このホームページで燧ケ岳のことをまとめていたのだが、どんなにアルバムをひっくり返しても至仏山の写真が出てこない。
自分の記憶を探ってみても、山の鼻から至仏山に向かったことは間違いないのだが、山頂の記憶がまったくない。
今までずうっと至仏山には登ったと思い込んでいたのだが、だんだん自信がなくなってきた。
めんどうなので、もう一度登ることにした。
今なら季節は夏。尾瀬ヶ原は花が満開のはずだ。
尾瀬というと水芭蕉が有名なのだが、私は水芭蕉がそんなにきれいなものだと思っていない。黒い泥の上に点々と白い花が咲いているだけだ。色彩的にもなんかみすぼらしいではないか。
やっぱり、高山植物が咲き誇る夏が最高だと思うのだ。
尾瀬に咲く花は本当にいろんな種類があって、緑に覆われた湿原に様々な色の花が咲く。
なんか考えただけでワクワクしてきた。
天気予報をみると、梅雨の最中なのに今度の日曜は晴れるとか。
行くことに決めた。
2001年7月8日
3時起床。まだ真っ暗だ。
カーナビによると、小山から尾瀬に行くには日光経由が近いらしい。
鹿沼ICから東北自動車道に入って宇都宮。ここから日光有料道路を使って終点の清滝ICまで行く。すぐに日光いろは坂が始まって、登り着くと中禅寺湖。このころ明るくなってきた。
戦場ヶ原にさしかかると、車が数台止まっていて写真撮影をしている。
戦場ヶ原は霧がかかっていてすばらしく幻想的だった。朝靄がおおう湿原の空には白い月がかかっている。私も車を止めてしばし写真撮影をしてしまった。
金精道路を通って鎌田に向かう。鎌田で、沼田から尾瀬に続く国道401号線に合流する。
尾瀬はマイカー規制が行われていて、車は戸倉というところまでしか入れない。ここからタクシーに乗り換えなければいけないのだ。駐車料は24時間1000円。
タクシーはすべて乗合になっていて、鳩待峠まで900円である。
鳩待峠に着いたのは6時少し前であった。
鳩待峠から至仏山に向かって登り始める。
ガイドブックには至仏山から山の鼻に下る道は閉鎖されていると書いてあった。
登山口で、登山届けの案内をしているお姉さんにきいたら、3年ほど前にそういうことがあったが、今は通れるとのこと。
よかった。最悪、至仏山に登頂したら再び鳩待峠にもどって、それから山の鼻に向かおうかと思っていた。ともかくこれで尾瀬が原の花を見ることができる。
登山口から登り始めたのは6時。
登山口は標高1600m弱なので、至仏山までの標高差では600mほど。標準タイムで2時間少しの登りだ。楽なものではないか、と思ってしまった。
樹林のなかの緩やかな登りが続く。25分ほど歩くと小さな広場があって、そこに至仏山まで3.5km、鳩待峠まで1kmという指導標があった。まだ1kmしか歩いていない…。でも、至仏山は意外と近いのだ。
この先傾斜が増して、木の階段が現われた。そんな急な階段ではないのだが、登りが続く。20分ほど登って行くと、森林から抜出して展望が広がった。
木道が現れ、これを緩やかに登って行くと、行く手には岩に覆われた至仏山が見えてきた。(でも、これは小至仏山であった)登山道の展望が開けると、そこが「原見岩」で、尾瀬ヶ原とその上に聳える燧ヶ岳を眺めることができる。絶景である。
1時間ほどでオヤマ沢田代に着いた。ここにも小さな湿原が広がっている。何よりも良かったのは、ここからは小至仏山の岩峰がきれいに見えることだ。
小至仏山には8時頃に到着した。
狭い山頂であった。
登山口を出発したときは曇り空だったのだが、空はきれいに晴れれてきた。
尾瀬ヶ原はうすく靄がかかっている。
燧ヶ岳は白い靄の上に山頂部だけを見せていた。
小至仏山からいよいよ至仏山への登り。稜線を行く。
意外と岩場が続く。
ここで驚いたのは、登山道に転がっている岩が研磨されたようにつるつるになっていることだった。これはいったい何ナノだと思ってしまった。
いろんな山を登ったけど、登山道の石がここまで摩耗して、つるつるになっているのは初めて見た。それだけ人が多いということか?
至仏山山頂は人でごったがえしていた。
さすが「観光地」。
ツアーのおばさんたちの一行が次々と登ってきて、山頂は大変な騒ぎであった。
ともかく最近は、中高年の「日本百名山参り」が流行りのようで、こうした団体にぶつかると傍若無人な振る舞いに辟易させられてしまう。
ただ、自分も日本百名山のピークハントをしているおじさんの一人なので、彼らを批判できる立場にはないのだが。
山頂からの尾瀬ヶ原はすばらしかった。
緑の絨毯の中に細い線が引かれている。これが尾瀬の木道だ。
その木道がまっすぐに燧ケ岳に向かって伸びている。
尾瀬を代表する風景だよナ、と妙に納得してしまう。
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