おすずやま

標高 1405m
尾鈴キャンプ場→1:00→三叉路→1:40→尾鈴山→40分→長崎尾→15分→矢筈岳→1:30→白滝→1:00→キャンプ場

尾鈴山からの下りは滝の連続するコースだった。私は滝が大好きなので、このルートには大満足してしまった。
尾鈴山山頂



BACK 大崩山



2000年1月7日

4時少し前に目が覚めてしまった。
また眠ろうと思ったが、眠れずじまいで、5時30分になってしまったので朝食の支度を始めた。

今日は尾鈴山に登る。できるだけ早く山を終わらせて、西都原の古墳群を見に行くのだ。

7時に駐車場を出発。最初はひたすら車道を歩く。
1時間5分かかってやっと登山口に着いた。1時間のつもりでいたのにおかしいと思ったら、よく見ると1時間20分かかるらしい。
ここから登りが始まる。道端には1合目、2合目といった表示があって判りやすい。
登山口から1時間30分で頂上に着いてしまった。
頂上は視界がきかなくて、どうという山ではない。
ただ、この尾鈴山を引き立たせているのは、この山系の沢が作る滝なのである。尾鈴の瀑布群というのは天然記念物に指定されているのである。
これからの下りで滝を見ることができるはずである。
頂上からはまず矢筈山を目指す。ガイドでは1時間となっている。そんなにかかるはずないではないか、と思ったけれどもきっかり1時間かかってしまった。
途中で、恥ずかしいことにコースを間違えてしまい、いつのまにか来た道を引き返していた。
矢筈山からどんどん下っていくと、指導標には「白滝」という名称が盛んに出てくる。よほどりっぱな滝なんだろうと思っていると、展望台があってそこから滝が見えた。
落差が80mくらいあって、すばらしい滝である。
地図を見ると沢までおりて、それからその沢を少し溯ると滝の下まで行けるらしい。
この展望台からは、下の沢までかなり距離が有りそうである。なんかどっと疲れが出る。
沢まで降りて、せっかくなのだから白滝を見に行くことにする。ともかくこの尾鈴山のハイライトは滝にあるらしいのだから。
距離はたいしたこと無いだろうと思って歩き出したら、登りになっていてかなりのアルバイトを強いられた。
でも、さすがに滝の下から眺めると、さっき展望台で見たのよりは迫力が違う。
疲れたけど一応満足して分岐点に戻る。
ここからは、ただひたすら九州自然歩道の整備された道を歩いて行くだけである。道は広くてしっかりしている。ガイドを読むと、これは昔のトロッコの軌跡であったらしい。
だから、勾配を緩やかにするために山肌をジグザグに、かなり遠回りするようにたどっている。
所々にショートカットの道があって、極力これを進むことにした。
途中、滝がいくつかあった。単調な下山路に少し変化を付けてくれる。
駐車場のすぐ近くで、ショートカットを失敗して駐車場から遠いほうに出てしまった。
13:30到着。


今日はこれから、西都原の古墳群を見に行くのである。
西都原はここから比較的近いのである。
車を飛ばして西都に向かう。2時30分頃に着いた。
西都原の古墳群にはただただ驚くばかりである。どうしてこんな所に、こんなにも多くの古墳が造られたのか。古墳を単純にお墓と考えたら、ここは巨大な、今でいう霊園である。
円墳と前方後円墳がある。円墳の方が多いようである。無数にあるといってよいこの古墳群は大きさもそんな巨大なものではなくて直径4〜5mくらいのものからある。
まず、西都原資料館に行った。ここで古墳の情報を仕入れようと思ったのだが余り役に立たなかった。
外に出て、古墳巡りをしようかと思ったら、目の前に小高い丘があって、展望台になっている。ここから西都原の古墳群が一望に見渡せるのかと期待して登ってみたら、あまり展望は利かなくて、目の前の資料館だけが目立っていた。
資料館を後にして男狭穂(おさほ)、女狭穂(めさほ)の古墳を見に行く。この古墳群のなかでもずば抜けて大きい前方後円墳である。行ってみると、柵がしてあって中に入ることはできない。この古墳は、宮内庁管理になっているのである。
説明板を読むと、この古墳はなんとニニギノミコトとコノハナサクヤヒメのお墓という伝説になっているらしいのだ。ニニギノミコトといったら、高天が原から天照大神の命を受けて高千穂の峰に天下った神ではないか。これはけっこう興奮してしまう。
邪馬台国の卑弥呼が天照大神だとすると、高天が原が邪馬台国ということになる。
では、天下ったニニギノミコトとはいったい何をさすのか。
邪馬台国は領土拡張に各方面に侵略軍を送ったのではないだろうか。西都市の西北西に霧島火山群の高千穂の峰がある。近い。
邪馬台国が筑後川流域にあったとすると、ここからニニギノミコトは派遣されてきたことになる。そしてさらに面白いことは、神武天皇は宮崎から大和に向けて出航したのである。
この宮崎の地といのは古墳のメッカみたいなところで、何かしら考えさせられてしまうのだ。この西都原にこれだけの多くの古墳が残されているということは、すぐ近くにそれなりの力を持ったクニがあったということである。
この男狭穂、女狭穂の古墳が本当にニニギノミコトのものかどうかは定かではないけれども、なにかそうした伝説を生ませた真実の欠片があるような気がする。
ここから「鬼の窟」古墳を見に行く。
この古墳はきれいに整備されていて、円墳なのだが、これを取り巻くドーナツ状の囲いも復元されている。
ともかく、古墳が余りにもたくさんあって、何かしら疲れてしまった。
本当はこれらを全て歩いて回ったら良いのだろうが、時間を短縮するために車で要所要所を回ることした。自分の主義ではないのだが。
西都原古墳群を後にして、一路、今回の九州登山最後の山になる市房山を目指す。
西米良村と湯前町を通っていく。
5年前に九州登山に来たとき、霧島山から次の登山地を目指すためにこの西米良村を通ったはずである。ともかく道が狭くて、国道なのに1車線しかなくてすれ違うこともままならなくて、困ってしまったことを覚えている。
湯前町から北上して市房湖にでる。これはダム湖である。
登山口にはりっぱなキャンプ場があるということだが、確かにその通りで、この1月にキャンプ客なんていそうも無いのに明々と明かりが点っていた。
こんな雰囲気は好きではないので、車道をどんどん走っていって、行き止まりのところに車を停めて、ここで泊まることにした。
天気はいい。星がきれいだ。


NEXT 市房山

林道歩きでは甘茶渓谷がきれいだった


ようやく登山口に着いた


山頂直前に鳥居と祠があった


尾鈴山山頂


矢筈山山頂


さぎりの滝の横の登山道はトンネル


キャンプ場に戻った


西都原古墳群





鬼の窟古墳


石人。九州にはこんな遺跡が多い


彩色古墳



校正 2002/6/1



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