みうね

標高 1893m
剣山から縦走したのだが、ずうっと雨だった。おまけに道は深い笹藪になっていてすごい登山だった。でも、下界に降りてきたら、晴れていた。
三嶺山頂

BACK 剣山


2002年8月
11

目が覚めたのは1時。また眠る。次に眼が覚めたら4時であった。よく眠れた。考えてみたら、昨夜は夜行列車の中だったのだから、やっぱり睡眠不足だったのだ。
すぐに食事の準備。電子レンジでつくるご飯を水の中に入れて、これを沸騰させおかゆのようなものを作った。これを持って来たビン詰めのイカの塩辛で食べた。…あまりうまくなかった。
食事はこれだけである。ともかく、昨日コンビニで買い物ができなかったので、食糧がないのだ。困るのは今日の行動食である。今日も雨が降っていて、のんびりお湯を沸かして食事を作ることはできそうもないのだ。
つまり、今日は昼の食事は抜きということになってしまう。もしかしたら、三嶺ヒュッテで食べ物を売っているかもしれない。これを期待しよう。
ザックの梱包は水対策を十分にして、雨具を着込んで出発しようとしたら、外人の女性の方が話し掛けてくれた。日本語だった。
今日はどちらへ、という。三嶺だといったらうなずいてくれた。気をつけてといってくれた。なんかせっかくの同宿だったのにほとんど話しもせずに出発するのは、心が痛んだのだが、これで気が晴れやかになった。
小屋を出たのは545分である。水がない。
昨夜の泊まりでほとんど水を使ってしまって、今残っているのはペットボトルに入った500mlだけである。ちょっと心細い。
雨の中を歩いていく。
ここから三嶺までの登山道はひどく荒れた道で、笹薮がすごかった。
道に笹が覆い被さっていて、これをかき分けながら歩いていくのだ。道が笹に隠れて見えないものだから、本当に歩きにくい。しかも、笹の葉は水をいっぱい貯えていて、その滴でたちまち靴の中も水浸しになった。
小屋から少し行くと高瀬避難小屋がある。ガイドには荒廃と書かれているのだが、まったくそうであった。屋根が破れていて、そこから木が出て葉を茂らせている。中を覗いてみると、隅の方に一人分だけ寝れる板敷きがあった。でも小屋の中のほとんどは草茫々の状態である。
さらに行くと高ノ嶺と水場の分岐に着いた。水が少ないので水場に向かいたいところなのだが、この道を行くと高嶺に登れなくなってしまう。
今日は雨の中を歩いているので、ほとんど喉が渇かない。山頂を目指すことにした。
山頂に着いたが、ガスで何も見えなかった。
高嶺から下って、水場の分岐に出た。さっきの分岐はここに通じているのだが、指導標はあるのにその道が見えない。完全に笹に隠れてしまっているのだ。稜線の道を来てよかったと思った。
さて、再び稜線を行くのかと思ったらそうではなくて、道は樹林の中をどんどん下って行く。また、道を間違えていないか心配になってきた。
雨具のポケットに入れた磁石を出して方向を確認しようとしたら、磁石が壊れていた。磁針がピンから外れてしまっているのだ。
予備の磁石を持ってきているのだが、壊れた磁石には本当にいろんな思い出がある。
この磁石は、私の持ったシルバーコンパスの2台目なのだが、東京に住んでいたときに買ったものである。約20年ほど私と一緒に山を登ってきたのだ。
一度、同じようにピンから外れてしまったときに、分解して、中のオイルはなくなってしまっている。接着剤でカバーをくっつけて今まで使ってきたのだが…。

方向は間違っていないので、そのまま下っていくと石立分岐に着いた。
笹を掻き分け、掻き分け登っていく。地図では稜線を行くはずなのに、道は左の山腹を巻いて続いている。昨日の失敗もあるから、けっこう神経質になっている。
巻き道は稜線と合流して、背丈の低い笹の草原に出た。
これが晴れていたら、正面にきれいな三嶺が見えるのだろうと思う。でもこの笹原には雨と霧が流れていくだけである。
この笹原から再び下る。林の中の急な下りである。道は本当に踏み跡程度のものになって、笹が完全に覆い隠している。雨に濡れ、笹の滴に濡れ、道は見えないのだから足の踏んだ感覚だけで道を探りながら行く。
ようやく開けたところに出て、稜線の道から右に入る踏み跡がある。これをたどっていくと小屋が見えてきた。これが白髪小屋である。
この中で昼飯でもと思ったが、中を覗いてみると学生の団体が停滞していて、てんでにシュラフで寝転がっている。小屋の中はそんな状態で、この中で昼を食べるのはあきらめた。

外に出ると5人のパーティがやって来た。このパーティに水場を訊いた。三嶺に向かって登っていくと、左に入る道があるのだそうだが、その2つめの道が水場に近いということであった。
歩いていくと、指導標はなかったが、木の枝が立てられていて、何かしらそれらしい。このカンは正しかった。
ともかく、水はほとんど空っぽになっているので、ザックをこの分岐において水汲みに行った。
2リットルのポリタンもあるのだが、雨で喉も渇かないので、500mlのペットボトルだけ持っていった。

水も補給できたので、いよいよ三嶺を目指す。ここから2時間の行程である。
私は、ここからは三嶺に向かってひたすら登っていくものとばかり思っていたのだが、そうではなかった。下ったり登ったりの稜線の道で、しかも、あいかわらず笹薮を掻き分けながら行かなければいけないのだ。
途中で地図を拾った。この三嶺のたりの登山地図なのだが、雨で濡れて、しかも泥までついている。それでも、なんかの役に立つかと拾って行くことにした。(後でものすごく役に立った。)
小屋を出て1時間半ほど、ようやく本格的な登りになった。
樹林を抜けると、驚いたことに行く手には大きな岩が聳えている。これが霧を通してかすんで見えるものだから、余計に威圧感を感じる。
私は、三嶺という山は剣山と同じように笹に覆われたなだらかな感じの山だと思っていたのだ。ところが、この大岩を過ぎる頃から、岩場が続くようになった。
本当に急な岩場の道で、鎖にすがって登っていく。
風も強くなって、雨は南から殴りつけるように降っている。
30分、この岩場の道を登って、ようやく山頂に着いた。
3人と2人の2組のパーティがいた。おかげで写真を撮ってもらうことができた。
彼らは、私が着くとすぐに下っていった。
山頂には私一人になった。
あとは山頂の三角点等をゆっくりと撮って…、あとはすることがない。すぐに下山することになった。

当初の計画ではこの三嶺山頂から天狗塚まで縦走して、それから「保井野」に下山するつもりだった。しかし、予定が大幅に遅れてしまったので、ここからまっすぐに「名頃」に下ることにした。
山頂から少し行くと池があった。その横に下山路を示す指導標が立っている。
指導標には、真っ直ぐに行くとヒュッテという案内もあった。
ここで何か食べさせてもらおうと思っていたので、そのままヒュッテに向かった。
すぐに池の端に立つ小屋が見えてきた。
ところが、この小屋は無人の避難小屋であった。
私は「ヒュッテ」というから、当然有料で管理人のいる宿泊施設とばかり思っていたのだ。大間違い。名前だけで判断してはいけない。
ここで食事をしようと思っていたのだが、これではメシ抜きである。
せっかくなので中を覗いてみると、まだ新しくてきれいな小屋であった。
ここで、さっき拾った濡れた地図を広げて見た。
私の持っている山と渓谷社のガイドブックの地図はどうもはっきりしない。本で紹介しているコース以外のコースに地図はいいかげんなような気がするのだ。
拾った地図で確認すると、下りで3時間かかるのだそうだ。今、12時である。あまりのんびりしてはいられない。名頃からバスは1519分に出るのである。
小屋からさっきの下りの分岐まで引き返して、一気に下る。
すさまじく急な道であった。壁のような山腹をジグザグに下って行く。
ようやく林の中に入ったので、傾斜は緩くなるのかと思ったらそうではなくて、あいかわらず急な下りが続く。
1時間ほど下っていくと、雨がやんだ。下は晴れているのではないかと思う。
本当に日が射してきた。
分岐に出た。左右それぞれに林道と書いてあって、左が1.4km、右が1.0kmとなっている。拾った地図で確認すると左が正しいようである。ただし、この分岐が地図の分岐だとするとずいぶん速いペースで下ってきていることになる。信じていいのだろうか。
ともかく右の道に入って歩き出す。
磁石で確認すると、方向的には間違いないようである。
山頂の下山分岐から1時間40分、林道に出た。車が3台ほど停まっていて、私が山頂で会った人達はこの車で来たようで、荷物を車に積んでいた。
私はここからさらに林道を歩いて、バス停まで行かなければいけない。
どんどん歩いていくとすぐに集落に出た。橋を渡る。
私の歩いてきた林道はダムを経由するのかと思っていたら、名頃の集落に直接通じていた。
車道を川に沿って歩いていくとバス停があった。でも、今はバス停は移動されていて、名頃小学校の前にあるのだそうだ。
さらに歩いていくとお店屋さんがあって、ここでカップ麺を買った。
バスの出発まで1時間以上もあるので、バス停でお湯を沸かしてカップ麺を食べることにしたのだ。ともかく、今日はろくに食べていない。
バス停は小学校の向かいにある町民会館の敷地内で、この会館の建物の階段に座り込んでお湯を沸かした。水は向かいの小学校のグランド脇の水道を使わせてもらった。
日も照っているので、雨でグショグショになったザックの荷物を乾かすことにした。
階段に濡れたものを全部広げた。
このかっこうはほとんどホームレスのおじさんである。
お湯が沸いてカップ麺を食べる。なんか異様にうまかった。
3時を過ぎた頃、運転手がやってきた。
バスは定刻に出発したが、結局乗客は私一人であった


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丸石避難小屋


小屋からすぐに葛橋への分岐があった


荒廃した高ノ瀬避難小屋


高ノ瀬避難小屋の中


高ノ瀬山頂


笹の道をひたすら行く


白髪避難小屋


白髪の別れ


三嶺への笹藪の道道


三嶺への登り。大きな岩が立ち塞がる


鎖場を越える


三嶺山頂


山頂を振り返る


池があった


三嶺ヒュッテ


よくわからない分岐


林道に出た


三嶺を振り返る


ようやく人里に出た


名頃の集落





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