あかぎやま

標高 1828m


奥日光、上州の山のことはまったく知らなかった。深田久弥のおかげでこれらの山を登れたのだと思う。
赤城山というのはピークが一つではない。大沼を囲む外輪山を縦走することが赤城山の登山だ。

 黒桧山山頂

男体山 奥白根山 武尊山 赤城山

BACK 武尊山


1995年8月14日

赤城山について連想するのは国定忠治くらいのもので、この山のことはまったく知らない。

赤城山を登山しようと考えたとき、地図を探したが赤城山という山頂がないのだ。
なんか茫洋と広がる山塊で、捕らえどころがない。
山頂部の真ん中に火口湖があって、これが大沼。「大沼」と書いて「おの」と読むのだそうだ。この大沼を中心に避暑地のような観光エリアが広がっていて、なにかしら、登山という気がしてこない。赤城山とうのは、大沼の周りに外輪山がめぐっていて、これが登山の対象になる。
最高峰は黒桧山で、その他に駒ケ岳、地蔵岳がある。
今回の登山は大沼の湖畔の国民宿舎から湖畔を巡って赤城神社に行き、ここからまず黒桧山に登り、駒ヶ岳に縦走して国民宿舎に戻ってくるというコースにした。
しかし、これだけではもの足りないので、車で八丁峠まで行って、ここから地蔵岳に登ることにした。

黒桧山の登山口から山頂までは約1時間で登ることができた。ほとんどハイキングコースである。
山頂到着は8時20分。
本当に物足りない登山だった。

黒桧山というのは山頂部が細長くて、まず稜線にでたら左に向かう。こちらは三角点がある北の山頂だ。また戻って稜線沿いに少し行くと大きな石碑と祠がある南の山頂部に着く。
天気はあいにくの曇りで視界はきかない。
ここから駒ケ岳に縦走する。
歩きにくい階段の道を一旦、下る。
この赤城山の登山道は一般のハイカーのために整備が進んでいるようで、階段の道が多い。急な斜面の道では手すりまでついている。だけど、階段の道はあるきにくくて本当に疲れる。
駐車場に戻ってきたのは10時頃であった。
ここからもう一つのピーク地蔵岳をめざす。
車を少し走らせて八丁峠に着く。
ここから歩き始めた。
笹の斜面を登っていく。傾斜はけっこうきつくて、ジグザグをきって登っていく。
登っている人も多かった。さっきの黒桧山では、ほとんど登山者に会わなかったのだが。
途中の登山道の両脇にはお花畑が広がっていて、きれいな花を見ることができた。
山頂に着いて驚いた。電波塔がたくさん立っている。人もめちゃくちゃ多かった。
なぜかというと、ここには大沼湖畔からロープウェイが通じていたのだ。
山頂は広くて、たくさんのハイカーがてんでに休憩していた。
雲も晴れてきて、下には大沼がきれいに見えた。
地蔵岳山頂からは、来た道を引き返した。
車に戻って11時40分であった。
赤城山を歩いて考えてしまったのだが、深田久弥の選んだ名山というのは実に幅広いということだった。
名山といえば、つい3000m峰とか、アルペン的な山を想ってしまうのだが、どうもそうではないようだ。山のすばらしさというのは自分が考えているものより遥かに奥深いのかもしれない。
この赤城山だって、もっと気持ちを伸びやかにして、避暑を楽しむつもりでキャンプをしながら、のんびりと1日1座づづ外輪山を登ったりしたら、もっと別の赤城山を感じることができたのかもしれない。


ともかく、今年の夏休みの登山はこれで終了。
ただ、ここから青森まで帰らなければいけない。
まっすぐ南下して、大間々町に出て、そこからさらに南下して国道50号線に出ようとしたのだが、途中で「岩宿」という地名を見つけた。

話は登山から脱線してしまうのだが、岩宿といったら旧石器が日本で初めて発掘された場所である。
戦前の考古学では、日本に旧石器時代はなかったというのが定説だったのだ。それを初めて覆すことになったのがこの岩宿だった。
これは寄り道するしかない。
岩宿の発掘の跡をみて、近くにある博物館に行ったら休館であった。
せっかく青森からきているのに。
でも、日本考古学の大変換をなした岩宿を見ることができたという満足感に浸って、青森に帰った。

2010年の登山記録


大沼の朝


赤城神社


黒桧山北の山頂


黒桧山南の山頂


駒ケ岳山頂


八丁峠から地蔵岳に登りはじめたところ


登山道の脇にはお花畑が


地蔵岳山頂の電波塔の群れ



地蔵岳三角点

山頂に立っていたお地蔵様

地蔵岳のロープウェイ駅

下に大沼が見えた

登山道に咲いていた花

登山道に咲いていた花

岩宿遺跡





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