やくしだけ

標高 2926m

1998年の夏は北アルプスを登った。靴擦れで足を引きずり、大雨に遭うという悲惨な山行だったが、それでも忘れることのできないすばらし山だった。
上高地→焼岳→笠が岳→富山市→折立→薬師岳→黒部五郎岳→鷲羽岳→黒岳→野口五郎岳→烏帽子岳→葛温泉→大

焼岳 笠が岳 黒部五郎岳 鷲羽岳 黒岳 烏帽子岳

BACK 笠が岳


1998年8月10日(月)

朝、テントをたたんで、新穂岳温泉のバス停に向かう。

始発のバスは6時20分と思っていったら、6時55分であった。

バスターミナルのすぐ傍に足だけを浸ける温泉があった。待ち時間で、マメでずたずたになった足を30分ほど浸した。この足で残り6日間の登山ができるんだろうか。

バスは少し走って栃尾温泉に着く。ここで奥飛騨温泉口行きのバスに乗り換える。

奥飛騨温泉口からは電車に乗り換えるのだが1時間30分ほど待ち時間があった。

駅の構内にバスが置いてあって、それが待合室になっている。

ここには本があって、「弥勒戦争」という本をみつけて、これにはまってしまった。富山までの電車の中で、ずっと読みつづけることになった。

JR猪谷で乗り換え。富山に着いたのは10時40分頃であった。
まず富山地方電鉄の駅にいって時間を確認。驚いたことに折立行きバスの最終に接続する電車は11時45分だという。あと1時間もない。あわててタクシーに乗って登山屋につれてってもらうが、この運転手がどうしようもなくて、山屋さんを知らなかった。結局時間内には探し出せなかった。仕方がないので公衆電話ボックスに入って、電話帳で山屋さんを探し、電話で靴とコンロを売っているか確認して出かけた。

歩き回っている間も足が痛かった。そこでまず、アーケード街の薬屋さんで消毒薬とカットバンを買った。それまでは、まめができて皮がはがれたところを、ティッシュのビニールの袋で縛っていたのだ。

その次に、駅の近くの衣料スーパーで海水浴でなんか履く草履を買った。これでやっと靴から開放された。

バスに乗って遠出。富山市郊外の「アルペン」というスポーツ店に行った。

ここの商品は安かった。コンロがなんと1750円。専門の山屋では7000円だった。

靴も5000円のを見つけた。サイズは26cmにした。ちょっと大きすぎる気もするが。

そして、今まで履いていた靴は駅前のコンビニから宅急便で会社に送ってしまった。

すべて終了。2時であった。

駅のレストランで焼肉定食を食べ、ついでに生ビールも飲んだ。うまかった。

コンビニで食料も買い込んで、暑中見舞いもここから出した。あとは夜の9時25分まで時間をつぶさなければいけない。本を読んでいた。
時間つぶしに、駅前のバスターミナルでバスの運行時間を見ていたら、明日の折立行きバスは富山始発になっていることがわかった。
有峰口でちゃんと乗れかどうか心配になってきた。

富山地方電鉄駅の改札口で運行図をみると、この電鉄は立山とか、宇奈月に行く線でもあった。今は夏山シーズンで本当に稼ぎどきのようで、改札から出てくる登山者の数はめちゃくちゃ多かった。だが、富山から乗り込んだ登山者はほとんどいなかった。
予定通り、最終列車に乗った。
有峰口までの電車の中で「弥勒戦争」を読み終えた。
突然この小説の話しになってしまうのだが、弥勒とは、自然界のなかで天敵のなくなった人類が無限に増加していくのを調整するために、天が下したもののことなのだ。たしかに、人類にとっての天敵は地球上に存在しない。だから、人口爆発といわれる急激な人口増加によって、開発途上国では深刻な食糧危機に陥っている。 南アメリカでは原住民が生きるために焼畑農業を行う。そのためにアマゾンの大森林帯は、今も焼き払いされつつある。この二酸化炭素吸収システムを破壊する一方で、車社会は膨大な量のCO2を撒き散らしつづける。
さらに人類は森林を切り開き、大地をアスファルトで覆い、化学工場は汚水を吐き出す。処理しきれない放射能物質を海に沈めたりする。地球上のいたるところで砂漠化が進行している。人類によって絶滅させれた生命体は数知れないだろう。

もしかした、小説でいう「弥勒」が現れなくても、人類は何百年か後には自滅してしまうのではないかと思ったりする。しかも、地球上の全生命を道連れにして…。

読み終えた本はこの電車の中に残していくことにした。

終点の有峰口の駅はとんでもない田舎の駅で、これが薬師岳の登山口になる駅なのかと少し呆然とした。
ともかくこの駅のベンチで寝るしかない。先客が1人だけいた。

この駅は建付けが悪くて、虫がいっぱい入ってくる。持ってきた殺虫剤が初めて役に立った。 

8月11日(火)

6時がバスの出発時間。二人だけかと思っていたら、時間が近づくにつれて人が集まってきて10人ほどになった。この人たちは多分、この近くの旅館に泊まっていたのだろう。駅で寝る貧乏人の私とは大違い。

ここでバスの切符を買ったが、荷物券も必要でザックの重さを量られた。20Kgを少しきる重さだった。この他に富山で買った食料がある。
バスは駅前から出るのかと思ったらそうではなくて、少し歩いて国道沿いのバス停までいかなくてはいけないのだ。

悪い予感が当たった。バスはやはり富山が始発で、状況によって乗れるかどうかわからないという、とんでもない話。

それでもなんとか補助椅子に座ることができた。

折立の少し前に有峰記念館というのがあって、バスはここで休憩。店もまだ開いてなくて、たいくつであった。

折立には7時45分頃に着いた。

いよいよ登頂開始。

太郎平に着いたのは12時頃。靴を変えたので少しは楽だ。それにしても荷物は重い。

太郎平で昼食をとる人が多かったが、自分はちょっと休んで、すぐに薬師峠に向かった。

ここにキャンプ場がある。途中薬師平というところがあって、ここで休憩したのだが、ガスでまわりがよく見えない。晴れていたらここは湿原のようになっていて、きれいなところなのだ。ただし、道は土肌が露出してきていて、自然がどんどん壊されつつある。

キャンプ場に着いたのは1時頃。大急ぎでテントを張って、少しの荷物をもって、薬師岳に向かう。出発は1時30分。

薬師岳の稜線に近づくにつれて風が強くなり、寒くなってきた。尾根に出たかと思うあたりに標識が立っていて、それにはコーヒーとかラーメンとか書いてある。なんと薬師小屋のメニューであった。

頂上付近では完全に霧に巻かれて、視界はゼロ。頂上に着いたのは4時頃。

頂上の祠には薬師仏がまつられていた。金色の薬師がひどく新しく見えた。

有名な薬師岳のカールを見たかったのだが、霧でなにも見えなかった。

テントに帰ってきたのは5時頃であった。ひどく寒かった。

夜中雨になった。


NEXT 黒部五郎岳

2008年8月の登山記録


有峰口駅


有峰記念館、バスはここで休憩


折立のバス停


三角点、ここまで2時間かかった


有峰湖が見える


太郎平小屋


太郎平から北ノ俣岳


薬師岳への道


薬師平、自然破壊が激しい


薬師岳山頂


山頂祠の中に仏像がある


薬師峠キャンプ場





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