月 山

がっさん

標高 1980m

私は松尾芭蕉にけっこうあこがれていて、いつか奥の細道の全コースを歩いてみたいと思ったりしている。
芭蕉が登山をしたというのはこの月山に尽きるのではないだろうか。


弥陀が原からの月山

BACK 鳥海山

1994年7月30日(土)

鳥海山の登山口「鉾立」を8時頃に出た。
酒田の近くのラーメン屋さんで夜食をとって、ここで買出しもして鶴岡へ。鶴岡から出羽山の方へ向かう。羽黒山に入る道のすぐ近くに月山への入り口がある。
この道は本当に長い。一合目から始まって、林道の終点は八合目であった。八合目付近では濃いガスになって、道が見えなくなってしまった。ノロノロ進んで行くと駐車場があって、突き当たり直前のスペースに車を停めた。停まっている車が多い。さすがは信仰の山である。
でも、このガスはなんとかならないのだろうか。
車の中でビールを飲んだ。昨日はロング缶2本も飲んだので、一日中頭が重かった。今日は1本だけにする。


7月31日(日)
朝、5時前にバスの音で目を覚ました。天気はどんよりとした曇り空。昨夜のあの濃霧を考えると仕方がないかと思う。
何か、気乗りがしなくてグズグズしていたけど、ともかく出発することにした。
5時半。

水がないので、トイレの蛇口の水を詰めた。生水につきそのまま飲むな、と貼り紙してあった。ここの水はわざわざ下から運んできているものらしい。
月山は信仰の山だけあって、白装束のおばさん達がたくさん、たむろしている。
歩き始めて、足が痛むのに気がついた。昨日、無理したからなあ。なんか、大変な1日になりそうだ。
駐車場から1段上がるとレストハウスがあって、そこから少し行くとすぐに「弥陀が原」だった。
弥陀が原にはきれいな池塘が散らばっていて、木道を歩いて行く。景色は最高なんだけど、足が痛い。足を引きずるようにして、仏生小屋に着いたのは7時。ここまで1時間半かかってしまった。ガイドの標準タイムは1時間だ。なさけない。
山頂神社には8時5分に着いた。ともかく、足が痛いヨ。
神社が山頂になるのかと思ったので、ともかく300円払って、お祓いをしてもらってお参りをした。社殿の屋根に鐘が据え付けてあって、参拝者がそれに賽銭を投げて当てようとしている。バカな…と思って見ていたが、ここまで来たんだから皆と一緒にやることはやっておこうと思い直して、賽銭を投げてみた。1回で当たって、ラッキー。なんかご利益があるんだろうか。
神社の前で昼食。ビールを飲んだ。昨日はビールが冷えてなくてまずかったので、今日は途中の雪渓で雪をビニール袋に詰めた。そしてその中にビールを入れてきたから、すばらしくよく冷えていた。うまい。
食事をしながらガイドブックを読むと、山頂はもう少し先のようである。神社ではなかった。
ともかく山頂を目指すことにしたが、すごい風と霧になってきた。

8時37分、山頂着。人はほとんどいなかった。
この月山には芭蕉も登山して、その句碑が立っていた。
奥の細道では
「八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭と包、強力と云うものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏でのぼる事八里」と書かれている。
句は「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」である。
芭蕉が登ったのは旧暦の6月(7月22日)で、今回私が登ったのと同じ弥陀が原からのコースを歩いている。そして芭蕉は山頂の小屋で泊って、翌日、湯殿山に下ったのだ。私は来た道を引き返す。車を置いてきているからしかたがない。
芭蕉を偲び、句碑をビデオに撮ってから下山した。
登山口に帰り着いたのは10時55分であった。
とんでもなく時間がかかっている。右足を曲げると痛い。
駐車場からの帰路はめちゃくちゃな渋滞に巻き込まれた。どんどん車が登ってくるのだが、この細い道ではバスとすれ違うことができなくて、それが渋滞を引き起こしている。
月山てのはすごい人気のある山だということを知った。
足が痛かったけど、芭蕉も登った山に登れて、大満足。

2012年湯殿山神社からの登山記録


レストハウスのある駐車場。まだ、4時なのに騒々しい


白装束のおばさん達が登って来る


弥陀ヶ原の登山口


弥陀ヶ原をを行く(私)


弥陀ヶ原の池塘


雪渓が残っている


仏生池小屋



月山神社


月山頂上小屋


月山山頂


芭蕉の句碑





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