BACK 篠井山
2006年10月27日
愛鷹山というのは富士山の北に聳える山塊である。私は日本二百名山に熱中していたときがあって、そのときに愛鷹山に登った。もちろん、愛鷹山という名の山に登ったのである。ところがよく調べてみると、愛鷹山は北から黒岳、越前岳、呼子岳、鋸岳、位牌岳、袴腰岳、愛鷹山と連なる山塊全部をさすのだ。だから日本二百名山でいうところの「愛鷹山」というのは愛鷹連山のことなのだ。しかもこの連峰の最高峰は愛鷹山ではなくて越前岳なのだ。愛鷹山の標高が1187mなのに対して越前岳は1504mである。これでは愛鷹山に登ったとはいえない。
愛鷹連山は黒岳から愛鷹山まで縦走するのが一番いいのだが、交通の便を考えるとそれは難しい。とりあえず最高峰の越前岳には登らなければ…と思ってしまう。
今回の登山旅行で愛鷹山の近くを通るので、この山塊の北部の山に登ることにした。
登山口にはりっぱな広い駐車場があって、すぐそばに登山口がある。
登山口にある小さな木の鳥居をくぐると「松永塚」という石碑があった。この碑は冠松次郎が揮毫していて、碑の裏には遭難した松永氏の追悼文が刻まれている。冠松次郎は明治16年の生まれで「黒部渓谷」の著者として有名で、日本アルプスや奥秩父の渓谷を紹介した沢登りの先駆者なのだ。
鬱蒼とした樹林の中を少し行くと、正面に愛鷹神社の祠がたっていた。登山口に「山神社入口」と書かれていたのはこのことである。
杉の林の中を登って行く。30分ほど急な道を登ると、行く手に小屋が見えてきた。これが愛鷹山荘であった。
この小屋は個人の所有物で、一般の家屋と同じように門があった。
小屋の前には水場があって「銀明水」という。冠松次郎が「天与の銘水と称した湧き水」なのだそうだ。せっかくなので飲んでみた。うまかった。
ここから稜線はすぐである。稜線に着くとそこはベンチも置かれた小さな広場で、富士見峠という指導標がたっていた。この稜線を左に行くと越前岳で、右に行くと黒岳である。私はまず黒岳を目指す。
檜林の中を15分ほど行くと富士山展望台に着いた。
湧きあがる雲の間から山頂部だけ顔を出す富士山が見えた。頭だけでも富士山が見えてうれしい。
ここから少し行くと道は右に曲がって下り、そしてもう一度緩やかに登り返す。檜の暗い林から抜けて明るい広葉樹の林になった。行く手に広場が見えてくると、そこが黒岳山頂であった。
山頂から少し奥に行くと、草原の向こうに富士山が展望できた。湧き上る雲の間に半分しか見えないのだが、それでもやっぱり富士山はすばらしい。
山頂に引き返すと、反対側に鋸岳展望台という案内があったので行ってみたが、雲で何も見えなかった。
黒岳から引き返して富士見峠に戻る。これからいよいよ最高峰の越前岳をめざすのだ。
広葉樹の中を登って行く。傾斜はかなりきつくなった。大きくえぐれた溝のような道になって、滑りやすくてすごく歩きにくい。
峠から20分ほどで鋸岳展望台に着いた。
ここから鋸岳を眺める。雲が湧き上ってる中に、まるでゴジラの背びれのような岩峰の連なりが見えた。すごい。
私は越前岳に登ったあと、割石峠からこの鋸の稜線を通って位牌岳を往復しようと思っているのだ。ただ、登山口の看板にはこのルートは極めて危険とかかれてたので迷っている。
潅木の林の中を急登する。登山道の左は断崖絶壁になっているようで、登山道には危険という標識があちこちにたっている。
急な登りを続けて行くと富士見台に着いた。ここから眺める富士山もすばらしいのだ。写真家の岡田紅陽がここで撮影した富士山は、戦前の50銭紙幣に使われているのだという。でも富士山は、雲に隠れてほんの一部しか見えなかった。
あきらめて、越前岳をめざす。
富士見台からはほとんど平坦な道で、紅葉の中を歩いて行く。晴れて富士山がくっきり見えたら最高なのだが。
越前岳山頂に着いたのは9時45分であった。三角点がある広場には、真新しい山名の標識がたっているのだが、霧の中でまったく展望はない。
越前岳からは呼子岳経由で割石峠に下るつもりだが、山頂の指導標にはその案内はなかった。あるのは十里木への下山路だけである。磁石で方向を確認して割石峠に向かった。縦走路なのにその案内がないのはおかしいと思ったのだが…。
急な下りが続く。
その下りの途中で雲が晴れて鋸岳の稜線が姿を現した。すごい岩峰群である。あんなところを本当に通ることができるのだろうかと思ってしまう。妙義山の縦走を思い出してしまった。
ようやく下りが緩やかになると、高場所との分岐に着いた。ここからは呼子岳が鋭く聳えているのが見える。これが鋸岳ではないかと思ってしまうような急峻な山である。
振り返るといつのまにか雲がとれて、紅葉の越前岳がきれいに見えた。
呼子岳へは木の根につかまったりして登るすさまじく険しい道である。山頂のすぐ下で割石峠との分岐があった。まず呼子岳山頂をめざす。
山頂は狭い広場で、ここにも真新しい山名標識がたっていた。でも雲の中で、展望は得られなかった。
割石峠に向かって急下降する。
峠に着いたのは10時40分、これなら位牌岳を往復する時間は十分である。峠の右は絶壁で、キレットのようになっていた。覗いてみると目がくらみそうである。
峠から鋸岳に向かって急な道を登る。今までと違って、道は細くて荒れている。すぐに天狗の畑との分岐があったので行ってみると、小さなピークで、ここからの眺めはすごい。下は目がくらむような絶壁なのだ。鋭く聳える呼子岳が目の前に聳えている。すごい眺めだ。
分岐に戻ってさらに急な道を登る。
ピークに登りつくと、そこには警告の看板がたっていて、「ここ蓬莱山から位牌岳へのルートは風化崩壊がすすんでいて、非常に危険。立ち入りはご遠慮ください」と書かれていた。
位牌岳往復はあきらめることにした。じつは、心の底でほっとしている。登山路から見た鋸岳の稜線はいかにも恐ろしげだったからだ。位牌岳には東海北陸の山の登山旅行をするときに登ろうと思う。この行き止まりのピークが蓬莱山で、片隅にはお地蔵様がひっそりと置かれていた。
峠に引き返す。
割石峠からは大きな岩がゴロゴロする涸れ沢を下って行くのだ。これはものすごく歩きにくかった。行けど行けど巨岩が累々とする涸れ沢で、傾斜もきつい。
頭上を広葉樹が被うようになると傾斜も緩まって、涸れ沢の横に登山道らしき踏み跡を見つけた。岩の沢から離れることができてほっとした。どんどん下って行く。道は涸れ沢に合流したり、横切ったりする。
第二ケルンの指導標があって、そこから10分ほど行くと大きな杉の木があった。
少し下ると第1ケルンの指導標がたっていた。そのすぐ先で涸れ沢を横切ると荒れた林道になる。
大沢橋を渡ってさらに15分ほど行くと、広くなった涸れ沢を渡る。その先は舗装された林道でこれを辿ること10分足らずで登山道入口に戻った。12時20分であった。
明日は、山梨県大月市のすぐ北に聳える滝子山に登る。カーナビでは70kmほど走ることになる。途中では富士山麓や山中湖の湖畔を走るのだ。
NEXT 滝子山
NEXT 位牌岳
BACK 日本二百名山
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登山口駐車場
松永塚
山神社
愛鷹山荘
銀明水
富士見峠
富士山展望台
黒岳山頂
鋸岳展望台
富士見台
越前岳山頂
割石峠・呼子岳の分岐
呼子岳山頂
蓬莱山山頂、この先通行止め
割石峠 |