1983年に赤石岳で挫折した南アルプス大縦走を今年こそ達成しようと出かけた。天気にも恵まれて、3000mの峰々のパノラマはすばらしかった。 でも、バテた。 |
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わるさわだけ 標高 3141m |
悪沢岳→塩見岳→間ノ岳→農鳥岳→北岳 |
東京23:25→3:04金谷3:20→4:14千頭4:40→6:05井川6:15→ 7:17畑薙第1ダム7:20→8:10椹島
1984年8月10日 今日は朝から晩までバテバテの連続であった。歩き始めたそのときからもうバテていた。 この日は夜行でやって来ていたものだから、ほとんど眠っていなかったせいもあり、おまけに稜線に出るまでは本当に急登の連続で、さらに追い討ちをかけるように荷物が重たくて(多分30kgはあると思う)、ともかくあれやこれやで、まったく足が動いてくれない。
椹島9:20→13:05清水平14:28→15:08蕨ノ段15:20→18:20千枚小屋
第1日目の朝食は駅弁ですまそうと思っていたのだが、ともかく忙しくて駅弁を買うことができず、結局椹島で朝食を作らなければいけなくなった。コッフェルでお湯を沸かしたりしていたら、予定の時間から1時間遅れになってしまった。 椹島から標高差で350m登ったところが「小石下」というところである。看板があって、昭和53年に伐採して、荒川三山が見晴らせるようにしたと書いてあった。ところが、日は照っているのに、期待の荒川三山は雲に隠れて見えなかった。 標高2070mの蕨段には3時少し過ぎに着いた。ここからがまた急な登りで、すっかりバテてしまって、千枚小屋に着いたのは6時半頃であった。 夕食を作っていたら真っ暗になってしまった。暗いので食事はテントの中ですることになった。このテントというのがシェルター型のもので、軽量なのはいいのだが、居住性はすこぶる悪い。無理な姿勢で食事をしていると、うまいものもまずく感じてしまう。 メニューは良かったと思うのだ。 トマト、レタス、キュウリにマヨネーズをかけたサラダ。それに「レストラン風」のハンバーグ。こんなの持って来るから荷物が重かったのだが。 食事が終わったのは8時半頃であった。
8月11日 千枚小屋6:00→7:01千枚岳7:15→8:07丸山8:17→8:53悪沢岳9:10 →10:21中岳10:50→12:43高山裏13:40→15:00板屋岳15:10→ 17:53小河内岳避難小屋
第2日目の計画は千枚小屋から小河内避難小屋までの予定であったが、よくぞ予定通り避難小屋までたどり着けたものだと思う。 食事の準備に手間取ったり、テントを畳むのに時間がかかって、5時出発の予定が6時になってしまった。 今回の最初のピークである千枚岳に着いたのは7時。晴れてはいるが雲が多い。あまり展望はきかなかった。 ここでコーヒーを飲んで一服。 千枚岳からは西に縦走して行く。最初の3000m峰である悪沢岳に着いたのは9時少し前だった。 朝はジャージで歩いていたのだが、暑くなってきたので短パンになった。山頂にはけっこう人が多かった。 ここからさらに西に進み、中岳、前岳と縦走する。 いかにも3000mの高地を歩いているという感じである。 荒川前岳からは一気に標高差600mを下って、高山裏露営地に着く。1時少し前であった。 ここで昼食をとったのだが、なぜかちっともうまくない。山で食べるものは何でもうまいはずなのだが、これは疲れすぎだからだ。のどを通っていかない。 高山裏では2リットルのポリタンにしっかりと水をつめた。少し心配だったのは、この水がキャンプ場のそばを流れる普通の沢の水だったことである。腹をこわすんではないかと少し心配した。 板屋岳の山腹を巻いて、小河内岳へ。この間、水は一滴も飲まなかった。今夜の泊りの小河内避難小屋には水場がないのだ。こういう不便さも南アルプスのすごさである。 6時少し前、疲れ果てながらも何とか避難小屋にたどり着いた。 避難小屋には先客が1人いて、結局泊りは2人だけであった。 この小屋は去年の赤石岳避難小屋に比べると、かなりきれいに感じた。 ともかく、昨日からバテバテの2日間であった。 |
椹島を元気に出発 小石下 蕨の段 千枚岳山頂 悪沢岳山頂 荒川中岳山頂 高山裏にて。後は荒川前岳。 |
荒川前岳への道 |
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