前通っているのだが、まったく記憶に残っていない。
切通し岩からはあまりアップダウンのない稜線の道で、コマクサの咲く道である。これで天気さえ良ければ槍ヶ岳を見ながらの楽しい散策になるのだが。
霧に浮かぶ奇岩の為右衛門岩を通過。ここからまったく記憶にない大きな下りがあった。樹林の中に入る。この頃から登山者とすれ違うことが多くなってきた。なにしろ表銀座である。今朝、燕を出で槍に向かう人たちは多い。団体が通るものだから、けっこう長い待ち時間があったりしてペースが乱れる。これに比べると、徳本峠から大天井岳までの山は実に静かな山だったと思う。
樹林帯を抜けたら、すごい登りが待っていた。「大下り」という。ともかく昔、表銀座を歩いたときはただ槍を見ながらの平坦な道だったという記憶しかなくて、疲れが倍加してしまった。
「大下りの頭」には7時45分頃に着いた。ここでちょっと長めに休憩して、雨具も脱いだ。
霧の中、蛙岩の岩峰群を通り抜けたら、燕山荘までは意外と近かった。9時前に着いた。
燕山荘では水を2リットル購入。
燕山荘から燕岳へ向かう人はさすがに多かった。ほとんどが空身で往復する人達で、大きなザックを背負っていくのは自分だけであった。燕岳山頂直下に指導標があって、北燕岳と燕岳山頂の分岐になっていた。しかたがないので、ザックをここに置いて山頂を目指す。
燕山頂には三角点しかなかったはずが、今は山名を書いた石の標識があった。ここで記念写真を撮ってすぐに引き返した。ところが、別に引き返さなくても山頂からそのまま北燕岳には行けたのである。遠回りをしてしまった。



 燕岳から餓鬼岳小屋へ
わかりにくいがコマクサ大群落


北燕岳山頂


お花畑


東沢乗越


東沢岳直下


岩稜を行く


中沢岳直下の長い梯子


中沢岳頂上


今日の圧巻ともいえるのは、北燕岳に向かう途中のコマクサの大群落である。
これは本当にすばらしかった。コマクサというのは希少価値があるからもてはやされると思っていたのだが、この大群落はただただみごととしか言いようがない。ともかく、砂礫の斜面一面にコマクサが咲いているのである。
燕には何度も登ったのだが、北燕岳まで足を伸ばしたことがなかったから、このすばらしいお花畑にずうっと気がつかずにいたのだ。
北燕岳の山頂には案内標も何もないただのピークであった。
北燕岳からは樹林帯に入り、お花畑の中を急降下する。そして登り返し。ここでもまたコマクサの大群落。
稜線から右に下る案内の指導標があって、ここから高度差240mの大降下が始まる。樹林の中の道であり、所々にきれいなお花畑があった。
深い林の中に入り、東沢乗越に着いたのは11時40分であった。
ここからは中房温泉に下る道が分岐している。餓飢岳の帰りはこの道を下る予定である。
ここで休憩しながら、あとどれくらい時間がかかるか計算していたら、計画で時間の積算を間違えていることに気がついた。今日の歩行は7時間25分の予定だったが、本当は8時間15分かかるのだ。出発を5時にするべきだった、と悔やんでももう遅い。
ここからは樹林の中を1時間ほど歩いて、明るい砂礫の尾根に出ると右手にちょっとしたピークがあって、それが東沢岳であった。せっかくなので登ることにした。
山頂にはなにもなかった。ガイドには360度の展望が得られると書いてあったが、あいにくの曇り空で何も見えなかった。
しばらく稜線の道を行くが、そのうち鬱蒼とした林の中に入り、ここをずいぶん長い間歩かされた。途中、雨が降り出したりして、バテてくるし、かなり参ってしまった。
この樹林帯から抜け出す直前は、これも林の中のすさまじい急登であった。
樹林が途絶えると岩場が待っていた。中沢岳頂上直下の指導標のあるところへは長い鉄梯子を登らなければいけなかった。
岩場の稜線に登りついたのは3時15分であった。
このあたり、霧で展望がきかなかったのだが、人の声や鈴の音がして、先行のパーティがいることに気づいた。途中の岩場で追い越したが、これは中高年や子供も混じった6人ほどのパーティであった。
さて、今日のコースのハイライトは2つあることがわかった。一つは北燕岳周辺のコマクサの大群落で、もう一つがこれから通過する餓飢岳への稜線の岩場であった。
これは本当にすごかった。そして怖かった。
稜線の山腹を行くのだが、これが険しい岩場になっていて、そこには梯子とか針金がつけられている。じつはこの梯子が問題で、かなり朽ちていてうっかり踏みつけると折れてしまうのではないかという代物である。さらに怖かったのはやはり朽ちたような木材で作られた桟道である。
これも、どこまで信じていいのかわからないほど古びていて、高度感もあってスリル満点であった。
霧で展望のきかない中、稜線を行くと花崗岩のオブジェが次々と浮かび上がってくる。この景観は燕岳周辺の花崗岩よりもはるかにすごいと思う。
ともかく、この中沢岳から餓飢岳に至る稜線は、間違いなく今日のコースの核心部であった。
こんな難路なので、追い越したパーティも行き悩んでいたのである。
餓飢岳のキャンプ場には4時半頃に着いた。
かなり狭いテント場で、既に3張りのテントが張られていてスペースがほとんど無かったが、なんとか張ることができた。テントを張っているときに雨が強くなった。
荷物をテントに放り込んだら、雨は本格的な降りになってしまい、餓飢岳小屋にキャンプ届に行くのが面倒になってしまった。明日の朝にしよう。
1時間ほどして、追い越したパーティが無事着いた。このパーティの仲間が、先にテントを張っていた人たちであった。
ともかく、今日は本当に疲れた。早く寝た。


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校正 2013/3/22



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