おおだいがはらやま
標高 1695m

大台ケ原山は私が初めて一人で登った本格的な山だ。私がまだ20歳前で、大阪に住んでいたときのことである。

大台ケ原に棲む鹿たち

大台ケ原は私にとっては忘れることのできない山である。
私が初めて一人で登った本格的な山だ。
それは私がまだ20歳前で、大阪に住んでいたときのことである。
職場親睦の登山計画をたてたのだが、土曜日の午後から大阪を出るのではではちょっと無理だということで否決されてしまった。
仕方がないので自分一人で登ることにしたのだ。
バスで大台ケ原に着いたときは真っ暗になっていた。この日は大台ケ原山の教会に泊まった。
夕食のあと、山小屋の主人が山の話をしてくれた。
道に迷って、夜の暗い中を歩き回ったという話だった。
今でも覚えているのだが、月のない夜でもある程度明かりはあるものだということと、足の踏んだ感覚で獣道と登山道は区別がつくということだった。
この話は、夜道を歩くときに今でも思い出す。
私は夜道を歩くとき、ほとんど電灯をつけない。電灯をつけてしまうとその照らす範囲しか見えなくなってしまうのだ。
それに、月のない夜であっても不思議と空には明るさがあって、道を判別することができるのだ。
要するに、私はこの時の話を今も実践しているのだ。
翌朝は暗いうちに小屋を出て、最高峰の日出カ岳に登った。これは本当に簡単に登れてしまってあっけなかったのだが、そこから下った大杉谷がすばらしかった。
時間がなかったのでほとんど走るようにして下って、なんとか渡し舟の最終便に間に合った。
私が山のトリコになってしまったのはこの時からだったと思う。


2001年8月2日

この週末は池口岳と鋸岳に登ろうと思っていた。
だが、天気がよくない。
今週の登山はあきらめようと思ったのだが、全国の天気予報をみると名古屋・大阪は晴れるようだ。そこで、この大台ケ原に登ることにした。
栃木市から阿倍野まで夜行バスがある。これに乗ろうと思って電話したが満席とのこと。
仕方がないのでJRで行くことにした。
時刻表を見ると東京から大垣行き夜行の各駅停車がある。
これで名古屋まで行って、そこから近鉄に乗り換えればいい。
仕事を終え、家に帰ってから、おおあわてでザックに荷物をつめた。今回は山中で1泊しなければいけない。テントとシュラフが必要だ。ザックはかなり重たくなった。
小山発2142分の快速に乗って上野まで行く。山の手線に乗り換えて品川まで行った。
今の時期、大垣行き各駅停車は品川から出発するのだ。
駅のホームに行って驚いた。プラットホームは人であふれ返っていた。なんなのだこれは、と思ってしまった。
今は夏休みで、学生達が旅行するときで、それにこの春、大阪にはユニバーザルスタジオができて、これをめざす連中かもしれない。
当然、席にはすわれなかった。
仕方がないので床にザックを置いて、その上に座った。
一晩、このザックの上ですごすことになった。
完璧な睡眠不足だった。

8月3日

名古屋には519分着。近鉄に乗り換える。
これも時刻表で調べたのだが、名古屋発の一番早い特急は7時までない。
ところが、桑名発6時の特急がある。そこで名古屋531分発の急行に乗って津まで行き、ここで特急を待つことにした。
津には629分に着いて、特急は648分発だ。
大和八木に着いたのは756分。ここで橿原神宮へ向かう電車に乗り換える。
そしてさらに、橿原神宮で吉野に向かう電車に乗り換えた。
橿原神宮発831分の列車に乗った。
これで9時半発の大台ケ原行きのバスに間に合う。
しかし、ここで大失敗をしてしまった。
下車する駅は大和上市なのに、大和下市口で降りてしまったのだ。登山者がゾロゾロと降りるので、これにつられて降りてしまった。彼らは吉野山に登る人たちだった。
駅前のバス停留場に行ったが、大台ケ原行きのバスがない。
やっと駅を間違えたことに気がついた。
あわてて駅に戻って時間をみると、911分発の特急がある。これに乗ることにした。
おかげで余分に運賃220円と特急料金500円払うはめになった。
大和上市には926分頃に着いた。急いでバス停に向かう。なんとか当初予定していた930分発のバスに乗ることができた。
バスに乗っている時間は長い。
到着は1114分である。2時間近くバスに乗るのだ。
バスの中では眠かった。昨日はほとんど眠れなかったのだから。
大台ケ原には予定通りの時間に到着。
晴れ。
ここまではサンダルに半ズボンでやってきたので、着替えて11時半に歩き始めた。
まず大蛇ーを目指す。
道がよくわからなかった。大台荘という山小屋まで行ってしまって、道はそこで行き止まりだった。
小屋の人に訊くと少し手前にシオカラ谷に下る道があって、この道を行くのだそうだ。
どんどん下る。こんなに下ってしまっていいのか、途中で心配になってしまった。
下り着いたところには小さな吊り橋があって、その下には沢が流れている。家族連れが水遊びをしていた。

橋を渡ると、一転して登りになる。
ようやく登りついて、この稜線の道から右に下る。15分ほど下ると岩の上に出て、展望が開ける。ここが大蛇ー。
下に鋭く切り立った岩峰が見える。
すばらしい景色。
今から30年前、この大台ケ原に来たときは、まっすぐ日出ケ岳に登ってそのまま大杉谷に下ってしまったので、大蛇ーは初めてだ。
大台ケ原に来たら、ここには絶対に立ち寄るべきだと思った。
稜線に戻って、少し行くと牛石ケ平に出る。
鹿がいた。大台ケ原には鹿が住んでいたのだ。初めて知った。
牛石平は笹の草原。その所々に白く風化した木の骸が転がっている。
なんともいえない風景だ。
これが大台ケ原の代表的な風景なのだそうだ。
牛石ヶ原の端に神武天皇の像が立っていた。
神武天皇は九州の宮崎から出航して、大和に攻め入る。そして、樫原神宮のあたりで初代天皇に即位するのだ。
日本書紀とか古事記では熊野から宇陀に抜けたという。
なるほど、神武天皇はこの大台ケ原を通ったのか。

さらに進むと正木峠に至る。
ここにも白く立ち枯れた木々が林立している。
木の墓場といった感じだ。
この間を縫って木の階段が続いている。
この風景は昭和30年の台風で、木々がなぎ倒されたことによってできたものらしい。
所々に案内板が建っていて、そこには鹿がこの樹木の樹皮を食べることによって木が枯れる原因になっているとも書かれていた。木の新しい芽が出てきてもそれを鹿が食べてしまうというのだ。
鹿を保護することも大事だが、その鹿が繁殖することによって森林が荒らされる。
自然保護を叫ぶ人たちはどちらを選択するのだろう。
正木峠のすぐ隣にピークがあって、そこには展望台が見える。これが日出ケ岳のようだ。
大台ケ原の最高峰だ。近い。
頂上に着いたのは1時。展望台の横に三角点があって、山名が刻まれた小さな石柱があった。
展望台に登る。
天気は晴れているのだが、遠くの山々は霞んで見えない。大峰の山並みも見えているのだが、写真に撮ってもはっきりしない。
また、ここからは海も見えるらしいのだ。だけど地平線は白くなっていてよくわからなかった。
残念だ。
いよいよ大杉谷に下る。
なんか今日は調子が悪い。睡眠不足のせいかもしれない。
急下降する。
途中にシャクナゲ平というところがある。
確かにシャクナゲの大群落地であった。ところがその木々は半分枯れかかっているようで、何か精彩がない。これも自然破壊の現われか。
下りなのに疲労が激しい。
粟谷小屋と堂倉避難小屋の分岐に出た。
今夜は避難小屋の前にテントを張ろうと思っている。
しかし、まず水の確保が必要だ。
指導標には粟谷小屋のほうに水場と書いてあった。こっちの道を行く。
下って行くと林道に出た。道の傍らに祠があって、そこに水が流れていた。助かった。
水を補給して林道を行くと、少し上に小屋らしきものが見えた。これが今日の泊りの堂倉避難小屋だった。
小屋の中に入ってみるとすごくきれいだ。
わざわざテントを張る必要はない。小屋に泊まることにした。
外のベンチで酒を飲んでいたら、一人下ってきた。彼もここにテントを張るとのこと。彼の今回の登山目的は釣りだという。明日、東沢を溯るのだそうだ。
眠かったので5時半頃横になった。
目が覚めたら10時半であった。
小屋に泊まっているのは自分一人だった。
ろうそくを点けて、ウイスキーを飲んで1時間ほど起きていてまた寝てしまった。


NEXT 大杉谷を行く


BACK 日本百名山


近鉄名古屋駅プラットホーム


大和上市駅


大和上市のバス停


大台ケ原のバス停


大台山の家


つり橋があった


吊り橋を渡る


大蛇ーへの分岐


大蛇ーが見えてきた


大蛇ーへはこんな岩場を行く


大蛇ーにて


牛石ヶ原


鹿が遊ぶ牛石ヶ原


牛石ヶ原


正木ヶ原の倒木帯


正木峠に続く木の階段


日出ヶ岳山頂の展望台


日出ヶ岳山頂


水場「延命水」があった





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BY:kudougao 2001/11/5









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