守門岳 1538m
会津朝日岳 1624m




1998年6月6日(土)

梅雨である。週末の天気はあまりよくない。それでも日本海側はくもりか晴れらしいので出かけることにした。
今回目指すのは、守門岳と会津朝日岳である。
3時に出発。前橋から関越自動車道に乗って、途中の赤城高原サービスエリアでそばを食べて、小出ICでおりた。登山口には7時頃着いた。
登山口は草原の中に続いていて、すぐに林の中に入って、だんだん登りがきつくなってくる。途中、布引の滝に降りる道があって、滝を見に行こうかと迷ったけど、割愛した。
急登をこなして、一息ついたところが「エデシ」というところ。ガイドブックでこれを目指していたのだが、行きでは気がつかなかった。下山のときに木に標識がかっているのに気がついた。ここまでは1時間足らずである。
ここからは尾根を登るだけだ、と思っていたのだが、1時間ほど登って沢に出てしまった。ゴロゴロの石を踏み越えて進み、この沢をぬけると草原が広がっていた。
この草原には「三ノ芝」という名前がついている。二ノ芝、三ノ芝とあった。芝と名がついているので確かに草原のようになっているのだが、つい最近雪が消えたばかりのようで、草が泥にまみれていた。
この芝の尽きるところに雪渓が残っていた。
あいにくのガスのかかった天気で、急に目の前に雪渓が出てくるとびっくりする。
アイゼンを持ってくるべきだったか、と思ったがたいしたことはなかった。
このあたりはかなりの深雪地帯ときいているから、雪渓が残っているのはあたりまえである。
天気は、雨にはならないけれど、霧雨状でけっこう濡れる。
頂上近くになると、つい最近まで雪が残っていたようで、道が歩きにくい。
頂上には9時35分頃着いた。展望はまったくきかなかった。
帰りは来た道を引き返した。
降りてきたのは11時35分。早かった。

只見川を溯って只見に向かう。
途中、田子倉ダムでカレーを食べた。観光バスで団体がやってきた。こんな山の中が観光地なのかと驚いてしまう。それにこんなところに鉄道が通っている。赤字線廃止がいわれているのに、どうして残っているのか不思議だ。
只見というのはけっこう魅力的な名前で、憧れのようなものがある。
今回のぼった守門岳もそうなのだが、越後の本当の山奥のような気がする。
ずいぶん早く降りてしまったので、只見でお風呂を探した。
なかなか見つからなくて、スーパーで買い物をしたついでに聞いた。
温泉なのだが、入浴料は250円だった。
どこに泊まるか。キャンプ場を探したのだが、値段が高そうなのでやめた。
ダムの近くの公園の駐車場に寝ることにした。公園のベンチで焼き肉をしていたら、小雨。しょうがないので、東屋に移ってそこで続けた。ビールを3本飲んだ。

6月7日(日)

今日は会津朝日岳に登った。只見からは登山口まで近い。登山口に着いたら、けっこう車が止まっていた。出発は5時40分。天気は曇天。なんかいかにも雨になりそうな空である。最初林道を歩いていくのだが、すぐに沢方向に入る。道がどうも心配。
沢沿いにどんどん行くと、やっと道が間違ってないことがわかった。赤倉沢という道標があって、これが登山道であるということがわかった。三吉ミチギという水場までは6時35分に着いた。
ここから登山道はすごく急になって、稜線に出るまで1時間半ほど息を切らすような登りであった。
飛び出た稜線は「叶の高手」というピークである。ここまできたら空がだいぶ明るくなり、朝日岳が見えた。
なんか、うれしくなってくる。明るい気分になって頂上を目指した。
この稜線を歩いて行く中で「大クロベ」という古い大木に逢った。ヒノキだという。
途中、避難小屋があった。熊ノ平避難小屋である。ここから20分ほど行くと目の前に岩壁が立ちふさがった。これが小幽沢カッチからつきあげる草つきの岩場である。
足場が不安定で崩れやすくて、この登りは少し怖かった。
頂上は9時30分頃。頂上は残念ながら霧に囲まれて、展望はきかなかった。
帰りは来た道を引き返して、登山口に戻ったのは12時35分であった。頂上での展望は得られなかったが、いい山だった。
降りてから、昨日の只見の温泉に行った。
そこから、カーナビで帰路を探したら、那須に抜けたほうが、20キロくらい近い。こっちを行くことにした。
途中、会津只見考古館というのがあった。時間も余裕があったので立ち寄った。
このあたりは、旧石器時代からの遺跡が多い。ただ、こんな山奥にと思ったりしてしまうのだが、山の中だからこそ狩猟ができたのだろうと思う。ただ、青森で発見された「三内丸山遺跡」はこうした縄文時代の文化のありようの常識を覆しつつあって、栗の栽培など農耕に近いことを始めており、集落としてもものすごく規模は大きかったらしいのだ。とはいえ、三内丸山は海に面した平地の遺跡であり、山の中とはずいぶん形態は違っているのだろうと思う。
ともかく、最後は縄文時代のことに思いを馳せながら帰路に着いた。


2006年守門岳登山


守門岳の登山口


沢に出る


雪渓が残っていた


守門岳山頂


田子倉ダムから下流を見る

2010年の会津朝日岳登山


登山口


朝日岳の大クロベ


朝日岳


小幽沢カッチからの登り


会津朝日岳山頂


会津只見考古館






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