1993年12月29日
年末の挨拶もそこそこに会社を17:30に出て、走ってバスターミナルへ。
17:40の空港行きバスに飛び乗った。19:00発のJASに乗る。そんなに混んでいなかった。
羽田空港では、飛行機を降りてからバスでずいぶん走った。
出口では荷物を受け取るのにも時間がかかってしまった。
羽田発20時45分発のモノレールに乗って浜松町に。ここでJRの切符を買って品川に向かう。
切符は飛騨高山まで買ったのだが、「飛騨高山まで」と言って切符を買おうとしたら、そんな駅名はないという。JRの駅名はただの「高山」であった。知らなかった。
大垣行きの各駅停車はこの年末年始だけ、品川が始発になる。
品川の臨時ホームは行列ができていて、大混雑であった。
吹きさらしのホームで2時間待つことになったのだが、あまり寒いとは感じなかった。北海道の釧路に住んでいるのだから、この東京の寒さなんかまったくたいしたことない。
2時間、行列して待ったおかげで座ることができた。
夜行列車はけっこう混んでいて、立っている人も多かった。通路に立っている人は大変だろうと思う。
岐阜に着いたのは6時30分。この頃になってようやく空が明るくなってきた。
岐阜で美濃太田行きに乗り換えて、そこからさらに飛騨高山行きに乗り換える。
高山に着いたのは10時半頃であった。新穂高温泉行きのバスは11時30分発なので、1時間の余裕がある。この時間を利用して、高山の市内を観光した。
高山の古い家並みはすばらしかった。もう少し時間がほしかった。
駅弁とビールの大缶を買って、バスに乗り込んだ。
ビールの酔いがまわって途中で寝てしまったが、目が覚めたら終点だった。
新穂高ロープウェイは13時45分発。
驚いたことに、このロープウェイは途中で乗り継ぎがあるのだ。乗り継ぎのところではスキー客がいっぱいであった。
こんな穂高の斜面にまで、スキー客が進出しているのに驚いてしまう。穂高の飛騨側は泣く子も黙る「滝谷」ではないか。
ロープウェイから見ると、このスキーコースはすごい。さすがに上級者コースに指定されているだけある。私のスキーは極めて下手くそだから、私なら歩いて降りなきゃいけない。
終点に着いて、歩き始めたのは14時半頃。
ロープウェイの駅から外に出ると、さすがに空気が冷たい。
アイゼンはつけずにスパッツだけにした。
快晴である。でも、明日の天気が心配だ。
今日の泊まりは「西穂山荘小屋」。ここまでの標準タイムは約2時間。
1時間半ほど歩いただけで、小屋に着くことができた。ここまでのコースに難しいところはまったく無い。
西穂山荘小屋は素泊まりで5000円。新しくて気持ちのいい小屋だ。
部屋に案内してもらって、荷物を置いてから、食堂で食事をした。
ザックには食料がいやというほど詰め込んである。よくこんなに持ってきたものだ。
モツ鍋を作って食べて、その汁でうどんを作った。うまかった。
ビールの大とウィスキーで、もうほろ酔いになってしまって、ウトウトしてしまった。
18時に部屋に戻って、今この文を書いている。
小屋の情報では、明日の天気はよくないらしい。
今日、登っておれたらなぁ。
12月31日
朝、3時半に起床した。
この小屋では廊下に明かりがついていて、寒さもそんなにきつくない。
食堂へ行ったら、真っ暗だった。ヘッドライトの明かりで朝食を作った。メニューは鮭雑炊と味噌汁だけ。なんかさみしい。
ちょっと不思議に思ったのは、冬山ではこの時間はみんな行動をおこすはずなのだが、だれも起きてこない。天気がよくないから、今日は停滞するつもりでいるんだろうか。
計画では4時半に小屋を出発して、独標に6時半くらいに着くつもりだった。その頃には明るくなるだろうから、その先の岩場もなんとかなるだるだろうという計画だ。
ところが、今日は他に登山するひとがまったくいなくて、ぐずぐずしていたら出発は6時過ぎになってしまった。
外は雪。風も強い。
独標までは危険なところがなくて、尾根道を行く。
なんとか独標の登り口までたどり着いた。
ここではすさまじい吹雪になってしまった。
自分の力量では、これ以上進むのは危険と判断して引き返すことにした。引き返すのも勇気だ、と自分に言い聞かせた。
雪とガスで視界がきかない。すさまじい風になってきた。
下山途中で道を間違えた。
どんどん下っていくのだが、傾斜がひどくきつくなってきた。おかしいと思ったときに、一瞬、視界が開けて稜線が見えた。道を間違っていることに気が付いた。
あのまま下っていったら、間違いなく遭難だ。
8時半に小屋に帰ってきた。
もう1泊して明日、再アタックしようかとも思ったが、何年か前に登ったこともあるので、下山することにした。
9時に小屋を出発して、上高地に下山する。
雪道の下りは快調で、11時半に上高地の西穂登山口に着いた。
上高地からは、まず釜トンネルを抜けなければいけない。ヘッドライトをつけてトンネル内を歩いていく。夏にバスで通るときはまったく気がつかないのだが、このトンネルはすごい急斜面になっている。そしてトンネル内は道が氷結していて、滑りやすい。
アイゼンをつけようかとまで思った。
以前、西穂に登ったときは島々まで歩いたのだが、今は坂巻温泉までタクシーが入っている。温泉に入って行こうかとも思ったが、ちょうど相乗りでタクシーを捕まえることができたので、すぐに松本に向かった。
松本から13時40分の特急あずさに乗ろうと思ったが、これには間に合わなかった。
ちょうど、駅前から新宿行きの高速バスが出ているのを知ったので、これに乗ることにした。年末で高速は大渋滞かと思ったが、これは下り車線の話で、東京に向かう分には快適であった。考えてみたら今日はまだ大晦日だ。
東京発18時28分の新幹線に乗って、仙台に向かった。
これで、大晦日と新年は家族と一緒にすごせる。
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ここに掲載した写真は左記の日記とは
別の日のものです。
1986/1/1の晴れた日に、初めて西穂に
登った時のものです。
西穂高ロープウェイで西穂高山荘に到着
1986年の元旦。ついに冬の西穂に登る。
独標、ピラミッドが聳えている。
左後方の山は焼岳
稜線から吊尾根が見えた
後方の山はピラミッド
谷を隔てて笠が岳が見える
左ピラミッド、右奥が西穂高岳
西穂高岳山頂
ガスで何も見えなくなった。
この日のうちに上高地に下った。
冬の大正池
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