BACK 三国岳
2004年7月25日
三国岳から道は再び北を目指す。最初はけっこう急な下りで、振り返ると三国岳山頂の小屋が見えた。
鞍部に着いたその先はすさまじい岩尾根の登りになった。これが七森である。ここから見上げる七森は右側がすさまじい岩壁になっていて、これからどうなってしまうんだ…と足が震えてしまう。でも、七つの険しい岩峰をさすという七森だが、あまりたいしたことはなく通過できた。険しいところにはハシゴや鎖がちゃんと設置されているのだ。振り返ると三国岳山頂に立つ山小屋が見え、そこから険しい尾根がこっちに続いているのが見える。やっぱり険しい岩稜である。
1時間ほど歩くと「種蒔山」の標識があった。。このあたりはお花畑になっていて、色とりどりの花がきれいである。そして行く手には緑の山腹に白い雪渓が輝いていて、飯豊の山は本当に美しいと思ってしまう。
種蒔山から行く手には広い尾根が続いていて、そこに砂地の平坦地が見える。そしてその奥には大きなピークが見える。これが「草履塚」であった。種蒔山から緩やかに下って、砂地の広い尾根を行き、緩やかなピークを越えると、切合小屋が見えた。切合小屋に着いたのは9時少し過ぎであった。
このあたり、雪渓が広がっていて、テント場もあった。すぐ傍に雪渓が広がっていて、これが水場である。
ここで水を補給することにした。
昨日テントを張った御西小屋のすぐ近くにも水場はあったのだが、往復で15分くらいはかかってしまう。朝、忙しかったので水汲みをしなかったのだ。
ここで水を補給したが、あまりきれいな水ではなかった。すこし砂がまじっているのだ。失敗した。
テント場からは大きく聳える草履塚が見える。草履塚へは広い尾根を急登する。登山道のすぐ横には雪田が広がっていて、冷たい雪を口に入れたくなってしまった。
ようやく草履塚に着く。
これを下ると鞍部に出て、そこには石垣で囲まれた中に石仏が置かれている。女人禁制の時代に飯豊山に登ったために石になったといわれる「姥権」である。この石仏に手をあわせて、今回の登山の安全を祈った。
姥権からいよいよ飯豊本山への登りが始まる。5分ほど登ると、大きな岩の下に「御秘所」と書かれた鉄のプレートが置かれていた。飯豊山の中でも最大の難所といわれる御秘所に突入するのだ。
これはナンダ…と絶句してしまうような痩せた岩稜が待ちかまえていた。これはまるで戸隠山の「蟻の戸渡り」ではないか。足がふるえてしまう難所で、右手が垂直に切れ落ちている。一歩一歩足を進めるしかなかった。
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