私はここ10年くらい、人が集まる山から離れていた。百名山のほとんどを登り終えて、ずうっと地方の山を登っていたのだ。
3連休の紅葉の穂高。人が多いのは覚悟していたが、こんな惨状になっているとは少しもしらなかった。
穂高は1993年の冬、西穂高岳に登って以来で、すごく楽しみにしてやって来たのだが、穂高の登山者はこんなに変わり果ててしまったのか、と愕然とした。
私はここで中高年のおじさんおばさんのパーティを批判しようとしている。反論もあろうと思うが、あえてここに一文を登載してしまう。
最近の日本百名山ブームは中高年の登山者を激増させている。それはいいことだと思っている。しかし、今回の登山で会ったパーティは許し難い。
25人くらいのパーティである。
このメンバーはまったく岩登りの基礎を知らなかった。
そもそも奥穂山頂への登りのような初歩的な岩場の登りで、他の登山者をして大渋滞にまきこんでいる。そうすると、この連中の技術の程度はわかるというものだ。
それが、そんな連中が、驚くべきことに奥穂、前穂の縦走をしているのだ。
ちょっと長い鎖場があった。そこで15分ほど待たされた。
この鎖場で、なんと鎖場の下り方の講習をやったりしている。
リーダーらしき男は先頭にいた。彼は立ち止まって、その下りることができず手間取っているメンバーに指示をしている。リーダーとその手間取っている人の間には15人ほどいて、当然のことだが、リーダーは先頭にいるのだから、このパーティ全体が停止している。しかもその岩登りができないメンバーは一人や二人ではないのだ。このパーティの後には15人ほどの登山者がイライラしながら待っている。
こいつらはいったい何ナノだ。この穂高に、こんなド素人集団が大挙してやってくるのか。
私にとっての穂高は、いくつもの山を登り、岩場にも慣れ、そしてある程度の山に対する技術を習得したものだけがやってくるところだと思っている。それが、この連中は観光旅行と同じ感覚でやってきているのではないかと思えてしまう。格好は登山者だが、技術はまったくない。ほとんどハイキング程度だ。
最後尾にいた男にどこかで道を譲って欲しいと言ったら、その前にいたおばさんがきっと振り向いて、この岩場ではそんなことはできないんだ、勝手なことをいうなと怒られた。
私は思うのだが、このパーティには少なくとも3つの誤りがあると思う。
まず、メンバーの技術程度を知った上でこのコースを選ぶべきではない。
2つめは、このコースは25人という大パーティで来るべきではない。
3つめは、パーティがパーティの体裁になっていない。リーダーは最後尾にいて、後ろからパーティ全体の動きをみて適切な指示を出すものなのに、先頭にいてシロウトの岩場の指導などしているものだからその都度、パーティ全体が止まってしまう。また、サブリーダーがいないようだ。本当はサブリーダーが先頭に立ってパーティのペースを決め、適切なコースを決める。それにこれだけの大パーティで技術が低レベルなら、サブリーダーがあと2人は必要だ。パーティの中にその二人を配置して、初心者をサポートさせなければいけない。
ともかくひどいパーティだ。
こんな連中が、最近は穂高を闊歩しているのか…と嘆いてしまう。
奥穂から紀美子平までの標準タイムは1時間10分である。この団体の後をついていったら2時間かけてもたどり着けそうにない。このとんでもないパーティが鎖場でもたもたしているのを、後ろで行列して待っている登山者達はぶつぶついっている。
さっき私を睨み付けたおばさんは長い鎖場なんだからしかたがないよね、なんて涼しい顔をしている。
さすがに切れてしまった。
岩場の下で、パーティ全体を停止させて鎖場を下りようとしている初心者に指示をしているリーダーがみえる。
上から大きな声でどなってしまった。
どこかで早く道を譲れ、このパーティはひどすぎる!
後ろに連なっていた登山者達からは拍手喝采をあびた。
ようやく鎖場を降りきって、このパーティを追い越すことができた。
このときリーダーが私をにらんで、さっき叫んだのはあんたか、という。
さっきのおばさんと同じことを言った。「この鎖場、岩場ではすれ違うことはできないんだ。山はおまえ達だけのものではない、そんなに急ぐ奴が遭難するんだ」と言われた。
こいつはバカかと思った。そしてこんなリーダーに率いられるパーティこそ遭難するんだと思った。
なによりも、自分らが他の登山者にものすごい迷惑をかけていることに気づいていないことに驚いてしまう。
しばらく歩いていったら、後ろから追いついてきた外国の若者に話しかけられた。
英語は話せないのでどうしようと思ったら、さっきのパーティに言ってくれてありがとうということだった。
前穂山頂からの下りでも、2組のパーティから声をかけられた。
私は山が好きな人はみんな仲間だと思っている。
でも、山は誰でもが登れる山と、そうでない山がある。
困難な山にはある程度の経験を積み、技術を身につけて、それから登るのが山に対する礼儀だと思う。
だから、今日会ったパーティは穂高を冒涜していると思う。そしてこの穂高に登っている我々登山者をも冒涜している。
あなた達にはこの穂高はまだ早すぎる、と言いたい。昨日今日は快晴だったからいいが、これが少しでも雨が降ったりしたら、岩場の状態はまったく違ってしまう。
技術レベルに合わせたコース選定をできないリーダーもリーダーだが、それになんの主体性もなくついてくるメンバーもメンバーだと思う。
だがそうした怒りの一方で、岩登りの技術をまったく持たずにこの山行に加わった人を気の毒に思ってしまう。どなってしまって申し訳なかったと思う。
たぶん、憧れの穂高に登れるというので喜んでこのパーティに加わったのだと思う。
でも、この急峻な岩場の連続に震えあがったと思う。なによりも自分がパーティの足を引っ張っているともうしわけなく思っていたかもしれない。そして岩場の恐ろしさで山を楽しむどころではなかったに違いない。
それに追い討ちをかけて、私がどなったりするものだから、いたたまれなくなったかもしれない。申し訳ないと思う。
あの後で、私自身けっこう悲しかったのだ。
|