BACK 2003年九州登山計画篇
2003年8月9日(土)
今年の夏休みは九州に出かけることにした。
せっかくの長期の休みなので遠出したいではないか。
8日の夜に出発しようと思っていたのだが、台風が来てしまって、1日出発を遅らせざるをえなくなった。本当は、九州は台風が過ぎた後で晴れているはずなのだが、九州に向かうには台風とすれ違う必要がある。台風の真ん中を突っ切って行かなければいけないのだ。
家を出たのは夜の7時頃である。
昨日は盆休み初日の前夜であったが、台風で交通のダイヤが大幅に乱れていた。帰省ラッシュは今日にずれこんでいるはずで、渋滞は覚悟の上である。
吹田から中国自動車道に入る。山陽自動車道よりはこっちの方が空いているだろうと思ったのだ。まったくそのとおりで、ほとんど他の車を意識することなく走り続けることができた。そうとうな渋滞を覚悟していたのに、肩透かしである。
途中のSAで2時間ほど仮眠して、関門海峡を渡ったのは4時くらいである。ここで走行距離は600kmとなった。
鳥栖JCTで長崎自動車道に入り、背振山が右に見えてくる頃明るくなってきた。
この山も登りたいのだが、今回は除外してある。
諫早ICで高速を出て、ひたすら普賢岳をめざす。
8月10日(日)
ガイドブックでは登山のスタートを「雲仙公園バス停」にしてあるのだが、私は「池ノ原園地」から出発することにしている。
最短で普賢岳に登ろうと思ったら、車で仁田峠まで行くことができる。ここから普賢岳を往復するだけなら2時間半で可能でなのだが、それでは登山としてはつまらなすぎる。
私は妙見岳から国見岳に登って、それから普賢岳をめざすつもりなのだ。
池ノ原園地の前には駐車場があって、ここに車を停めて歩き始めた。時間は7時半になっていた。
春であったならば、ここではミヤマキリシマの大群落を見ることができる。
途中ですごい看板を見てしまった。昨日今日明日の3日間は高体連の登山競技がこの普賢岳で行われるらしくて、各日、200人ほどが山にはいるのだそうだ。
そんな大団体の中に紛れ込んでしまったら、とんでもない登山になってしまう。
少しあせりぎみで登り始めた。
最初は園地の中の道を行くので、整備された遊歩道である。
傾斜がだんだんきつくなって、仁田峠の直前は階段の道を登る。
仁田峠は広い駐車場があるが、まだ車はほとんどない。ただ、自衛隊のモスグリーンのトラックが2台停まっていて、なにかしら通信を行っていた。
期待の普賢岳の景色は、雲の中であった。
台風が過ぎた後なので、快晴を期待していたのだが残念。
行く手には雲仙ロープウェイの駅が見える。
そちらに向かって登っていくが、手前で登山道入り口があった。ここからが本当のきつい登りになった。
登山道の両脇にはミヤマキリシマが群生しているのだが、花が咲いていないのでどうしようもない。ジグザグに急坂を登って、20分ほどでロープウェイ妙見駅に着いた。
ここで少し休憩。
駅舎の中、階段を下ったところに写真展示場があって、平成2年の普賢岳噴火の展示がされていた。写真からだけでも、その噴火のすさまじさがうかがえる。
さて、妙見岳に向かって登り始める。
階段を登っていくと稜線に登りついて、指導標が立っている。右に行くと展望台、左が妙見神社となっている。どっちが登山道なのだろうか。雲でまわりの景色がみえないものだからコースがよくわからない。とりあえず展望台に行ってみた。
階段を登っていくと、展望台で道は行き止まりになっていた。展望台には自衛隊員が2人いて、無線交信をしていた。高体連の競技の側面支援なのだろうか。
さて、もう一度分岐にもどって、妙見神社への道を行く。すぐに神社があって、その社殿の左に登山道が続いている。
妙見岳の山頂はどこなのだろうと思いながら歩いて行ったが、道は下りになってしまった。神社があったところが山頂だったのだ。
平坦になった道を行くと分岐があって、そこに指導員の腕章をしたおじさんが2人いた。
訊いて見ると、競技の参加者は早朝5時にテントをたたんで出発しているという。それではもうこの先を行っているのかと思ったらそうではなくて、もうすぐここに到着予定なのだそうだ。
競技は私が登ってきた道で行われるのではなくて、第二吹越からここに至るコースをとっているのだ。追い越されないうちにとあわてて出発した。
稜線の道を行くと指導標があって、ここが普賢岳と国見岳の分岐であった。雲の中で、どこに普賢岳があるのかよくわからない。ともかく国見岳に登ることにする。
笹が覆い被さる道を行くと、突然目の前に壁のような山腹が立ちふさがる。
国見岳はこの急な山腹をよじ登るのである。げっと思った。
笹の中をジグザグに、この絶壁を登って行く。途中には岩場もあった。
すごいところに来てしまったと思った。
国見岳には10分ほどで登ることができた。
山頂に立って、さて普賢岳はどこだろうと見回すと、谷をはさんだ向かいに岩山が見える。
地図を開き、磁石で方向を確認するとどうもこれが普賢岳のようである。
私は国見岳から稜線で続いているものだと思い込んでいたのだが、そうではなかった。
そして、ここから眺める普賢岳はすさまじく急峻である。
山頂の岩山を雲が越えていく。それがいっそう険しい山に見せている。
こんなのに登るのかと思ってしまった。
まず国見岳を下って、さっきの分岐まで引き返す。この下りが、けっこう高度感があって緊張させられる。
分岐からは一気に下る。どんどん降りて行く。ため息が出てしまう。この下った分は、それ以上に登り返すことになるのだから。
ようやく鞍部に降りついた。ほとんど谷底ではないかと思ってしまうのだが、ここが「紅葉茶屋」である。名前からして、ここには茶店のような小屋があるのかと思っていたのだがそんなのは何もなくて、単なる分岐点であった。ここら下っていくと、仁田峠に着くことができるのだ。
いよいよ普賢岳に登り始める。約30分、急な道を登って行く。
どんどん高度を稼いで行く。向かいに聳える妙見、国見の山容が次第に全容を見せはじめる。
山頂に着いたのは10時半頃であった。
山頂は、晴れていた。
向かいに、あの平成2年の噴火でできた「平成新山」が聳えていた。
岩塊が積み上げたドームが煙を吐き続けている。
すごい、と思ってしまう。
山頂には他にも登山者が多くて、私が休憩していると、指導員の腕章の2人が登ってきた。
彼らの話しを聞いていると、目の前にある平成新山ができるまでは、この山頂から島原湾を見下ろすことができたのだそうだ。今は目の前に煙を吐き続ける平成新山が立ちふさがっていて、島原湾を眺めることはできない。自然の力は、やはりすごい。
普賢岳山頂と平成新山の間には、ようやく木々が生え始めているのだが、それでもその緑の中に、黒く立ち枯れた木々を眺めることができる。噴火から10年以上たつのだが、その名残である。
紅葉茶屋に下って、仁田峠に向かう。
途中、薊谷広場があって、ここで15人ほどの団体とすれちがった。普賢岳はけっこう登山者の多い山なのである。
少し登り返すと、神社の祠の横に出て、その先がロープウェイ駅舎前の広場であった。
ここから普賢岳を振り返ってみたが、もう雲に隠れてしまっていた。
車のところに戻ってきたのは12時半頃である。
あとは島原からフェリーに乗って、三角港に渡るつもりである。ただ、私にはものすごく心配なことがある。車のガソリンがほとんどないのである。
自宅を出発するときに、満タンにしてきたのだが、高速を850km以上走ってきている。
私の車は三菱のギャランで、この車はGDIという直憤式のエンジンを積んでいて、燃費はすこぶるいいのだが、ここまでで走行距離は900kmになっている。
無事スタンドのあるところまでたどり着けるか、極めて心配なのだ。
高速を降りたときから、給油のレッドランプが点いていたのだが、朝早くてどこのスタンドも開いていなかったのだ。
ともかく島原を目指す。もう、徹底したエコ運転をするしかない。ほとんど下りなのでアクセルは一切踏まない。もちろん、発進もゆっくりゆっくりである。
日ごろもこれくらい運転に気を配ったら、いいんだろうなと思いながら下って行く。
ガソリンスタンドにたどり着いたときはほっとした。入ったガソリンは62リットル。私の車の容量は63リットルなのだ。危なかった。
ただし、ここでのガソリンはリッター110円で、私が京都で入れてきたのは95円だった。
高いガソリンだった…。
ともかく満タンになって、気分も軽く島原港を目指す。
フェリー乗り場はすぐにわかって、約40分の待ちでフェリーは出発した。
フェリーの料金は3200円、想像以上に安い。
1時間の船の旅をして三角港に着くのだが、港に入る前に船は大きな橋の下を潜る。これは九州本土と天草諸島を結ぶ橋で、ここから天草パールラインが始まるのだ。
私は、30年ほど前に自転車でこの橋を渡ったことがある。熊本からスタートして、天草五橋を渡り、最南端の牛深まで行って、そこからフェリーで長島に渡った。このサイクリングツアーの途中で、明日登るつもりの開聞岳に登ったのである。あの頃は元気だった。
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山麓から普賢岳

歩き始めたら石仏があった

峠直下の遊歩道

仁田峠を振り返る

ロープウェイ駅手前に登山口

ロープウェイ妙見駅から妙見山

妙見駅からロープウェイ

妙見神社

国見岳

国見岳山頂

紅葉茶屋

普賢岳山頂三角点

普賢岳から国見岳

秩父宮(?)登頂記念碑

妙見岳を仰ぐ

薊谷広場

仁田峠ロープウェイ駅の登山口

仁田峠から普賢岳 |