BACK 乾徳山
1999年5月29日
ところで、今回は山渓の「奥秩父」というガイドブックを持ってきたのだが、これに茅が岳は登載されていなかった。
登山口の場所がよくわからない。
暗くなってくるし、困ってしまった。カンを頼りに山の中へ車を走らせてみたがどうも違う。
行きついたところは、茅が岳の東の肩を越える観音峠であった。この峠からも茅ガ岳へ向かう登山道があって、その入り口に茅ガ岳登山道の概念図の案内があった。これでようやく登山口がわかった。
自分が今回歩きたいとこだわっているのは、深田久弥が最後に登った道である。この観音峠から登るなら、標高差も距離もうんと楽なのだが、この道を登るわけにはいかない。
神戸という集落まで戻って、そこから西へ車を走らせていくと深田記念公園の駐車場があった。
今夜はここで寝ることにした。
5月30日(日)
朝、今日も天気はいい。駐車場から道標に導かれて登山口に向かう。5分ほど歩いたところに分岐があって、深田記念公園があるのが見えた。小さいが、最近整備さればかりのきれいな公園である。
ここには深田久弥自筆の「百の頂に百の喜びあり」という文が刻まれた記念碑と、この茅が岳の登山中に深田久弥は倒れたという紹介文が掲示されていた。
百名山の登頂を目指す自分としては、深田久弥に敬意を表するためにも是非とも登っておきたい山なのだ。そして、深田久弥が最後に登ったというコースにこだわっている。
この茅が岳はJR中央線の窓から見ていて、八ヶ岳によく間違えられる山だそうだ。山容はまさしく八ヶ岳のようで、長い裾野を引いている。
緩やかな傾斜の道を沢沿いにしばらく行くと、目の前に屏風のような岩が立ちふさがった。これが女岩である。7時25分に到着。
岩屋のようになっていて、水が滴っていた。
女岩の岸壁は右に巻いて行くのだが、ここから急な登りになる。
30分ほどで尾根道に出た。
少し歩くと登山道の傍らに石標が立っていて、「深田久弥終焉の地」と書いてあった。
深田公園にあった説明板によると、深田久弥は『昭和46年3月21日、親しい山仲間たちと茅が岳に向かった。女岩を経て頂上まで十数分の稜線を歩いていたとき、突然脳出血で倒れた。仲間の「この辺りはイワカガミが咲いて、きれいです」との言葉に、すっかり喜び「そうですか」とうなずいたのが最後だったという。』
偉大な山の先輩に対し黙祷。
頂上には8時20分に着いた。
頂上からの眺めはすばらしくて、雲の上に富士山が顔を出しているのが見えた。
また、南には甲斐駒ケ岳と鳳凰三山の連山がすごい迫力聳えていた。鳳凰三山の向こうには白い雪をいただいた北岳が少しだけ顔を覗かせている。天気はよくて最高である。
東京に住んでいた頃だが、南アルプスに4年間どっぷり浸かった時期があった。南アルプスで最初に登ったのが、入門コースの鳳凰三山で、これを縦走して甲斐駒ガ岳まで行こうとして敗退した記憶がある。鳳凰三山の縦走は、南アルプスのほんの入門コースなのだがこれに挫折してしまって、南アルプスの手ごわさを痛感したものである。
ともかく南アルプスの思い出は尽きない。
頂上には真っ赤なつつじがたくさん咲いていて、きれいであった。
思い出に浸っていたが、道標によると、この茅ガ岳のさらに西には金ガ岳という山がある。山頂から見える金ヶ岳は、いかにも堂々とした山で、標高も茅ガ岳の1704mに対して、なんと1764mもあるのだ。こっちが高い。
高いところがあるとすぐに登らなければという義務感にかられてしまう。ヤマヤの悲しいサガである。
茅ガ岳から下ると途中に石門があった。これをくぐって、急な道を登ると金ガ岳山頂であった。9時30分。
八ヶ岳連峰がきれいに見えた。
深田久弥の終焉の地にお参りできたし、頂上からの景色も素晴らしかったし、大満足で下山した。
BACK 日本二百名山 |